【第四部】 追跡 一章 科学と魔術 16
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もがく恭介を悠斗は羽交い絞めにした。
「やめろ、キョウ! 助けに行こうなんて思うな! お前、奴にされたこと、忘れたのか」
「忘れてなんかないよ! だから、こんな形で終わらせたくない!」
忘れてはいない。
幼い頃からの出来事すべて。
初めて、従兄と会うと言われた日。
恭介は嬉しかった。
父母と使用人と、お稽古の先生たち。
恭介の周りには、大人しかいなかったから。
血縁で同い年の男子。
仲良く出来ると良いな。
そんな思いでピアノを弾いていた。
部屋のドアが開いたので、そちらを見た。
恭介より、体の大きな男の子が立っていた。
線の細い自分と違う、活発そうな少年だった。
あの時の侑太の瞳に、ほんの一瞬だけ浮かんだ、憧れと羨望。
直後、侑太は獣の様な唸り声を上げ、恭介に殴りかかってきた。
以来、恭介は諦めた。
こちらが手を差し出しても、刃でそれを切り捨てる人間が、この世には存在すると知って。
「俺は、自分さえ我慢すれば良いと思ってた」
恭介は拳を握る。
そう
蹴られても、暴言を吐かれても、恭介は侑太に逆らうことをしなかった。
自分が我慢すれば、丸く治まるだろうと。
「でも、それは間違っていたんだ。俺が我慢したのは、自分に自信がなかったからだ。嫌なことを嫌だと言って、もっと理不尽な目に会うのが怖かったから!」
恭介の目に涙が浮かんだ。
「自分がさえ我慢すれば、なんて、傲慢と怠慢な考えだ。結局、たくさんの人が傷ついた。悠斗にも迷惑かけた。…ヒロにも綿貫さんにも」
俺が弱かったからだ。
呟いた恭介の涙は、侑太が消えた暗闇に、音もなく落ちた。
恭介を後ろから支える悠斗は
「それは、違うよ」
それだけ言った。
違うよ、キョウ
生まれつき、犯罪者の気質を持っている輩が存在する。
どんなに手を尽くし、心を尽くしても、そんな奴を改心させることなんて、できない。
何も出来ないんだ
俺たちには…
消防車とパトカーのサイレンが、重なり合って聞こえてきた。
香弥子を抱いて飛び降りた侑太は、階下のプールにそのまま落ちた。
黒い水中で、今だ蠢く生き物もいたが、侑太はひたすら沈んでいく。
腕の中の香弥子は、黒い灰を撒き散らしながら、水に溶けていく。
かつて、侑太は何度も、香弥子の体液を与えられた。
「私の力をあなたにもあげる。何でも手に入るパワーが持てるわ」
「でもね」
香弥子は侑太に言った。
「この力を使うと、本当に欲しい願いは、どうしても叶わないの」
そう言った香弥子の表情は、拭えない翳りがあった。
侑太が本当に欲した願いは、叶えられたのだろうか。
俺が本当に欲しかったもの…
何だ?
侑太の肺に残る僅かな空気が、ぼこぼこと水中に吐き出される。
酸素が足りなくなった脳内に浮かぶ、記憶の断片。
小学部時代
休み時間に夢中になった「ドロケイ」
俺と原沢、そして悠斗がヒーローだった。
恭介は、いつも見ているだけだった。
ある日、クラス全員、女子も含めて大人数でのドロケイで
恭介も初参加で同じチーム。
俺のチームはドロ側から開始。
悠斗はずっと恭介をかばってて
俺はムカついて、ドジって捕まって牢屋に入った
誰も、助けに来てくれなかった
そしたら
こそっとやって来た恭介が、助けてくれて牢屋を抜けた。
俺の代わりに恭介が捕まったけど。
それから悠斗と一緒に逃げ回った。原沢もブッチした。
終わった時、みんなで笑った。
恭介も悠斗も笑っていた。
あれは
楽しかった
心底、楽しかった
俺が欲しかったのは
ダチ?
侑太の身体も意識も、水底に沈んだと思われた時だった。
侑太の周りの水に波紋が広がり、黒い水の中に、一粒の明りが浮かんだ。
目を閉じているはずの侑太にも、明りの中の物体が、揺らめきながら垣間見えた。
明りの中には、亀と、亀の背中に乗った白いウサギがいた。




