【第三部】 開始 六章 遺伝子と環境 5
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涙でぐしゃぐしゃになったまま、白井は魚を釣り続けた。
アジを何匹か釣ったあと、アオリイカやスズキ、大きなヒラメまで釣り上げた。
「すげえじゃん、白井」
悠斗に誉められ白井は照れた。
照れ隠しに白井は尋ねる。
「悠斗はいつ、松本イコール藤影恭介って気づいたの?」
「初めて校舎の中で顔を見た時、ていうか、目が合った時、かな」
え、という顔で恭介は悠斗を見た。
「眼差しが、俺の記憶の中のキョウの目付きと、一緒だった」
恭介は竿に視線を戻す。
あの日、階段で会った時に、悠斗は自分に気付いてくれていたのか。
恭介の口元に微笑が浮かんだ。
「でも、まさかと思ったし、あの頃は侑太のパシリやってたから、負い目があって、話かけたりできなかったよ」
「初めて会話したの、猫カフェだったな」
恭介が微笑を浮かべたまま言う。
「猫、助けてもらったし」
恭介と悠斗は、猫話で盛り上がる。
猫好きかい、二人とも
「でも、悠斗はなんで、生徒会長の下についてたの?」
白井の質問に一瞬悠斗は目を閉じる。
「俺のおふくろが、人質になってた」
なにそれ!
高校生のやることですか!
白井は思わず聞いてみた。
「ねえ、あの生徒会長って、どんな人?」
恭介と悠斗は顔を見合わせる。
「他人が嫌がることを、するのが趣味…」
「欲望の権化。なんでも欲しがる。目的のためなら、手段を選ばない」
「よくそれで、生徒会長とか選ばれたな」
恭介は思い出すように答える。
「小学部の頃から、人気はあったんだ、侑太」
悠斗も頷きながら言う。
「特に女子人気が高かった。アイツ、魔術か呪いか何か、使ってるんじゃないか」
「原沢に言わせると、『真正マジモンのキチ』だそうだし」
二人の会話を聞き、なるべく関わりたくない相手だと、白井は思った。
関わらなくて済むのであれば…
恭介の手元がピクリと反応した。
巻き上げると縞模様の変わった形の獲物。
「サメ、かな」
「ああ、ネコザメだ」
また猫かい!
風が強くなってきた。
「そろそろ旅館に帰ろう」
釣った魚を旅館に預け、三人は布団に横になった。
時刻は午前一時を回っていた。
「枕投げでもするか?」
そう言いながら、悠斗は白井に枕を投げた。
見事、白井の顔にヒットする。
「やったな!」
お返しだと白井も枕を投げたが、なぜか枕は恭介の顔に落ちた。
「臨海学校で、俺、集中的に枕ぶつけられたっけ」
恭介は笑う。
でも、今は、やられたら、やり返す。
恭介は素早く、白井に枕を投げ返した。
「臨海学校の時、地元のおじいさんが、この辺りに伝わる民話を話すっていう時間があったんだ」
「ああ、あったあった。 濡れ女とかなんとか」
「そのおじいさん、ぼそぼそ話すのが、なんだかリアルで怖くって、俺、泣いちゃったんだよね」
「どんな話だったの?」
枕を抱きかかえた白井が聞いた。
それは昔むかし。
ある恋人同士が身分の違いを理由に、別れさせられた。
二人で遠くへ逃げようと約束したのだが、男は心変わりして、親の勧める縁談を受けてしまう。
約束した日、いつまでたっても男は来ない。
女は、海を渡る鳥たちから、男の心変わりを教わり、絶望して身投げする。
海の底であなたを待ちます。
あなたがやって来るまで待ちます。
あなたが来ないのならば、月夜の波を渡り、あなたを迎えに行きます。
私の手に触れたなら、あなたも海の底に行けるのです。
いつまでもいつまでも、一緒です。
この海岸の若い男は、あまりに月が綺麗な晩は漁に出ない。
海の底に連れていかれるから。
そんな話だった。
「だから、そろそろ来る頃だと思う」
さらりと言う恭介の言葉の意味を理解した瞬間、白井は全身が総毛だった。
海側の窓を叩く音が、はっきりと聞こえた。




