【第四部】 追跡 一章 科学と魔術 9
9
「お嬢さんは寄生虫ってご存じかしら」
香弥子はうっとりとした表情で、綿貫を見下ろす。
綿貫の周囲を取り囲む無数の蟹は、ざわめきながら綿貫の体にハサミを構える。
「寄生虫って、ほかの生き物の体に棲みついて、生きているのね。棲みつかれた側は、その虫のため、病気になったり、時には死んでしまうこともある。私の体にも、いるのよ。珍しい珍しい、寄生虫」
香弥子の言葉は、催眠効果でもあるかの如く、綿貫の意識を沈ませていく。
「ねえ、これを見て」
香弥子はこぼれそうな胸の谷間を、綿貫の前に突き出す。
谷間の上部、胸骨の上あたりに、浮かぶ渦巻模様一つ。
「ここに寄生しているの。私の虫」
綿貫の目には、香弥子の渦巻模様が、蠕動したているように映った。
「これは、糸状虫と言われるもの。普通は、この虫と長く共生することは難しい。でも、私は、私の血は特別だった」
香弥子の顔は恍惚感に包まれる。
「この虫は、どんな願いも叶えてくれるわ。お金も名誉も恋愛も」
―お前の願いは叶うだろう。どんな願いも、ね―
香弥子の養母が、かつてそう語った。
「ただね、願いを叶えるためには、捧げなければならないの」
香弥子は綿貫に顔を近付け、微笑んだ。
その口元は空間に亀裂を生んだような、黒い半円だった。
「お嬢さん、あなたの血を頂戴。大丈夫。あなたの体は、一片も無駄にならず、海の生物の贄になるわ」
香弥子は両手に光るものを持ち、綿貫の胸をめがけて振り下ろす。
綿貫が目を瞑り、香弥子から顔を背けた時、彼女の首筋にもキラリと光るものが現れた。
体を横たえていたために、隠れていたペンダントだ。
そのペンダントヘッドは、香弥子が振り下ろした刃先を防ぐべく、綿貫の胸を守った。
ガラスが割れる音がした。
同時に「ぎゃああ!」という叫び声。
刃を弾かれた香弥子が思わずあげた悲鳴だった。
「なぜ、お前ごときが、この玉を!」
憎悪をむき出しにした香弥子の眼。
その眼の瞳孔に向かう毛細血管は、あたかも糸状の赤い虫のようであった。
綿貫の目の前に、砕けたペンダントヘッドのかけらが転がる。
柏内からもらったプレゼントだ。
「お守りよ」
どこからか、柏内の声が聞こえた。
香弥子は綿貫の首に爪を立てる。
「こうなったら、頸動脈を引きちぎる!」
香弥子の怒りと呪詛により、綿貫は身動き一つ、取れなくなった。
ギリギリ皮膚に食い込む爪。
ぷつぷつと出血が起こる。
もう、だめ…
目を閉じた綿貫に、聞きなれた声が届いた。
「やめろ――――!」
声が響いたと同時に、何かが飛んできて、香弥子の額に当たった。
香弥子は再度悲鳴を上げ、頭を抱えて蹲る。
声の主は白井だった。
白井が香弥子にぶつけた物は、校庭で拾ってきた石だ。
ただし、その石は、祖母の柏内からもらった、お札に包まれていた。




