【第三部】 開始 六章 遺伝子と環境 7
7
「そもそも、あの伝説は、どこかおかしいと思う」
恭介は、部屋に置いてあるポットのお茶を一口飲んで、話始めた。
「おかしいというか、突っ込みどころ満載というか。第一に、こんな限られた土地で生活していたら、近隣の噂など、すぐに聞こえてくると思う。でも女性は相手の動向を知らなかった。第二に、この海岸付近には、飛び込めるほどの岩場がない。入水なら、まだわかるけど」
悠斗と白井もお茶を啜った。ノドが乾いていた。
「第三に、『月の綺麗な晩は、漁に出ない』と、あのじいさんは語ったけど、満月の夜は漁を休むという風習は、昔から全国にある」
白井は海なし県で育ったため、知らなかった。
「だから、あの話は、何か省略されて、本当の出来後が隠されたか、もしくは」
恭介が髪をかき上げた。
「隠したいことがある誰かが、捏造したものじゃないかと、俺は思ってる」
「捏造って、作り話ってこと?」
白井の問いに恭介は頷く。
「この辺りには、元々、ヤマトタケルの東征の時の言い伝えがあるんだ」
古事記によれば、ヤマトタケルは神奈川方面から、船で房総半島を目指したという。
その時、激しい嵐に見舞われたため、海の神の怒りをしずめるために、ヤマトタケルの最愛の姫が入水したのだそうだ。 所謂、人柱である。
姫を飲み込んだ海は、おだやかになり、ヤマトタケルは無事に、房総の地へ渡ったのだ。
「女性が海に沈んだという話は、推測だが、古事記からの転用だと思う」
恭介が手に取った貝殻から、ころん、と一つの球体が出た。
ビーズくらいの大きさの、淡いピンク色の玉である。
「確かに、返してくれたんだな」
「キョウ、あのじいさんの話と、お前が侑太に殺されかけたってのと、どうつながるんだ?」
悠斗が怒ったような口調で尋ねる。悠斗が心配している時の言い方だ。
「ああ、ごめんごめん。これから話すよ。殺されかけたのは昼間。その夜、じいさんの話を聞いた」
意識を失いかけた恭介は、水底に沈んでいった。
そこには、八人の女性が円形を作るように、縄で縛られていた。
長い黒髪は藻のようにたなびき、黄色く光る眼で恭介に言う。
―……ください あなたの……―
ください?
何を?
―あなたの血をください ほんの少しでいい―
十六本の腕が伸び、恭介の体を掴んだ。
恭介の口には女性たちの髪が入り込み、息を吐くことも出来なくなった。
―血を分けてくれるなら、助けてあげましょう―
パニック状態になっていた恭介は、訳もわからぬまま、頷いたのだ。
一人の女性が長い爪で、恭介の首を切った。
螺旋を描きながら落ちて行く血液を、女性らは貝殻で掬っていた。
―いつかお返しいたします 必ずお返しいたします―
恭介が覚えているのは、ここまでである。
気が付けば、砂浜に横たわっていた。
「砂浜で目覚めた時は、夢かと思って気にしないようにしたけど、その日の夜、地元の怪談じみた話を聞いて、水底の風景を思い出した。首にはうっすらと傷跡があったし」
そういえば、と悠斗は思い出す。
あの晩の恭介の怯えは、尋常ではなかった。
布団に入っても、体は小刻みに震えていて、体は冷え切っていた。
「ヒロ、たまにネットで怖い話、見てるだろ?」
「うん、たまーに」
「呪いを作る方法とか、載ってないか?」
「ああ、『蟲毒』とか、『犬神』とか、ね」
虫や動物を使って、誰かを呪うといった方法は、それこそ昔から伝わっている。
「あの八人の女性は、呪術を実行するために、海に沈められた人たちだと思う」
恭介がそう言った瞬間、悠斗と白井の脳内に、残酷な画像が浮かんだ。
沖に出た船から、縛られた女性たちが、次々と海に投げ込まれていく。
「そんな、誰が、何のために…」
白井の声が震えた。
「やったのは、おそらく新堂家」
新堂と聞いて、悠斗はハッとする。
「侑太の母親、新堂香弥子は、この辺りの出身だ」




