【3】
わたし――神聖ル・ウース教会六代目聖女 |聖{ウー}エウァンシェリルは前の前の前世が、異世界“地球”の人間だった。
日本人だ。
あっちで死んで、こっちの世界に転生してきたのだ。
当時のことは、あまり思い出したくなかったけど……。
ともあれ、もと地球人である私は、ゴリラというものを知っている。
地球の日本では、ゴリラは『かっこ悪くて不細工な生き物』の代表格たる存在だ。
御世話係の老修道女マーヤ・ヤーマは『ちょっと素敵な男性』と言っていたが、それが私にはどうにも違和感ばりばりで、お笑い草ですらあった。
「どうした、聖女さま。
答えたくないのかね?」
ローランドは先ほどの『君も地球から来た人間なのだろう?』という問いの返事を聞きたがっていたみたいだが――、
「ならば答えなくていい。
誰しも触れられたくない問いはある。
余計なことを訊ねた私を責めてくれたまえ」
「いえ……」
(やっぱり、このひと、声はかっこいいのよね。
ゴリラのくせに)
イケボゴリラだ。
それに、やはり紳士だった。
言いたくないことには触れずにいてくれる。
「詫びとして、私も質問を受けよう。
たとえば――私がなぜ人間の言葉を喋れるのか気になるのではないかね?」
「ええ、それはもちろん……。
私の知るゴリラは、言葉なんて喋れませんでした。
もしかして、なにかの魔法か御加護によるものでしょうか?」
言い伝えによれば異世界から転生や転移してくる者には、たまに神の|加護{チート}として特別な力を得るという。
このゴリラが喋れるのも、それのおかげなのかと思ったが――
「いいや。
地球では秘密なのだが……本当はゴリラはもともと喋れる」
全然違った。
あまりにも意外な答えだ。
「は……?
ご冗談でしょう?」
「本当だ。
ゴリラが人間を大きく上回る知性を持っているのは知っているだろう?」
「頭がいいとは聞いていますが……」
『人間を大きく上回る』というのは初耳だった。
「我らゴリラは理性的かつ温厚な種だ。
人間種との争いを避けるため、全ゴリラ部族間で締結したキリマンジャロ協定にて
『人間の前では言葉を使えないかのように振舞う』
と決めていたのだ」
「はああ?
やっぱり、ご冗談でしょう!?」
けど、実際にこうして喋ってる以上、冗談ではあり得なかった。
「でも、こっちの世界の言葉は、地球のアフリカの言葉と違うのではないですか?」
「ああ。それはさすがに勉強した。
最初の10日ほどは苦労したよ」
つまり、たったの10日でほかの世界の言語を使えるようになったってこと!?
それが本当なら、たしかに『人間を大きく上回る知性』だ。
「じゃ……じゃあ、もっと質問しますけど、どうしてローランドさんは――」
「おっと、悪いが質問コーナーは一旦中止とさせてもらおう」
「えっ? なぜです?」
「そろそろ出口が近いからだ」
本当だ。
通路の先が、ほんのりかすかに光っている。
陽光が出口の外から漏れ差し込んでいたのだ。
もう少し歩くと、目の前には青銅でできた扉が現れる。
ここが出口。
扉の外側は、神聖魔法の力で大きな石に偽装されているのだとか。
この外は、大聖堂の裏手に広がる鬱蒼とした森の中。
さすがに敵の包囲も途切れているはず。
「聖女さま、森に入ってしまえばもう安全だ。
森の中なら私にかなう人間はいない」
さすがゴリラ。頼りになる。
安心し、私はほっと一息。
同時に、大聖堂に残った人たちのことを思い出す。
あそこは悪い教会ではあったが、仲のよかった人や親切な人もいた。
私は逃げ延びるけど、ほかの人たちはみんな死んでしまうのだろう……。
(御世話係のマーヤ・ヤーマも……。
彼女のことは別に好きじゃなかったけども)
でも、あの老修道女は、私を逃がすために大聖堂に残り、死ぬまで戦い続けるという。
口うるさくて厳しいが、自分にも厳しい人だった。
筋が通っている。
立派な人だ。
『こんな歳のくせして枢機卿の百合愛人って噂だから、もしかして枢機卿のご機嫌を取るために私に厳しくしてるのでは?』と疑ったこともあったけど、本当に尊敬できる人物だったのだ。
(あの人は、教会が滅んでも私がいれば再興できると言っていた……)
彼女のためにも生き延びて、再興させた方がいいのだろうか。
神聖ル・ウース教会は完全なクソ宗教と思ってたけど、あのマーヤ・ヤーマみたいな人もいるのだ。
そこまで完全なクソ宗教でもなかったのかもしれない。
少なくとも、あの老修道女の願いくらいは聞き入れてあげるべきか――。
「聖女さま、扉を開けるぞ」
「はい。お願いします」
――ぎぎぎぎい……っ
さびついた音と共に、重い青銅扉を開けると……、
「――いたぞぉおおおおっ!! 聖{ウー}エウァンシェリルだぁああああっ!!
隠し通路から出てきたぞおおおおっ!!」
敵の兵士たちがいた!
何十人も!
「えっ、どうして……!?
なんで、脱出したのばれてるのでしょう!?」
しかも、隠し通路のことまで知られているなんて。
いったい、なぜ――。
「『どうして』というなら、答えはあの声のせいだな」
「声?」
耳をすませば、うんと遠くから女のしわがれ声が聞こえてきた。
聞き覚えのある声だ。
「――聖女は隠し通路で南の森に逃げました!!
南に兵を向けなさい!!」
「あの声、マーヤ・ヤーマ!?」
御世話係の老修道女マーヤ・ヤーマの声だった。
どうやら城壁の上から、敵兵たちに向かって声を張り上げているらしい。
「マーヤ・ヤーマが、どうして……。敵と内通していたのでしょうか?」
「いいや、違うな。
敵軍の注意をきみに向けさせ、その隙に自分たちは逃げる気なのだ。
最初から計画していたことなのだろう」
「つまり、私はおとりってこと!?」
やっぱり神聖ル・ウース教会は完全なクソ宗教だった。
ぜったい再興なんてさせてやらない。
ともあれ、私は絶体絶命だった――。




