【第四部】 追跡 二章 先人の涙 3
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恭介が、母の実家を訪れる数日前。
なかなか読む気になれなかった、新堂陽介の手記を、彼はようやく読み終えた。
その冒頭。
『私の甥である藤影恭介は、間違いなく兄創介の息子です』
とあった。
その一文だけでも、目を通した甲斐があったとは思う。
燃えさかる炎の中で、香弥子は恭介を見て、父の名を呟いた。
死を前にした女の目に映った幻だったのか、と恭介は思っていた。
冒頭以降の文章は、恭介にとって、理解しにくい彩りであった。
――私は、兄に憧れていました。
なんでも出来て、弟の目から見ても、かっこいい男。藤影家の跡取りとして、周囲からも期待され、中学くらいからは、いつも女性に取り囲まれるようになった兄。
それすら、羨ましいと感じることもなかったのです。
さすが兄さん、そう思っていました。
この辺はまだ、恭介の理解の範疇である。
――ただ、一度。たった一度だけ、兄を羨ましく思い、最初で最後、兄の意見に逆らいました。
香弥子に会った時に。
初めての、恋に落ちました。兄の秘書として働く、新堂香弥子に。
私にとっては、女神だったのです。
兄は反対しました。あの女は止めろ。お前には無理だ。
そう言われました。
恭介は、だんだん読むのが辛くなる。
――香弥子が兄の恋人、というか愛人であることは承知していました。周囲も皆、分かっていたのです。兄からは、もっと私に合う女性を紹介するとまで言われました。
それでも私は、香弥子を諦めることが出来なかったのです。
私にとって、生涯ただ一回の恋だったのです。
恭介の頭が、追いつかなくなる。陽介の文章の湿度は高すぎる。
おじさん、何で?
何でそんなに、あの女性に執着したの?
恋ってそんなに、男の人生を変えてしまうもの?
結局、途中で読むのを中止して、瑠香と悠斗の意見を聞くことにした。
瑠香は、「昭和臭満載の、親父の単なる回顧録」と、ばっさり言い切った。
悠斗は、「お前ホント、こういう話ダメなんだな」と笑い
「まあ、俺は、わからなくもないよ」と言った。
おや、と瑠香が悠斗を見つめる。
「だって、初恋って、引きずるっしょ」
「え、悠斗の初恋っていつ? 相手、誰?」
小学生並みの瞳で恭介が尋ねると、悠斗は焦ったように顔を背けた。
瑠香は肩をすくめて、ため息をついた。
二人が帰ったあとで、恭介は休み休み、陽介の手記を読んだ。
後半に書かれていた内容は、恭介を深い憂鬱に追い込むことになる。
侑太の出生にまつわる密約が、書かれていたのだった。




