【第四部】 追跡 三章 交差する光と闇 4
4
神無月を迎える頃。
狩野学園理事会は紛糾していた。
今年度、高等部を中心に、相次ぐ不祥事や醜聞が、マスコミを賑わした。
それらの真実の如何を問わず、次年度の児童生徒の募集状況は、例年になく停滞している。
特に高等部においては、大学から指定校推薦枠の取り消しが相次ぎ、保護者からのクレームもあとを絶たない。
いずれも、私学においては致命的な現象である。
理事会は、理事長である藤影創介に、引責辞任を示唆した。
しかしながら、理事会としても苦渋の選択である。
藤影の資金力があってこそ、経営が成り立ってきた。
何より、創介の跡を継いで、理事長を引き受ける者がいない。
火中の栗を拾いたがる、剛毅な人物は、なかなか存在しないのだ。
結局、新理事長の選出は、次回に持ち越しとなりかけた、その時である。
会議室のドアが開き、一人の人物が入ってきた。
碧の風が会議室に流れた。
その人はそのままマイクを握り、凛とした声で宣言した。
「お集まりの皆様、ご無沙汰しております。わたくし、現理事長、藤影創介の妻、藤影亜由美でございます。この度、夫に成り代わり、狩野学園の理事長に立候補すべく、やって参りました!」
どよめきと驚愕。
列席者は皆、目を丸くし、亜由美を見つめた。
内心最も驚いていたのは、創介であったが、彼の表情は特に変わっていなかった。
「わたくしは、名ばかりの理事ではありましたが、昨今の学園の現状に危惧を持ち、機会があれば、本学園の改革に着手したいと考えておりました。度重なる不祥事も、元をただせば教育の歪み、すなわち学園における教育に関する熱意と、子どもたちへの愛情不足から起こってしまったものと言っても、過言ではありません」
創介は、滔々と語り続ける亜由美の姿に、しばし見とれていた。
しばらく会わないうちに、長かった髪は肩につくくらいで揺れ、痩せすぎだった体は、女性らしい曲線が戻っている。
何より、いつも下を向いていた瞳はきらきらと輝き、まるで夢を語る少女のようである。
「わたくしの教育理念は二つ。国連が提唱する持続可能な社会を創っていく、すなわち、日本という国が世界の中で、いかに持続可能な進歩向上を続けていくのか、自らの力で考えることの出来る児童、生徒の育成が第一の理念です。第二の理念は、安心して学べる学習環境の保障です。わたくしが理事長になったあかつきには、わたくし自身が教壇に立ち、子どもたちと共に、学び成長していきたいと考えています」
国連?
持続可能とはSDGsのことか?
コイツ、いつの間に、そんなご大層な題目を覚えていたんだ?
創介は思う。
それにしても
いい女だな、亜由美は
創介が妻の姿を見つめているうちに、亜由美の演説は終わった。
理事会は満場一致、いや創介を除いて、新しい理事長を選出した。
退出した亜由美に創介は声をかけた。
「お前、本気か?」
「ええ、もちろん」
亜由美の笑顔は大輪の花のようだった。
「お前が言っていた教育環境の整備は金がかかるが、どうする気だ? 俺にまた負担させる気か」
創介のこの発言は、自分が知らなかった妻の姿を見せられた、小さなショックによる嫌味である。
「あら、それなら、私の個人資産を投入する予定だから、ご心配なく」
うふふと微笑む唇は、艶やかな薄紅色だった。
もう何年も触れていない妻の肢体を思い出し、創介はなぜか悔しくなった。
「そうそう、これから毎日学園に来るから、まだしばらく実家にいるね」
くるりと踵を返し、亜由美は去った。
創介は妻の姿が見えなくなるまで、その場に立ち尽くした。
亜由美は小走りに学園を走り抜けた。
門の外には息子とその仲間が待っていてくれた。
「どうだった?」
恭介が尋ねた。
「バッチリ!」
亜由美が親指を立てた。
「それじゃ、学園の新理事長誕生を祝して、飲みに行こっか! ま、お茶だけど」
白井も親指を立て、白い歯を見せた。
理事会が行われる数日前のこと。
絵本のストーリーが固まった恭介は、一度亜由美にも読んで欲しいと連絡を取った。
すると亜由美は、恭介が住んでいる場所を、見てみたいとやって来たのだ。
恭介が亜由美のために紅茶を淹れると、亜由美は少し涙目になった。
「やだ、息子にお茶を淹れてもらう日が来るなんて」
などと言っていた。
この場に悠斗がいなくて良かったと、恭介は思った。
亜由美がざっと絵本のあらすじを読んだあたりで、その悠斗と白井が合流した。
「おばさん、これ好きだったよね」
悠斗は、有名店のショートケーキを買ってきた。
「は、はじめまして。おれ、いや僕、キョウ君と同じクラスの白井です」
白井は亜由美の美貌に気おされていた。
小声で悠斗に
「こんな綺麗な人に、よく悠斗は『おばさん』なんて言えるな」
とも言っていた。
ケーキを食べながら、亜由美は三人の高校生活の話を聞いていた。
学園祭
夏の海
花火
恭介が普通の高校生としての日々を送っていることに、改めて亜由美は安心した。
「そういえば、今度学園の理事会があるの。創介さん、辞任するらしいわ」
それが発端だった。
次の理事長は白紙状態と聞いた恭介が、亜由美に言った。
「じゃあ、かあさんが、理事長になれば?」
「え、無理無理。何言ってるの」
「ああ、それいいかも」
悠斗が後押しする。
「俺、キョウ君のお母様が理事長になったら、もっと学校に来て、俺たちのやってること、見て欲しい」
白井は、理事会とか理事長とかに、もっと生徒の日常を知って欲しいと呟いた。
「かあさん、たしか、教員免許持ってるって言ってたよね」
理事長になるための演説内容は、恭介がアウトラインを作ったが、あとは亜由美に任せた。
亜由美なら、きっと自分の言葉で、皆を説得できるはず、そう恭介は思った。
学園の体制の立て直しと環境整備は、亜由美が理事長に着任して、すぐに始まった。
秋の日差しは柔らかく、新制の学園に降りてきた。




