【第四部】 追跡 一章 科学と魔術 11
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鳴弦の儀、という邪気祓いの方法がある。
始まりは平安時代。
病気平癒や凶事が起こったときの、魔除けとして行われていた。
瑠香の背後から体育館に侵入した影は、素早く床の割れ目に向けて、長いロープを投げ入れる。
ほどなくロープを手にした白井は、水面で腹を見せ、暴れるウツボを振り切り、元居た場所へと戻る。
巫女姿の瑠香が鳴らす、弓の弦の音は、続いている。
壇上の香弥子は髪の毛を振り乱し、唸り声をあげている。
無数の蟹たちはその場で固まり、気泡を吐いていた。
ロープを投げたのは、島内である。
島内は手を伸ばし、登ってきた白井を床に引き上げると、壇上で拘束されている、綿貫を救出した。
綿貫は全裸であった。
体のあちこちに、細かい傷があり、血が滲んでいた。
「綿貫さん!」
白井は駆け寄り、綿貫を抱きしめた。
白井もあちこち傷だらけである。
瑠香が合羽を羽織らせてくれなければ、致命傷になったかもしれない噛み傷だ。
島内はそっと、綿貫に自分の上着をかけ、二人を抱えるように歩き始めた。
「おのれ、おのれ――!」
体を二つ折りにしながら、香弥子は綿貫と白井を睨みつける。
噛みしめた唇から血を流し、香弥子は呪詛を呟く。
するとスイッチが入ったように、蟹はわらわらと移動を始め、次々と壇上から飛び落ちて行く。
階下からは、ウツボらが息を吹き返し、大きな水音をたてて暴れる。
「私の力を見くびるな!」
香弥子が片手を上げると、彼女の全身から黒い塊が生じた。
塊は人の腕のように伸び、白井の足首を掴む。
ビ―――ン
一層強く響く音。
音とともに弾かれた矢が、白井を掴んだ黒い腕を射る。
矢が刺さった瞬間、黒い腕は霧消した。
矢を放った瑠香が、よく通る声で語る。
「もうよせ新堂香弥子。いや、木将香弥子!」
その名で呼ばれた香弥子の目は、眼窩最大限の大きさに開かれる。
「お前、なぜその名を!」
「香弥子。お前は絶対、私に勝てない」
至って冷静に、瑠香は香弥子に向かって行く。
「なぜなら私は、宇部家の娘だ!」
あああ
吐息のような声を出し、香弥子は崩れ落ちた。
「本家やら分家やらに詳しいお前なら、当然知っているな。お前は宇部家を離れ、小島に移り住んだ、木将家の更に分家。木将の家は、駿河から東に下り、新たに分家をまとめ上げ、『新堂』を名乗った」
凛とした瑠香の姿と声に、白井は徐々に落ち着いてくる。
白井の片腕が支えている。綿貫も同じだった。
「宇部家から離れた段階で、木将家の呪術は質が低下していた。宇部家の呪術の本質は、蟲使いではないのだ!」
白井は思いだす。
突入する前に、瑠香は「私がいるから大丈夫」と何度も言った。
それは、こういうことだったのか。
それに、白井すら把握していなかった、祖母、柏内の霊能力も高く評価していた。
なぜそんなことを知っているのか、突入前は疑問に思うこともできなかったが。
さらに、今、瑠香が喋っていることは、白井には何のことやら、さっぱり分からなかった。
「うそだ、嘘だ! 私は新堂の母から受け継いだ! 身に巣食う虫と共存できれば、どんな呪いもかけられる。どんな願い事も叶うんだと!」
「それこそ嘘だ。もっと言えば、宇部家は『大生部』を名乗っていた頃、既に、秦一族と、手打ちをしている」
は・た・の
畑野?
瑠香さんの本名じゃなかったか。
うべとか、って誰のこと言ってるの?
白井が漠然とそんなことを考えていると、壇上から、鳥が首を絞められた時のような音がした。
ぐえええ
香弥子の口から、白い紐状のものが、次から次へと吐き出されていた。




