【第四部】 追跡 一章 科学と魔術 12
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大生部多は七世紀の頃、現在の富士川の辺りで、蛾の幼虫を神と崇め、今で言うところの新興宗教ムーブメントを起こした人物である。
それを祀れば金銭に恵まれ、不老長寿を得ると喧伝。信じた人々は、幼虫を「常世の神」として祭り、一心不乱に祈り続け、生業を放棄したという。
この怪しげなムーブメントは、当時の都まで波及し、懸念した秦河勝により、大生部多は討伐されたと伝えられている。
大生部多は討伐されたが、命までは奪われなかった。
秦河勝並びに当時の朝廷に忠誠を誓い、大生部から「大」の文字を秦に返し、宇部姓を名乗る。その後は人民の安寧を祈願する術師として、ひっそりと生活を送った。
常世の神の信仰を捨てきれなかった一部の者が、宇部家から離れ、多種の虫を使う呪術師として、今日まで命脈を保っている。
その虫使いの術者、香弥子が吐き出した紐状のものは、うねうねと這い、体育館の真ん中に集まった。さらにそれらは、緑色と茶色の混ざったような液体に包まれ、姿形を変貌させた。
片翼の幅が、二メートルはあるかと思われる、茶色の蛾が生まれた。
「常世の神よ! さあ、悪しき者どもを一掃せよ」
生まれたての蛾は、何度か羽ばたきを繰り返し、空中に浮かんだ。
白井は綿貫を背に隠し、島内と二人、体育館の入口の戸を開けようとした。
近付いてくる茶色の蛾は、鱗粉と共に、強い悪意を撒き散らしている。
だが、男二人が力を込めても、戸は動かない。
蛾の羽に浮かんだ模様が、骸骨のように見えた時、瑠香が口を開いた。
「無駄だと言っているだろう。更年期が、脳まで進行しているのか、新堂香弥子」
瑠香は再び矢をつがえる。
「神樹蚕は、そんな小汚い虫ではない」
瑠香は矢を放った。
矢は、蛾の胴体に穴を開け、そのまま香弥子の胸へ飛んだ。
一方、恭介と悠斗は、侑太らがたむろする、多目的レンタルスペースの入口まで来ていた。
五階建てビルである。
手順を打ち合わせ、悠斗が入口に近づく。ビル内のエレベーターは二の数字で停まっていた。
エレベーターの前には二人の男が、所在なさそうにタバコを吸っていた。
悠斗は見たことのない顔だった。
侑太の取り巻きも、だいぶ様変わりしたようだ。
「よう、侑太いるか?」
「はあ? 誰だお前」
軽く声をかけると、予想通りの反応。
悠斗が笑う。
もう一人の男の表情が変わる。
「コイツ、きょ、狂犬!?」
「懐かしい単語だな」
笑いながら、悠斗は左右の拳を二人の顎に突き出した。
悠斗の後ろから恭介が、パチパチと小さな拍手を送る。
「さすが」
「まあな」
恭介は、見張り役の二人の手首を結索バンドで縛り、スマホを取り上げ、エレベーターのボタンを押した。
侑太は、朝まで借りた一室で、取り巻きの男子と、ナンパしてきた女子で合コンをしていた。総勢二十名ほどだ。
母の香弥子からは、人の負の感情を出来るだけ深く、引き出すように言われている。
ついてきた女子は、他校の連中。
初見の男に何の疑問ももたず、ノコノコついて来るような女どもだ。
頭はお察し。
顔と体はまあ合格。
あとは、酔わせてマワして、動画アップ。
勝手に絶望してくれ。
「ねえねえ、藤影くんって、お坊ちゃまなの?」
隣に座った女が胸を摺り寄せてくる。
「そうだよ、うちの学校で一番お金持ちだし、生徒会長もやってるし」
取り巻きの一人が、侑太にグラスを渡す。
「すご―い。じゃあ、アレ弾ける?」
レンタルスペースは、楽器練習も出来るように、防音設備が整っており、ギターやドラム、ピアノまで置いてある。
「ギターなら、少しね」
「すご―い。聞きた―い」
うざいが、サービスでもするか。
侑太はギターを抱え、有名なクラシックの曲の、さわりだけ爪弾いた。
昔、アイツがピアノで弾いた曲。
悔しくて意地になって、同じスキルを身に付けようとした。
ピアノではない、別の楽器で。
照明が暗くなる。
誰かが気をきかせて、照度を下げたのだろうか。
隣席の女子は、うっとりとした表情で、唇を半分開けて侑太を見つめている。
「もっと聞きた―い」
ギターではなく、女子の腰を抱き寄せようとした時。
侑太が弾いた曲の続きのメロディが流れてきた。
ピアノの音だ。
弾ける奴なんかいたか?
風が流れ、カーテンを揺らす。
月の光がピアノを弾く人影を露わにした。
侑太の心臓が激しくなる。
高い鼻梁と長い睫毛。
ピアノを奏でる白い指先。
「お前! まさか!」
「久しぶりだね、新堂侑太。ああ今は、藤影侑太だっけ」




