76.取り返しがつかないこと
藤井政人は、人生は一度しかないという恐ろしい事実に対して、改めて絶望していた。
これがゲームであれば、リセットボタンを押してやり直せるのだろう。
だが、現実は変えられない。あの時ああしていれば、などと今になって考えてもどうしようもない。
クロアの町の四万人の人々は、すでに殺されてしまったのだ。
そして今、政人自身も牢に入れられている。
あの場にいたのがネフとギラタンではなく別の騎士だったら、その場で斬り殺されていただろう。
玉座の間で、廷臣たちが見ている前で、女王を侮辱したのである。それも、かなりひどいやり方で。
そんなことをしても、何がどうなるというものでもない。普段の合理的な思考をする政人からは、考えられない行為だ。
やはり彼は、どこか壊れているのかもしれない。
政人が入れられている牢は、奇しくも以前シャラミアが入っていたのと同じ部屋である。
所持品はすべて奪われ(といっても何も持っていなかったが)、白と黒のボーダーの囚人服を着せられていた。
政人は寝台に横になって考えた。
(どこで間違えたんだろうか)
この世界での政人の行動目的は「元の世界に帰ること」だったはずだ。
シャラミアを闇の勇者にしようとしたのも、英樹と協力して魔王を倒させるためだった。魔王を倒せば元の世界に帰ることができるからだ。
だが、いつの頃からか、女王擁立者たる自分に酔いしれていなかっただろうか。
王や諸侯と会って話をするなどという、日本で普通に生活していればありえない体験に、胸を躍らせていなかっただろうか。
戦争を勝利に導くなどという、ゲームのような状況を楽しんでいなかっただろうか。
戦争のことなど全く知らないくせに調子に乗って、ソームズ公に戦術の提案までしてしまった。
たまたまうまくいったが、政人の立てた作戦によって、敵のジスタス軍には多くの戦死者が出ている。そのことに心を痛めないほど、感覚がマヒしていた。
シャラミアを王位につければ全て丸く収まると思っていた。
自分の愚かさにうんざりする。
闇の勇者の件については、もう諦めるしかないだろう。聖司教が死んだので、儀式を実行できる者がいない。
英樹には申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
(何が『期待して待っていてくれ』だ。あんなことを手紙に書くんじゃなかった)
仲間のことも考えた。
(タロウには悪いことをしたな。いや、ルーチェやハナコにもだ。俺が死んだら、あいつらどうするだろうか。まさか仇を討とうとしてシャラミアを襲撃したりはしないだろうが……いや、ルーチェならやりかねないな)
あそこまで女王を侮辱した以上、死刑は避けられないだろう。残される仲間のことに思い至らないほど、政人は正気を失っていたようだ。
(クオンにも、また心の傷を負わせることになるな)
そして、どうしても考えてしまうのは、家族のことだった。
レンガルドに召喚されたばかりのころは、毎日のように両親のことを思い出していたが、日々の生活に追われて、だんだん思い出す頻度が減っていった。
挙句の果てに、異郷の地で死ぬことになった。呆れた親不孝者だ。
「何をやってるんだろうな、俺は」
声に出してみた。
だが、その声は空しく室内に響き渡った。鉄格子の外にいる二人の牢番も、何の反応も見せない。
(この国の死刑は、確か斬首だったな。まあ、一瞬で死ねるなら結構だ。火あぶりを採用している国もあるらしいからな)
政人は既に死を覚悟していた。
―――
「陛下、どうか寛大な処分をお願いします。マサトの気持ちを考えれば、捨て鉢になったとしても仕方ないかと」
ギラタンが政人の助命を進言している。
ネフも続けた。
「陛下が女王になるにあたって、マサトの功績が大きいことは確かです。恩赦を与え、罪一等を減じてはいかがでしょうか」
死刑にはするな、ということである。
ここは王宮内の会議室だ。
上座に座るシャラミアのほか、重臣たちが集まり、政人の量刑について議論している。
その中にはダンリーもいた。
「本気で言っているのかおまえら。奴は廷臣たちが見ている前で陛下を侮辱したんだ。もうその噂は城中に広まっている。その内、街にも広まるだろう。ここで厳罰を加えなければ、陛下の権威が地に落ちるぞ」
「そうじゃねえ、ここで寛大さを示すことは民衆の支持を高めることになる。陛下は即位前は、慈愛に満ちた方だと思われていた。だが今は恐れられている。これは陛下のイメージを回復する絶好の機会だ」
ギラタンの言葉に、シャラミアは衝撃を受けた。
(今は恐れられている? そうなの?)
「民衆が求めているのは優しい女王ではなく、強い女王だ。前の王は、自分では何も決められない子供だったからな」
「死刑を宣告することが強さを示すことになるのか? そうじゃない、許すことのできる度量こそが、強さだ」
ネフもダンリーに反論した。
(ギラタンもネフも私に反対するのね)
その後も、討論は続けられた。ネフとギラタン以外の重臣たちは、政人を死刑にするべきと考えているようだ。
「そこまででいいでしょう」
シャラミアが議論を打ち切った。「確かにマサトには功績があります。ですから、彼に機会を与えましょう。これから私が彼と直接会って話をします。そこで彼が己の行いを反省し、謝罪するならば、命だけは助けましょう。それでいいですね?」
「はっ」
一同は、シャラミアの決定に同意した。
(女王である私が威光を示せば、マサトは畏れ入るでしょう。きっとマサトも命は惜しいはず)
―――
政人の耳に、複数の人間の足音が聞こえてきた。
なんだろうと、鉄格子の外に目を向けると、意外な人物が現れた。
(シャラミア!?)
シャラミアの他に、ネフとギラタン、そしてダンリーがいる。
「マサト、話があります。近くにおいでなさい」
政人は寝台から起き上がり、鉄格子の付近まで移動した。
シャラミアは鉄格子の向こうから話しかけてきた。
「懐かしいわね。私もそこに入っていたのよ」
「そうなのか」
「ええ、あの時は恐怖に震えていたわ」
シャラミアは往時を懐かしむように言った。「でも脱走することができ、クロアの町まで逃げ込んだ。あなたに会ったのはその後ね」
「そうだったな。あの時の君は、初めて会う俺の話に耳を傾けてくれた」
「あなたのように理路整然と話す人には、会ったことがなかったわ。そして、話の内容も刺激的だった。クーデターの話を聞いたときは、もうあなたに任せておけば、全てが上手くいくと思った」
「残念ながら、俺はそれほど賢くはなかった。クーデター計画も、結局は頓挫した」
ダンリーが不審げな顔をした。彼にとって、クーデターの話は初耳である。
「それは仕方ないわ。未来になにが起こるかなんて誰にも分からないもの」
「そうだな。あの優しかった君が、罪のない人々を虐殺することになるなんて、誰も予想できなかったもんな」
シャラミアの眉がぴくっと動いた。
「マサト、今は口を慎め」
ギラタンが口を挟んだ。
「本当のことだろう。おまえたちもそう思ってるんじゃないか?」
「マサト! 陛下はおまえを助けようとしてくださっているんだぞ!」
ネフが叫ぶように言った。
政人はシャラミアを見た。
「私はあなたを殺したくないの」
シャラミアは訴えるような調子で言った。「だから、玉座の間で私にした行為を謝って。そうすれば命だけは助けましょう」
政人は、シャラミアの言葉について考える様子を見せた後、静かに首を横に振った。
「俺は死んで当然の罪を犯した」
政人はシャラミアを睨みつけた。「それは女王を侮辱した罪じゃない。悪逆無道の者が玉座につくのに協力し、その結果、四万人の人々を死なせてしまった。それが俺の罪だ」
その言葉を聞いたネフとギラタンは、天を仰いだ。
シャラミアの顔から表情が消えた。
「死刑は、明朝執行します」
シャラミアはそう言って、政人に背を向けた。
「さようなら、マサト」




