【第三部】 開始 六章 遺伝子と環境 10
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「ミサキ…七人ミサキのこと? ばあちゃん」
七人ミサキとは、四国地方や中国地方に伝わる集団亡霊である。海で溺死した死霊と言われている。
「白井、お前、そんなこと、よく知ってるな」
悠斗が半ばあきれたように言う。
「でも、ここ海ないし、関東だし」
柏内はくすりと笑う。
「まあ、伝承ですからね。多少、間違った認識はあるかもしれません。ミサキはどこでも現れますよ」
部屋の四隅の盛り塩が、茶色に変色した。
「俺が海底で見たのは、八人でしたが」
恭介が問う。
「そもそも、七人というのも伝承。ミサキの怨霊話の元になったのは、戦国武将の逸話ですが」
柏内は真顔で語る。
「あれも、元は八人の死霊です」
盛り塩が黒色に変わる。
「やはり、来ましたね」
柏内は袱紗をほどき、小刀を手にした。
「弘樹、そして皆さんも覚えておいてください。怪談や心霊の話をすると、周辺の小賢しい邪霊がやってきます」
柏内は小刀の鞘を抜く。
「未成年者には勧めませんが、タバコの煙には、一定邪気祓いの効果があります。同じ効果は、いくつかの天然石にもあるので、お守り代わりに持っていても良いでしょう。ただし…」
柏内は小刀を構え、空中を切り裂く。
太刀筋が白く光る。
稲妻の様な火花が、何回か散った後、室内には涼しい風が流れた。
「しばらくは大丈夫でしょう」
柏内の額に、うっすらと汗が滲んでいた。
「凶悪な霊は、そのくらいでは祓えないのです」
恭介も悠斗も白井も、固まっていた。
「ば、ばあちゃん、まだ俺ケツが、ムズムズする!」
白井の祖母は微笑む。
「それは気のせいです」
恭介は柏内に、疑問をぶつけてみた。
「柏内さん、俺が海底で見たのは、一体…なぜ俺の血を欲しがったのでしょう」
「人為的に作り出した、八人ミサキの呪いでしょう。呪われていたのは、あなたか、あなたの一族。八人の中で、呪いの核となった人が、呪いの解除法を知っていたのではないでしょうか」
「解除するのに、呪う対象の生き血が、必要だった、ということですね」
柏内が頷いた。
「残酷で、いやな方法です。『お前がこんな酷い目にあうのも、あいつのせいだ』と言って生きたまま海へ投げ込む。投げ込まれた人は、その呪いの対象をひたすら恨む。恨んでも、成仏できるわけではない。呪った人も呪われた人も、救われません」
山の端が朱に染まる。
「故意なのか偶然なのか分かりませんが、海に沈んだ人の中に、呪術者の身内が混ざっていたのでしょう。呪う対象者の生き血を得ることで、呪いは成就したのだと皆が錯覚する。すると、呪う必要がなくなる。そんなところでしょうね」
それでも、ミサキの呪いに引き寄せられた、邪霊がいまだ残っているので、身の周りには気をつけるように言われた。
恭介が海底から来たものから贈られた、ピンク色の玉を柏内に見せた。
「呪い返しの玉です」
縁側で、三人は、柏内が用意した冷たい玉露茶を飲んだ。
「今夜は花火が見られますよ」
高校生男子たちの目が輝く。
「花火の元は、大陸の爆竹ですが、そもそも爆竹は、悪霊や疫病を祓うものです。あなた達に憑いてきていた諸々の霊も、祓われていくでしょう」
白井の自宅で三人が花火に歓声を上げていた頃、関越自動車道で交通事故が発生していた。
事故車を運転していたのは、新堂陽介。
彼は、柏内や恭介が待つ場所へ向かっていたのである。




