【4】
「――いたぞぉおおおおっ!! 聖{ウー}エウァンシェリルだぁああああっ!!
隠し通路から出てきたぞおおおおっ!!」
私たちの目の前には、何十人もの敵兵たち。
こっちはふたり――ひとりとゴリラ1頭だから、圧倒的な人数差だ。
でも、これで終わりじゃない。
今はまだ『何十人』程度だが、すぐにもっと大勢集まり、何百、何千という数になっていくだろう。
今もそこらじゅうから兵たちの足音が近づいてきていた。
「ときに聖女さま」
イケボゴリラがあらたまってイケボで私に訊ねる。
「今さら、こんなときになんだが――
なぜ、きみは脱出しようというのに、そのような服装なのだね?」
たしか『今さらこんなときになんだ』ではあるんだけど、言いたいことはわかる。
わたしは今、純白の絹のドレスに、教会の紋章を赤く染め上げたケープ、ルビーの粒で飾られた金の冠と首飾りという、聖女の式典用の姿だった。
とても目立つ。
普通に考えて、逃亡のときに着るものじゃない。
ドレスなんて、土むき出しの隠し通路を通ってきたというのに、服にかけられた魔法のせいで泥汚れひとつ無く、まぶしいほどに真っ白だった。
「これは――ゆうべ、聖なる|戦{いくさ}だから式典用のドレスを着ろと、御世話係のマーヤ・ヤーマが……。
それで、急に脱出することに決まったので、着替える暇が全然なくって……」
つまり、このドレスもあのマーヤ・ヤーマの策略だった!
昨日の夜から私をおとりにして逃げる準備をしていやがったのだ。
念入りなことだ。
ちょうど遠くから風に乗って、私をあざ笑うように、
「――聖女は隠し通路で南の森に逃げました!!
南に兵を向けなさい!!」
という、あの裏切り者の声が聞こえてきた。
気がつけば、あたり一面、敵の兵士だらけ。
見えるだけで何百という数に囲まれている。
後ろの方には、さらに千や二千といった大軍が控えているのだろう。
同時に、大聖堂の包囲には隙ができていたに違いない。
すべてはあの老修道女の計略通りに進んでいたのだ。
「もうっ! マーヤ・ヤーマめ、なんというくそばばあなんでしょう!」
「感心できないな、聖女さま。
美しいご婦人を、くそばばあなどと呼ぶのはどうなのか」
「はあ? ローランドさんは裏切られて悔しくないんですか?
私たち、ここで捕まっちゃうんですよ?
そうでないなら殺されるかもしれないんですから!」
それに、悪口を抜きにしてもマーヤ・ヤーマはお婆さんだ。
一般的に『美しいご婦人』の範疇には入るまい。
ただ、ゴリラにとっては美人の基準が違うのか――、
「はは。裏切られて悔しいか、か?
少しも悔しくないとも。
裏切りは美女のためのアクセサリーだ。
あの|女性{ひと}には似合う」
と、こんなときなのに、妙にかっこうつけた台詞を口にした。
かっこつけイケボキザゴリラだ。
「それと、涙は乙女のためのアクセサリーだ。
きみには似合う。泣いていい」
「泣きません。乙女ですが子供ではありませんので」
「そうか。だったら私の背中におぶさるといい」
「……? なにが『だったら』なのです?」
「泣いていたら背中が濡れて気持ち悪い」
なるほど。
――そして彼は、背負っていた剣を鞘ごと外し、私が乗りやすいよう身をかがめる。
「しっかり掴まっていたまえ。
ゴリラの背中は、世界で一番安全な場所だ」
あまり聞いたことのない話だったが、私は言われるままにローランドの大きな背中におぶさった。
ぎゅうっと力いっぱい抱きつくと、ごわごわかと思っていた背中の毛は意外にもふかふかだ。
干したての毛布の匂いがする。
「危険は無い。言ったはず。
森の中で|私{ゴリラ}にかなう人間などいないのだからな」
ローランドは、剣を抜く。
幅広で分厚く、長さも幼児の背丈ほどある鉄の塊のような両刃剣。
巨漢のゴリラが手にしてすら巨大すぎる。
振るうと、ごうっ、と大気が震えた。
力強い動きをしたはずなのに、体幹はほとんど揺れない。
背中の揺れはゆりかごよりもおだやかだ。
敵兵たちの顔からは恐怖で血の気が引いていく。
「聖女さま、しばらく目をつぶっているといい。
ご婦人には見せられない残酷描写があるかもしれん」
――目をつぶると、ゴリラの背中はさらに広く頼もしく感じられた。




