【第三部】 開始 六章 遺伝子と環境 3
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恭介らは、宿泊予定の旅館にチェックインしたあと、近くにある水族館に行った。
ここいらで釣りを楽しむには、夜か早朝がベストだと、旅館の人に教えられ、釣りは夜にまわした。
「海に来たんだから、泳がない?」
白井は水着持参で来ていたが、恭介は済まなそうに白井に伝える。
「ごめん。海で泳ぐのは、ちょっと苦手なんだ」
白井はさして気にもせず、
「わかった。その代わり、水族館行かない? 親父が割引券くれた」
水族館で海獣たちのショーを見てから、屋外のベンチで三人揃って海を眺めた。
「なんか久しぶり、夏のイベントって気分!」
白井は空に向かって両腕を伸ばす。
「久しぶりっていえば、ここ小学部の時に来たな」
悠斗が恭介に問う。
「うん。泊まる旅館も、外観は変わってたけど、あの時と同じだよ」
悠斗は、「えっ」という声を飲み込む。
白井は二人の会話を聞き流すことにして、悠斗に尋ねた。
「ねえねえ、昔の二人の写真とか、ない?」
恭介の手元には、何も残っていないと告げる。
「俺、あるよ、見るか?」
悠斗はスマホに一枚だけ、二人で映っている写真を保存していた。
そこには、青い海と空を背景にした、小学生の恭介と悠斗が肩を並べていた。
「ええええ-! 何これ、マジ超可愛い! これ、松本? 悠斗はわかる。面影あるある」
可愛いを連呼する白井に、恭介は苦笑せざるを得ない。
「俺、こんな顔だったっけ。何時撮ったの? この写真」
「多分、臨海学校の時。牧江かな、撮ってくれたの」
白井は真面目な表情になる。
ずっと気にはなっていたが、聞いてはいけないような気がして、今まで聞けなかったこと。
「ねえ、松本って、やっぱり小学部の時、ウチの学園にいたの?」
「うん。白井には黙っていて悪いなって思ってた。巻き込んだら面倒かけるし」
もう結構、巻き込まれてますけど、と白井は思う。
「だから、今日は話すよ、全部。釣りしながらでも」
そう言うと、恭介はメガネをはずし、長めの前髪をかき上げた。
うわああ、超イケメン
白井は声にならない叫びを上げた。
メガネなしの恭介の顔を、間近で見たのは初めてだった。
美少女みたいな少年は、年を経て美青年に成長していたのか。
ちょっと残念のような、でも軽くムカつくような感情が白井に生じる。
例えていえば、元気がとりえだった幼馴染のコが、同窓会で会ったらスゴイ美人になっていて、別の学校で彼氏を見つけてた、みたいな…?
いや、違うか。わかんねー
その白井の感情は、夜、恭介の過去の話を聞いて、純粋な憤りに変わる。
憤りの対象は、もちろん恭介ではなく、狩野学園高等部生徒会長、藤影侑太である。
藤影侑太は、母香弥子の晩酌に付き合わされていた。
ワインをがぶ飲みしながら、香弥子は大声で笑い、時には泣き、侑太にしなだれかかる。
それは息子に対するスキンシップのレベルを、遥かに越えている。
侑太の外見はもとより、気質や性格は母の遺伝が濃い。
遺伝だけではない。
香弥子は超のつく、負けず嫌いである。
自分の欲しいものは、どんな手段を使っても手に入れてきた。
思い通りにならない世の中なら、滅んでしまえばいい、とさえ公言している。
息子の侑太に対しても、香弥子は自分の価値観を幼少の頃から擦りこんでいた。
「あたしがどんなに呪っても、亜由美はくたばらないのよね」
酔った勢いで、香弥子はそんなことを口にする。
「亜由美の息子が行方不明になった時、自殺でもするんじゃないかと期待してたんだけど」
藤影の嫡男である恭介に対して、侑太は三歳児の頃、既に殴ったり噛みついたりしていた。すべて香弥子の指示である。
「香弥子さん」
侑太は母のことを名前で呼ぶ。これも香弥子がさせている。
「恭介のことも、呪っていたの?」
「当たり前じゃない。あたし、特別な技を受け継いでいるもの」
香弥子は侑太のシャツのボタンをはずし、首から胸にかけて爪を立てた。
爪痕から、薄く血が滲んでくる。
「いずれ、あんたにも伝授するわ」
にじみ出た息子の血を、香弥子は舐めた。




