【第四部】 追跡 三章 交差する光と闇 9
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湖面は沈みゆく陽光を照り返し、黄金色に輝いた。
景之は目を細める。
「いろいろあるけどね、日本は良い国だと、僕はおもうよ。…ああ、時間が足りないなあ、こうやってわが祖国の季節を感じるには」
瑠香は黙って景之の背中に寄り添った。
「…やだ」
景之は振り返らずに聞く。
「何が?」
「やだ。これ以上、パパが死ぬのは嫌!」
「え、いや、そのなんだ。瑠香たん。厄を引き受けなくなるだけで、死なないから、パパ」
「ホント?」
そのまま二人は、長い間寄り添っていた。
恭介は、幼子のように感情を剝き出しにする瑠香を、初めて見た。
対岸の旅館やホテルの灯が、水中花のように湖面を彩る頃、三人は車に戻った。
その頃。
景之同様、時間が足りないと呟く、一人の男がいた。
男は右腕に駆血帯を巻き、器用にも自らの手で、自身の静脈に注射を打っていた。
全身に吹き出す汗を拭くこともせず、じっと目を閉じ唇を噛みしめている。
また失敗したようだ。
男の願い事を叶えるために、邪魔になる人物を排除しようとしたが、上手くいかなかった。
男の体内に巣食う輩は、えげつない笑い声を上げている。
――諦めろ
――諦めろ
――もう手遅れだ
男とて、そんなことは分かっている。
長年に渡り、綿密に立ててきた計画は、ここにきて土台から崩れ始めている。
男は頭を振る。
今更降りることは出来ない。
あと一歩でいい。
せめて
せめて、その顔を拝みたい。
それだけだ。
――時は迫っている
――その時が来たら
――その時が来たら
――お前の臓物、食い破る
身の内の声を脳から追い出し、男は洋酒をラッパ飲みした。
男の足元には、空のアンプルが転がっていた。
ラベルには、有名な免疫抑制剤の名称が印字されていた。
帰りの車中、景之は恭介にこんなことを言った。
「藤影創介さんの前に、戦うべき人、いるでしょ?」
「仙波、ですか」
「そうそう。けっこう面倒くさい相手だと思うよ」
恭介もそれは実感していた。
なんといっても、仙波が次々と繰り出すマシーンは、たかだか社長秘書ごときが、手を出せるようなシロモノではない。
「僕でさえ、彼の正体、分からないんだから」
やはり
厄介な人物である。
「ただね、彼も多分、健次郎さんや僕とか、ああ、そうだ、新堂香弥子とかと、同じタイプに思うんだ」
より一層厄介だ。
恭介は拳を握る。
その時、白井からメッセージが届いた。
絵本の挿絵が、完成した!
恭介はふと、肩の力が抜けた。
一人で海に落とされた時と、今は違う。
信頼できる仲間がいるということは、心強いことだ。
用賀から都心に向かう夜空には、星が瞬いていた。




