【第四部】 追跡 一章 科学と魔術 17
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気が付けば、侑太も球体の中で座っていた。
球体はゆらゆらと、水の中を漂っている。
亀とウサギを宿した明りが、侑太の眼前で、なお揺れている。
「ゆうたろう」
明りから声がした。
「お前のことだ。ゆうたろう」
―誰だよ、ゆうたろうって。
――俺は侑太だ。
ウサギは口元の髭を撫でながら、侑太に話しかけた。
「我が名はリン。ウサギではないぞ。それにこちらはレイ様だ。亀ではない」
――いや、どう見ても、ウサギと亀だ。おとぎ話か。
――ていうか、こいつら、俺の心が読めるのか?
「お前には三つの選択肢がある」
――なんだよ、選択って
「一つ目は、このまま死ぬ。まあ、放っておいたら、間もなくお前は死ぬ。お前は体の半分近く、火傷を負っているからな」
――ああ、そうか。俺、燃えてる香弥子を抱いていたな。
「死んだら、お前の行く先は、底辺の霊界じゃ」
――なんでだよ!
「お前は他人を傷つけすぎた。その報いじゃ。底辺の霊界で、毎日重労働するのじゃ。三百年もすれば、生まれ変われるぞ」
――他人を、傷つけた…そうかもしんないけど、それは嫌だ。
「二つ目は、次元の異なる星に生まれ変わる」
――キタ―異世界。
――どうせなら、異世界が良い。
「ただし、その星で生まれ変わった場合は、ミミズになる」
――なんでだよ!
――勇者とは言わないが、もっと別の生き物とかあるだろう
「ミミズとして、枯れた大地を耕して、一生終える。そうしたら、次はモグラに生まれ変われるぞ」
――はぁ
――舐めてんのか
――ミミズとかモグラとか、ぜってえ嫌だ
「噂通りの我儘加減か。仕方ない。やはり三つ目か」
ウサギはため息をつく。
「それでは三つ目だが、お前の身体に残る、すべての蟲を排除して、お前は生き残る」
――それが良い! え、俺の体に虫なんているのか、まあいい、早くしろ
「ただし、そのための代償が必要じゃ」
ウサギの言葉と同時に、一匹の小さなウツボが侑太の球体に入り込む。
侑太が身動きする間もなく、ウツボの頤は、侑太の頭一つ分の大きさに開かれる。
そのままウツボは歯を剥き出し、十センチほどの長さの牙を、侑太の眼球に突き刺した。
ぐええええ
侑太は叫んだ。
尋常ではない苦痛が全身を襲った。
侑太の右目があった場所は、水底よりも深く、昏い穴が開いていた。
顔を押さえ、のたうち回る侑太の手指の間から、血液と共に流れ出す無数の白い蟲。
「お前の痛みは、お前に傷つけられた人たちの叫び。お前の眼球の裏に潜んだ虫たちの、断末魔の絶叫」
初めて亀が喋った。
だが、己の痛みと格闘する、侑太にはよく聞き取れなかった。
「致し方ないことではあった。お前の母は身中の虫を、乳を通してお前に与えた。それらの虫が好んで棲みつくのは、人間の脳。よって、今からお前の脳内に残る、それらを退治する」
亀はそう言うと、口からレーザー光線のような光を吐いた。
光は侑太の眼窩から、視床(外側膝状体)を通過し、中脳、間脳、大脳視覚野に至る、すべての虫を焼き尽くした。
「ゆうたろう、命は助けたぞ。あとは今後の生き方次第」
ウサギは偉そうに言った。
侑太の痛みは続いていたが、どうにか残った左目を開けた。
亀は巨大な姿に変わり、侑太から遠ざかって行く。
ウサギの姿は既になく、背びれのある馬のような生き物が、亀と歩調を合わせて動いていた。
「俺は、俺はこれから、一体…」
力なく呟く侑太に、ウサギの声が遠くから聞こえた。
「それは自分で考えろ。生き残った意味も、だ」
振り返った馬みたいな生き物は、顔だけウサギになっていた。
「それにな」
「お前が死んだら、キヨスケが悲しむ。それを見たくなかったのじゃ」
キヨスケ…?
キョウスケ
まさか、恭介!?
侑太の脳裏に、ドロケイで自分を牢屋から助けてくれた、あの時の恭介の笑顔が浮かんだ。




