80.ガロリオンの坂本龍馬
政人は、隣に立つルーチェに目を向けた。
(俺の心はまだ壊れたままなんだろうか?)
そうでなければ、なぜこんなにルーチェが可愛く見えるのか、説明がつかない。
ルーチェといえば、がさつで女らしさのかけらもない奴だったはずだ。
彼女に優しく抱きしめられたのは、つい先ほどのことだ。
そして、心に響く言葉をかけられた。
それだけで、ここまで舞い上がってしまうものなのか。
「ど、どうした? そんなに見つめられると……その、恥ずかしいんだが」
「あ、ああ、すまん」
慌てて顔をそらした。だがそこで、大変な事実に気付いた。
(ルーチェが恥ずかしがっているだと!?)
これまで一緒に長い間旅を続けてきたが、ルーチェが恥じらう表情など、ほとんど見たことがない。
ハナコが仲間に加わるまでは、多数の男たちの中で、女はルーチェ一人だけという状況が続いていた。
にもかかわらず彼女が恥ずかしがる場面を見たことはなかった。
だから、彼女には羞恥心は存在しないと思っていたのだが――そうではなかった。
(恥ずかしがる女の子というのは、なんでこんなに可愛いんだろうか)
しかもそれがルーチェとなれば、普段とのギャップにより、破壊力が倍増する。
(なんだか、ドキドキしてきたぞ。落ち着け、たしか漫画で読んだことがある。こういう時は完全数を数えて気持ちを落ち着けるんだったかな? えーと、6、28、496、8128、……次は何だっけ?)
「マサト、まだ何か悩んでるのか? アタシでよければ話してくれ。力にはなれないかもしれないが、一緒に悩むことはできると思うから」
政人の様子を見て勘違いをしたルーチェは、また健気なことを言って、政人の心を揺さぶってきた。
「ルーチェ……」
今度は目をそらさずに、ルーチェの目をじっと見つめた。ルーチェも政人の目を見つめ返してくる。
そのまま、互いの顔が近づいていこうか、という時――。
「ああ、その、君たち、私がいるのを忘れていないか?」
ソームズ公の声に、政人は慌ててルーチェから離れようとした。
だが、二人は手をつないだままだ。ルーチェが手を放そうとしないため、離れられないのだ。
「私の前で、よくも見せつけてくれるものだ」
ソームズ公は呆れたような声を出した。
政人がシャラミアを倒す決意を告げたのは、たった今である。
それを聞いたソームズ公は深くうなずいた。
だが、うなずいた後、考え込んで何も言わないものだから、つい二人だけの世界に入ってしまったのだ。
(だから、ソームズ公も悪い)
と、政人は思ったが、口には出さなかった。
政人たちとソームズ公は、今後の方針を確認しておくことにした。
検問所内に机と椅子を用意し、政人とルーチェとタロウ、そしてソームズ公が向かい合って座った。
「王家からは、私を引き渡すように閣下に要求してくるでしょうが、どうされますか?」
政人の問いに対して、ソームズ公はきっぱりと答えた。
「もちろん、引き渡すつもりはない。私もシャラミアには愛想を尽かした」
「引き渡し要求があるでしょうか。御主人様がソームズ家に保護されたことを知らないのでは?」
タロウが問いかけたので、政人が答える。
「いや、途中までは追って来ていたし、どこに向かったかの見当はついていると思う」
「でも、確証はねーんだよな? だったら、しらばっくれようぜ。マサトはここにはいませんってな」
「それで向こうは諦めるでしょうか?」
「普通に考えれば、それ以上問い詰めることはできないだろうな。シャラミアは女王になったばかりだし、ソームズ家を敵にまわすことはしたくないはずだ」
「だがシャラミアは普通ではない。そうでなければクロアの町を焼き討ちするなど、できるはずがない。女王の権力を疑っていないのだろう。ソームズ家を潰すいい口実ができたと思うかもしれぬな」
ソームズ公は険しい顔をさらに険しくして、そう言った。
女王にとってみれば、封建領主たる諸侯の力を削いで、中央集権化を目指したいと考えるのは当然のことだ。
「だったら戦争だ」
ルーチェは女らしくなったようにも感じたのだが、荒っぽい性格は変わっていないようだ。「あんた、王都で王家の軍を相手に完勝だったじゃねーか。向こうが攻めてきたら、迎え撃ってやればいい」
「王家だけが相手ならば勝てるが、女王は他の諸侯にも召集をかけるだろう。女王と諸侯が連合軍を組んで攻めてくれば、厳しい」
「敵は公都ホークランに攻めてくるでしょうね」
「だろうな。ホークランは領境の山地を越えて二日も行軍すれば着く。周りは平野だから、大軍が展開するのに支障はないだろう」
「あの都市の守りは、ガロリオン王国で最も堅いと評判ですが」
「まあ、簡単には落ちんだろうな。――ただし、タンメリー家が連合軍に参加しなければだ」
「そいつらはそんなに強えーのか?」
「タンメリー家は海軍が強力なのだ。我らは帆船しか持っていないのに対し、奴らはガレー船を何十隻も持っている。海戦では勝てない」
ガレー船は、大勢で櫂を漕いで進む船である。長距離航行はできないが、櫂というモーターが付いているので、自由に動き回ることができる。そのため海戦では強い。
帆船は風に左右されるので、遠距離の輸送用にはいいが、戦闘には向かない。
「なるほど、タンメリー家は海軍力でもって、湾内を制圧するでしょうね。その後は、海と陸の双方から攻撃されることになる。当然、海からの補給もできなくなる」
「そういうことだ」
ホークランの強みの一つは、海港を持っていることだ。
陸側を敵軍に囲まれたとしても、食糧などの物資を他国で購入して、港から運び入れることができる。
そのため、攻め手側は包囲による兵糧攻めはできない。先に兵糧が尽きるのは、大軍を擁する攻め手側だろう。
だが、港が封鎖されてしまえば、外界とのやり取りができなくなる。
「では、タンメリー女公を説得して、味方に付いてもらいましょう」
「そういや、マサトはあの婆さんとは友達だったよな?」
「何? そうなのか? では君は直接女公と交渉ができるのか?」
ソームズ公が意外そうに聞いてきた。
「いや、別に友達ではありません。仕事上の付き合いがあっただけです。――とはいえ、私なら確かに交渉はできると思います。女公は利に聡い方なので、ソームズ家との同盟にメリットがあると考えれば、受けてもらえるかもしれません」
政人がそう言うと、ソームズ公の眉間のしわが深くなった。
「女公が我々と同盟を結ぶなど、あり得んな。いや、こちらからもお断りだ。あの婆さんは信用できん」
「なぜですか? 私の印象では、女公は道理をわきまえた方だと思いましたが」
「女公は王国のことなど、どうでもいいと思っているのだ。自分の金儲けのことしか考えておらん。仮にタンメリー家が我々を助けるとすれば、それは何か魂胆があってのことだ。君は知らんだろうが、私や私の父は、あの婆さんには散々、煮え湯を飲まされてきたのだ」
(どうもこの人は、正義感が強いあまり、敵を作りやすいんじゃないだろうか。ジスタス公とも険悪だったしな)
「なあ、この状況じゃそうも言ってられねえだろ。負けたらおしまいだぞ」
ルーチェの言葉に、ソームズ公は考え込んだ。
「……そうだな。ではせめて中立でいてくれるように、女公を説得してもらえるか? 我々の敵にならなければ、それでいい」
(はあ……、ソームズ家とタンメリー家がこんなに仲が悪かったとはな)
そこで政人は気が付いた。この状況が日本史の幕末の状況に似ていることに。
つまり、長州藩と薩摩藩である。
有力大名である長州藩と薩摩藩はかなり仲が悪かったのだが、坂本龍馬の仲介により、この両藩は同盟を結んだ。薩長同盟は幕府を倒す大きな力となった。
同様に、ソームズ家とタンメリー家が同盟を結べば、王家を倒せるかもしれない。
(だが、俺なんかが坂本龍馬になれるだろうか?)
自信はないし、かえって悪い事態を引き起こすかもしれない。だが――。
『アタシが一緒に間違えてやる!』
ルーチェの言葉を思い出し、政人は腹を決めた。ソームズ家とタンメリー家で同盟を結ばせようと。
「わかりました。女公に会って、中立でいてくれるように頼んでみましょう」
「そうか、よろしく頼む」
「ただし、何の見返りもなく頼むのは難しいと思います」
「それはそうだろうが……金でも払うのか?」
「いえ、あくまでも対等な関係をつくろうと思います。ソームズ家とタンメリー家で交易を行うのです」
「交易だと?」
「はい、ソームズ家は遠い外国とは盛んに交易を行っていますが、すぐ隣のタンメリー家とは全く取引がありません。これは異常なことではないでしょうか?」
「昔は交易を行っていたのだが、我らの方が一方的な赤字になっていたので、父の代でタンメリー家との取引はやめたのだ」
「今なら、そうはなりません。ソームズ家は他国との交易で珍しい品をたくさん仕入れていますし、特産品のガラス製品もあります。それらの品を、タンメリー家は高額で買ってくれるでしょう」
政人は、まず商取引で関係をつくることが、同盟関係に発展する第一歩になると考えたのだ。
「それで、こちらはタンメリー家から何を買うのだ?」
「例えば、鉄鉱石です」
「なるほど、鉄か」
「はい、タンメリー女公領には巨大な鉱山があり、鉄鉱石を大量に採掘し、安く売っています。
ソームズ家は鉄鉱石をわざわざ、メイブランドやスランジウムなどの外国から輸入していますが、タンメリー家から買えば、さらに安く買うことができます。
長距離を船で運んでくる必要もありません。
これから戦争になる可能性が高いので、鉄製の武器や防具は多く必要でしょう」
「君は我らの実情についてずいぶん詳しいな。バーラから聞いたか?」
ソームズ公は改めて政人の知識に驚いたようだ。「確かにタンメリー家から鉄鉱石を買えればありがたいが」
「では私から、ソームズ家との交易の話を女公に提案してみましょう。利をちらつかせれば、王家に味方しないようにと頼みやすくなります」
「まあ、そこまで言うなら、やってみるがいい」
「でも、女公が御主人様を捕らえる可能性はないでしょうか?」
タロウが心配そうに言った。「御主人様を捕えて引き渡すようにという命令が、諸侯たちに出ているかもしれません」
「女公と俺たちは、それなりに信頼関係があるし、あの人が王家の命令に易々と従うとは思えないが……」
政人はルーチェに聞いた。「ルーチェ、どう思う?」
「行ってみようぜ。もし捕まえられそうになったら、アタシが助けてやるよ」
(それなら大丈夫かな)
政人はルーチェの言葉を信頼するようになっている。
「そうだな、どのみちハナコと合流するために女公領に行く必要はあったしな」
政人はソームズ公に向き直った。「わかりました。女公に会って交渉してきます」
「頼む。私は戦の準備をしよう」
「はい、でもそのまえに、我々にはやらねばならないことがあります」
「何かな?」
「クオンと会って、話をしなければなりません」




