91.純真な少女
クオンが住んでいる家の周りには、警備のために複数の兵士が配置されていた。
家の中にも家政婦以外に、ソームズ公が信頼を置く騎士が交代で住んでいるという。
こんな事態になったからには、刺客も警戒しなければならない。
既に政人たちが来るという連絡を受けていたようで、クオンとミーナが玄関の前で待っていた。
政人の姿を見つけたミーナが、駆け寄ってきた。
そのまま体当たりをするように、激しく抱きつく。後ろからタロウが支えてくれなければ、倒れこんでいただろう。
「…………!」
「元気だったか、ミーナ」
相変わらず口が利けないミーナを、優しく抱きしめてやる。ミーナはそのまま、政人の胸に顔をうずめてきた。
……後ろから、視線を感じた。ちらっと振り返ると、ルーチェが睨んでいるのが目に入った。
政人はなんとなく怖くなって、ミーナを優しく引き離した。
ミーナの後ろには、照れくさそうに笑っているクオンの姿があった。
おそらくミーナがいなければ、クオンが真っ先に政人に駆け寄っていただろう。
政人はクオンに近づいた。
「クオンは俺たちの主君」と言った政人だが、彼が即位するまでは臣下の礼をとるつもりはない。
クオンは主君であると同時に、弟のような存在でもある。
「ただいま、クオン」
腰をかがめて、頭をポンとなでてやる。
クオンの顔が綻んだ。
「うん。おかえりなさい、マサト」
クオンはそう言った後、もじもじしている。
彼もミーナのように、政人の胸に飛び込みたいのであるが、ソームズ公やロッジたちの視線が気になって動けないでいる。
こんなときに恥ずかしさを感じるようになったのも、彼が成長した証であろう。
そんな二人の様子を、皆は微笑ましく眺めていた。
食堂のテーブルに皆が集まった。
ロッジとハナコはクオンとは初対面だったが、すぐに彼を好きになったようだ。
今のクオンには、人を惹きつける魅力がある。聡明さと幼さが同居していて、敬意を抱くと同時に、守ってやりたくもなるのである。
政人は、さっき皆で話し合ったことをクオンに話した。
タンメリー女公との会見のこと。ロッジと協力関係を結んだこと。
これから政人たちとロッジは、ジスタス公領を王家の支配下から取り戻しに行き、ソームズ公は敵が攻めてくるのに備えて準備をする、という作戦を説明した。
クオンは政人たちの話を、じっと聞いていた。
ちなみにミーナも同席しているが、気が散ることが多いのか、あまり話を聞いていない。ハナコの尻尾を握ったり、政人の髪をいじったりして遊んでいる。
だが、その様子から、以前の元気さをかなり取り戻したように見えて、政人は嬉しかった。
「話はよくわかりました」
クオンは納得したように言った。「それで、僕は何をすればいいですか?」
「クオンは、俺たちと一緒にジスタス公領に来てほしい」
政人がそう答えると、クオンは嬉しそうな顔をした。
「はい!」
クオンを連れていくことには、危険ではないかと反対する声もあった。自分の足でろくに歩いたことのないクオンに遠くまで旅をさせるのは、無茶ではないかとも思われた。
だが、だからこそクオンを連れて行きたかった。
その目でいろいろな世界を見せてやりたかった。
その経験は、王になった後も活かされるだろう。
「じゃあ、ミーナちゃんはどうしますか?」
続けてクオンが聞いてきたので、政人は即答した。
「ん? もちろん置いていくぞ」
医者によれば、ミーナの声が出なくなったのは強い精神的なショックを受けたためで、ストレスのない穏やかな生活を続けていれば、いずれは治るかもしれないとのことだ。
政人たちと一緒にいれば、また怖い思いをするかもしれない。連れて行くわけにはいかない。
だが、政人の言葉を聞いたミーナは、タロウの耳を引っ張って遊んでいたその手を離し、政人に詰め寄った。
そして、頬を膨らませて、何度も自分を指さしている。おそらく「私も連れていけ」と言いたいのだろう。
彼女がこれだけ自分の気持ちを表現できるようになったのは、喜ばしい事ではある。
彼女を保護した直後は、ずっと心を閉ざしているように見えたのだから。
(とはいえ、連れて行くわけには――)
「マサト、ミーナちゃんも連れて行ってあげてくれませんか?」
「クオン?」
「ミーナちゃんは家族や友達を失って、マサトたち以外に頼れる人がいないんです」
クオンは優しい目つきでミーナを見た。「僕もそうだったので、彼女の気持ちがよくわかります。一人だけ残されるのは……耐えられません」
政人は、ミーナが元気になった理由がわかった気がした。クオンが近くにいて、親身になって世話をしてあげたからなのだ。
(確かに、ミーナを一人で残していく方が酷かもしれないな)
「俺はミーナを連れて行ってもいいと思う」
政人は周囲を見回して言った。「みんなは、どう思う?」
「君が責任を持って彼女の面倒を見るなら、よいだろう」と、ソームズ公。
「私は構いません。私の方でも、彼女を気にかけておきましょう」と、ロッジ。
「御主人様に従います」と、タロウ。
「我の尻尾で遊ばないならよいのである」と、ハナコ。
そして、皆の視線がルーチェに集まった。
ルーチェは何やらジトッとした目でミーナを見ている。
「どうした、ルーチェ」
「んー、よくわからねーんだ。なんか、モヤモヤする」
「どういうことですか? 声を出せない以外は、普通の女の子に見えますが」
ロッジが疑問を呈するが、ルーチェはうまく言葉にできないようだ。
ルーチェは、さっき政人とミーナが抱き合っていた光景を思い出している。
彼女は今までの人生で「嫉妬」という感情を抱いたことがなかったので、自分の気持ちがよくわからない。
「んー、まあ、アタシの気のせいだろう。いいぜ、アタシだけ反対してもしょうがねーしな」
どうやら全員賛成のようだ。
政人はミーナに向き直った。
「よし、ミーナ。一緒に行こう。もう君を一人にはしないと約束する」
それを聞いたミーナは、はじけるような笑顔を見せた。
(彼女の笑顔を見たのは久しぶりだな)
そう思ったら、ミーナは政人に抱きつき、頬ずりをしてきた。
(やれやれ、まだまだ子供だな)
そう思いつつ、政人はまんざらでもない顔をしている。
だが続けて耳を甘嚙みされると、体がビクッと震えた。
(おい、やりすぎだ!)
ミーナを引き離そうとするが、なぜか体に力が入らない。
抵抗する気が失せて、ミーナにされるがままになっていた。
その時、突き刺すような殺気を感じた。
まるで、いつの間にか獰猛な肉食獣の檻の中に入り込んでしまったかのように、恐怖で身がすくむ。
そうっと視線を横にやると、ルーチェの茶色の髪が、ゆらりと逆立っていくのが見えたような気がした。怖くてその表情は見たくない。
危険を察知したタロウが、慌ててミーナを政人から引き離した。もう少しで大惨事が起こっていたかもしれない。
「ミーナ……てめえ……」
いや、まだ危険は去っていなかったようだ。
ルーチェはミーナを睨みつけている。
その口から発せられる低い唸り声は、その部屋にいる者たちの心胆を寒からしめた――二人を除いて。
一人は、当のミーナである。彼女はルーチェの怒りなど、まるで気にならないかのように平然としている。
そしてもう一人は――。
「ルーチェ、大丈夫だよ。マサトはルーチェのことが大好きなんだから」
クオンがルーチェの肩をぽんと叩くと、逆立っていたルーチェの髪が、重力に従って下りてきた。どうやら怒りが収まったようである。
(クオンは猛獣使いの才能があるのかもしれない)
一同はほうっを深い息を吐く。
ミーナは誰からも憎まれないという、うらやましい性質があったはずだが、どうやら例外はあるようだ。
「ほら、マサト、立って」
「ん?」
クオンにうながされて立ち上がった。
「さあ、マサトがルーチェのことを、どれほど好きかってとこを見せてよ」
「何を言って……」
クオンに手を引かれ、ルーチェが座っている席の前に立たされた。
ルーチェは顔を真っ赤にしている。
その間、タロウはミーナを後ろから羽交い絞めにして押さえている。
(おいクオン、こんな状況で俺にどうしろというんだ。みんな見てるじゃないか。特にソームズ公なんて、いつも以上に険しい顔でにらんでるぞ)
「な、なあ、マサト……」
ルーチェが目だけを上に向けた。政人は女の子から上目遣いで見られるのに弱い。
(やばい、ルーチェがかわいい)
そっとルーチェの髪に触れた。ルーチェの体がびくっと震える。
ルーチェの顔をもっとよく見たくて、その顎に手をあて、ぐっと顔を上に向けさせた。
目が合った。
その表情は、まさに思春期の少女のように純真で、世界には自分と政人しか存在しないかのように、まっすぐに政人を見つめていた。
「ルーチェ……」
政人は、周りの目が気にならなくなっていた。そのまま顔を近づけていく。
だが、そこでルーチェの羞恥心が限界に達した。
「も、もう無理だー! マサトの顔を見られない!」
政人の胸を両手でドンと押し返した。そして椅子から立ち上がると、そのまま食堂を出て、さらに玄関から外へ出て、走り去っていった。
残された一同は、なんとも言えない気まずさに包まれた。




