【第三部】 開始 六章 遺伝子と環境 12
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「あの火事の原因は、今もって不明だ」
健次郎は、黒い雲が広がる空を、ちらりと見てから話し始めた。
「おそらくは、劣化した工場の、電気配線の問題だったろうと言われている」
島内を連れてきた瑠香は、隣の部屋でスマホを弄っていた。
当然二人の話は聞こえているが、話に混ざる気はなかった。
親父同士の話は、たいてい長いのだ。
「大学の後輩には、藤影創介がいた。学部は違ったがね。藤影は、次世代の新薬を作りたいと熱望し、俺の研究室にもよく顔を出していたよ」
瑠香は思わず聞き耳を立てた。
今まで健次郎の口から、藤影創介と知り合いだったなど、聞いたことがない。
ならば、恭介の背景も、最初から知っていたのか。
相変わらず、喰えない爺さんだ。
「エピジェネティクスを基にした、創薬ですね」
「そういうことだ。俺も何年か、藤影から研究資金をもらっていたな」
「では、弟も」
「そうだ。このセッコク島の藤影の薬品工場は、最先端の創薬工場になる予定だった」
ぽつぽつと雨が降り始めた。
「火事が起こる前、藤影は、しばらくこの島に常駐していた。工場勤務の女性が、交代で奴の身の周りの世話をしていた。その中の一人が、壬生千波。高校を出たばかりの、純朴な少女だった」
千波の名を聞いて、島内の表情が硬くなる。
「君も知っているだろう。君の弟が愛した女性だ」
稲妻が走った。
隣室の瑠香は、聞いていて、肌が痒くなった。
愛した女性?
何それ
「だが、千波が恋焦がれていたのは、社長の藤影だった。今の藤影はどうだか知らんが、当時は若く、物腰も柔らかい都会の男。世間知らずな女の子が、憧れたとしても不思議ではない」
健次郎は、隣室に顔を向け言った。
「若い頃の藤影創介は、息子をもう少しシャープにした感じの、良い男だったぞ、瑠香」
あら、そうなの!
それならナットク!
ていうか、見てみたいわ、藤影創介さん!
「千波さんは、結局、藤影のお手付きになって、世を儚んで自殺したと聞きましたが」
「いや、それは少し違う」
健次郎は頭を振る。
「藤影は、千波の求愛を断ったのだ。まあ、今も昔も、奴は女に不自由したことはないし」
お手付き
求愛
女に不自由
……
瑠香は首筋をボリボリ掻いた。
親父の感性というものは、昭和でストップしているようだ。
「では、千波さんが自殺したというのは」
「自殺したのではないか、と推測されたのだが、結局、行方不明のままだよ。この島の池に、千波の靴が一つだけ、ぽっかり浮かんでいてね。その後、彼女の姿を見たものは、誰もいない」
雨足が早くなった。
「それから、ほどなくして工場に火災が起こった。誰が言いだしたのか、千波の呪い。その名を言うのも憚れたのか、『千波の呪い』と囁かれた」
せんばと健次郎が発した瞬間。
樹木を切り裂くような音が響いた。
雷が落ちた。




