【第三部】 開始 六章 遺伝子と環境 4
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波音は一定のリズムを持って、満ち引きを無限に繰り返す。
上弦の月は、波がしらを柔らかく照らす。
恭介、悠斗、白井の三人は、旅館から徒歩五分ほどの防波堤で、釣り竿を垂らしていた。
竿は旅館で借りた。
「良い釣り竿だな」
恭介は器用に餌をつけ、手首の力だけで竿を操る。
「釣りなんて、何年ぶりだろう」
などと言いながらも、悠斗は三人の中で、一番遠い水面へ糸を放る。
「え、何この蠢くもの! これが餌なの?」
ぎゃあぎゃあ騒ぎながらも、白井は恭介に教わりながら、初めてのキャスティングを行う。
「そういえば、キョウって釣りしたことあったっけ?」
思い出したように悠斗が聞く。
「うん。教わった。地底で」
きょう?
今日?
え、名前?
顔に疑問符が浮かんだ白井を見て、恭介は小さく息を吐いた。
「俺、本名は、藤影恭介」
「ふじかげ? 生徒会長と同じ苗字…」
「ああ、侑太は俺の従兄だった」
だった?
何故過去形…
「本名ってなんで? 今の名前は…」
「藤影恭介は、戸籍上はもう、この世にいない人だから」
「そうそう、俺なんか、何回も墓参り行ったし」
より一層訳が分からないといった白井の表情に気付き、すまなそうに恭介は話を始めた。
「小学部五年生の時、俺、海に突き落とされたんだ」
「ええっ?」
「突き落としたのは侑太と、原沢、戸賀崎、牧江たち」
なんですって?
「俺を、海に沈めて、殺害しようとしたんだ、彼ら」
ふんふんと聞いていた白井は、うめき声を上げた。
「いやいや、ちょっと待て」
白井は頭を振った。
「生徒会長は別にして、あとの三人のこと、お前、結局助けてない?」
悠斗が笑う。
「そういえばそうだな。お人よしにも、ほどがあるぜ」
「そうかなあ。まあ、俺、侑太以外にはあんまり、恨みないから」
ちゃぽんと何かが跳ねる。
雲が月を横切っていく。
「あ、引いてる」
恭介はリールを巻く。
銀色の小さな魚が一匹、かかっていた。
すぐさま、恭介はリリースする。
「あっ! 逃がしちゃうの?」
「うん」
新しく餌を付けながら恭介は言う。
「もっとも、侑太が描いた計画でもなかったけどな」
すいっと恭介は竿を投げた。
「俺を殺そうとした張本人は」
再び月は姿をあらわにする。
「藤影創介。俺の父親だ」
月の光で恭介の睫毛は、頬に影を作っていた。
聞いた白井は瞬時に理解できなかった。
学園理事長、藤影創介。
たしかこの前、壮行会に来ていた大物の経営者。
あの人が、父親?
実の息子が父親に、殺されかけた?
なんで?
親子だろう!
「いいなあ、白井は。 お父さんと仲が良くて」
そう言った恭介は、どことなく寂しそうだった。
俺
何も考えないで、親父のこととか喋ってた。
昨日、クソおやじがさあ、とか言ってたけど、それが当たり前だと思ってた。
みんな
同じようなものだと勝手に
そうじゃない人生とか
そうじゃない生活とか
全然想像してなかった。
白井の目から、ぼろぼろと涙が溢れた。
「ごめん。ごめん! 俺、何にも知らないで…」
白井の泣き顔を見て、恭介は焦った。
「すまない白井! 驚かせてしまったね」
白井は涙を流しながら、ぶんぶん頭を横に振る。
悠斗は白井の肩を叩く。
「引いているぞ、白井」




