【第三部】 開始 六章 遺伝子と環境 8
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「多分、これも憶測に過ぎないんだけど、俺が溺れそうになったのも、侑太の母の指示だと思う。運よく俺が溺れたら、水難事故で片付けられたろうな」
恭介は軽いあくびをした。
「すまない。もう少し話したいけど、さすがに疲労した。ちょっとシャワー浴びてくる」
悠斗は窓を開け、空気を入れ替えた。
そして、たばこに火を点けると、外に向かって長く煙を吐いた。
「ねえ、悠斗」
白井は悠斗の背中に向かって話しかけた。
「松本…っていうか、藤影か、あいつ、昔からあんな風なの?」
「キョウって呼べばいんじゃね? あんな風って?」
「いつもはそんなに喋らないけど、スイッチが入った瞬間、すげえ多弁になるっつうか。難しい日本語いっぱい使うし…」
悠斗は煙草の火を消し、白井に向き直る。
「そうだな、昔からだ」
悠斗は持参していた炭酸飲料を取り出し、一本白井に投げた。
「あいつ、昔から何でもできたよ。勉強はもちろんだけど、絵を描かせても上手かったし、ピアノやバイオリンも弾けたし」
さすがにお金持ちのお坊ちゃんっぽいと、白井は思う。
なるほど、美術部に入ったのも、元々、絵を描く力量があったのか。
「だけど、感情を表すのが下手で、クラスの中では無口だった」
悠斗から貰った炭酸は、温くなっていて爽快感は少ない。
「あいつの親父さん、藤影理事長は、芸術に秀でるよりも、男子は拳で語るべし、みたいな信念があってさ、キョウに対して叱咤激励というか、罵詈雑言というか、いつも厳しい躾をしてたよ」
叱咤激励と罵詈雑言は、だいぶ違うのではないだろうか。
「侑太はキョウの従兄だけど、見た目も違うし、性格は真逆だ。学業全般はキョウの方が良かったけど、体力は侑太の方が上回っていたな。多少やんちゃでも活発な侑太を、藤影理事長は可愛がってた」
話を聞いた限り、生徒会長藤影侑太の素行は、「多少やんちゃ」程度ではないだろうに。
「だからって、息子の恭介を亡き者にして、あんな人格破綻者の侑太を、後継ぎの養子にするかなあ」
悠斗の疑問はもっともだろう。
生温い炭酸は、後味がヘンに舌に残る。
「俺が藤影創介の実の息子じゃなくて、新堂侑太が創介の血を分けた息子だとしたら?」
いつの間にか、シャワーを終えた恭介が部屋に戻っていた。
メガネ無しの素顔に、濡れたままの髪。
うわっマジ美形!
「キョウ、お前、何…」
「少なくとも創介は、そう信じた。だから俺を排除しようとしたんだ。侑太の母は、元々創介の恋人、だったみたいだし」
何そのドロドロ!
ということは何ですか。キョウの本当のお父さんって、誰よ!
「ただ、原沢の親父さんから『藤影社長に似ている』と言われて、少し思うところがあってね」
「あの、きょ、キョウのお母さんから、何か話聞いてないの?」
おずおずと、白井が問う。
「まったく何も。それに…こっちへ戻ってから、会ってもない」
「会いにいかないのか?」
悠斗の問いに恭介は小さく息を吐き答えた。
「今はまだ、会えない。でも、代わりに事情を知ってそうな人たちに、会いに行くつもりだ」
「誰?」
「一人は母方の祖母」
恭介は白井に向かって微笑む。
「もう一人は、白井のお祖母さん、柏内さん」
白井はドキッとする。
「いいけど、え、ばあちゃん?」
「そう、柏内さんに協力していただき、呼び出してもらおうかと思ってる」
俺にもくれと言って、恭介は悠斗の飲みかけの炭酸に口をつけた。
「新堂陽介。侑太の父親を」




