【第四部】 追跡 一章 科学と魔術 10
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白井が、綿貫の救出に突入する数分前。
白井と瑠香は、車から降り、学園のはずれに建つ、体育館を見据えた。
運動部の選手が基礎トレーニングを行うための、第二体育館であると悠斗が言っていた。
校内の木々は晩夏の風で、触手のように動いている。
三階建ての校舎より、高い屋根が見えた。
その屋根の下、非常灯に似た、赤色の窓が闇に浮かんでいる。
「あそこね」
瑠香のセリフで、白井は唾を飲み込んだ。
駆け出そうとする白井を瑠香が止める。
「ヒロ君、そのカッコで行くの?」
白井はTシャツとジーパンといういで立ちだ。
「え、何かまずいっすか?」
瑠香は自分のバッグから、ごそごそ何かを取り出した。
「相手は海の呪い屋だからね。念のため」
瑠香はビニールの雨合羽を、白井に着せ、校庭に落ちている石をいくつか、白井に持たせた。
「これも念のため。石には、柏内さん直筆の、お札を巻いといて」
白井はコクコク頷くのが精一杯で、両手で自分の頬を叩くと駆け出した。
「荷物持ったら、私もすぐに追いつく」
瑠香の車の後ろに、もう一台の車が停車した。
そうして白井は、第二体育館の階段を駆け登り、綿貫と香弥子の姿を、体育館の壇上に認めた。壇上は真っ赤な照明で彩られていた。
白井は綿貫に跨る香弥子に、石を投げつけた。
綿貫の体から、香弥子が離れた。
今だ!
何も考えず、白井は走った。綿貫の名を叫びながら。
あと一歩で壇上だ!
白井が手を伸ばした瞬間、白井の足元が割れた。
白井は体育館の床の割れ目から、落下した。
ああああ
なんで!
俺、どうして!
暗闇の中、自分が落ちていることを、白井は理解した。
壇上の香弥子は顔を押さえながら、甲高い声で笑う。
「うひゃひゃひゃひゃ。どこの小僧か知らないが、バカだねえ。この体育館は地下にプールがあるのよ。こことの落差、七メートル。うまく飛び込まなければ、落ちた瞬間、首の骨が折れるよ」
香弥子の言葉に、綿貫は絶望する。
ザボンと、何かが水に落ちたような音が聞こえる。
「ああ、どうにか水中に入ったようだね。でも、これからが本番さ。プールには、腹を空かせた、あいつらがいるからね」
香弥子が唇を舐めた。
白井は体勢を立て直し、下手くそながらも暗闇の水面に飛び込んだ。幼い頃から、山間の源流で水遊びをしていた恩恵である。
水面に浮かんだら、落ちて来た場所から射す灯りが見えた。
そこへ向かって泳ぎ始めると、白井の首筋がざわっとした。
灯を目指して泳いでいるのは、人間だけではなかった。
水面に波を作りながら、文字通り、蛇行してくるモノ。
白井の顔の前で、そいつは首を擡げる。
蛇か?
いや、こんな形の蛇は知らない。
三メートル? もっと長い。
だいたい何匹いるんだ!
そいつは大きく口を開ける。
錐のような歯が並ぶ。
慌ててよけた白井の腕に、そいつは容赦なく噛みついた。
白井の絶叫が階下から響く。
綿貫は目をぎゅっと閉じた。
「あはははは! 私のウツボは大食いさ。だって、私の寄生虫を分け与えてあるからね!」
その時である。
香弥子の笑い声をかき消すような、重低音が体育館を包んだ。
その音は階下の水面にも波紋を広げる。
白井の腕や足に噛みついていたウツボは、のたうちまわるように白井から離れた。
香弥子は叫ぶ。
「止めろ――! その音を鳴らすな!」
「止めるのは、お前だ!」
体育館の入口に、大きな弓を構える瑠香の姿があった。




