第943話『規則』
入国門にロゼさんがやってきた。その報せについてリディアさんとシロガネさんが話をしていると、机につっぷして眠っていたメフィストさんが目を覚ます。背中に掛けてあった毛布を羽織りつつ、やや眠そうな顔で向き直った。
「……聖女様。起きた?」
「ああ……起こしてしまい、すみません。う……また酸味が」
「お嬢様は、そのままお休みになられてくださいまし。先程、入国門にロゼ様がいらしたと報せがありましたわ」
「……急ぎの用事?」
「いえ、そういった事情ではございません。単に早く着き過ぎてしまったのではないかと」
事態が急変したとか、そういった都合ではないようだ。会う時間を約束していたわけではないし、待っていてもらえばいい話ではあるのだが……。
「私は……口の中が、すっぱいだけで、動くだけならば動けます。参りましょう」
「承知いたしました。外出の準備をいたしますわ」
「うん。ワタシも行く」
ずっと入国門内で待っていてもらうのも窮屈だろうと考えてか、リディアさんがベッドから起き上がる。ネックレスの俺を装着したまま寝ていたようだが、味覚へのダメージに装備効果が効いていたかは不明である。
「エメリアは……起きそうにないな」
「ん~……私ことエメリアは今、リディアから魔力をもらえていないので冬眠中です……」
「本当に寝ているのか?」
「……」
「寝てるな……」
エメリアさんはベッドの端の方で眠っている。揺すってみても、起きるどころか布団に入り込んでしまう。寝言によるところでは、魔力補給ができていないことが起きられない事情であるらしい。
「……この夢魔。今の内に、黄金爪でも口に放り込みましょうか」
「まあ……エメリアも、エメリアなりに疲れたのだろう。眠らせておこう」
ロゼさんに会ったところで、今日すぐに天空大陸へ行くでもないはずだし、少し話をしただけでお開きとなる可能性もある。休んでいてもらっても問題はなさそうではある。
リディアさんたちが着替えて一階へと降りたところで、邸内の掃除をしている執事のゲンブルさんとすれ違った。メイドさん同様、執事さんも朝は早い。
「リディア様。おはようございます。御身体の方は、いかがですか?」
「あ……はい。動ける程度には」
「実は……ゲンブルさん。早朝よりお願いがございます。待ち人が入国門へと来ておりまして……」
「左様ですか。すぐに準備いたしますので、邸宅前にてお待ちください」
シロガネさんが行き先や要件を伝えると、ゲンブルさんは掃除用につけていたエプロンを外し、一礼して立ち去る。
「さすが……執事さんも目覚めが早い。早く起きてはならない……みたいな決まりがあるのですか?」
「規約はございませんが、ご主人様のお目覚めのケアを考えますと自然と早めの起床とはなりますわ」
シロガネさんいわく、遅く起きたから罰則があるとか、そういうことではないらしい。ただ、これだけ広いお屋敷をほとんど一人で管理しているゲンブルさんは、シロガネさん以上に早起きではあるかもしれない。
邸宅前で待っているよう言われて別れたものの、もう玄関を出た頃にはゲンブルさんが待機してくれていた。いつもの幽霊っぽい魔獣が引く馬車もある。
「おや。エメリア様のお姿が見えませんが」
「どうにも起きなくて……ええ」
「さぞや、お疲れになったのでしょう。では、ご乗車ください」
長旅から昨日、帰ったばかりだしな。何日か、ゆっくりしたいという気持ちも解らないでもない……。
「お嬢様。ワタクシは現地の様子を確認する為、お先に入国門へと向かいますわ」
「解りました。現地にて合流いたしましょう」
シロガネさんは馬車に乗らず、自力で入国門を目指すこととしたようだ。リディアさんとメフィストさんだけが馬車に乗せてもらい、相変わらずゴージャスな馬車の中を見回している。
「お茶をお淹れしましょうか」
「あ……ありがとうございます」
リディアさんの口の中を気遣ってか、ゲンブルさんが出発前にお茶を用意してくれた。すっぱい味が日をまたいで長引いているようだが、お茶で少しは紛らわせることができるのだろうか。
「聖女様。もう黄金爪の味は……消えた?」
「現在も口の中に……酸味の強い果汁が残っているような感じです。あと数日は、こんな感じかと」
まだまだ味は根強く残っているようだ。よくよく見ると、表情が普段より険しい様子も見られる。その実、かなり無理をして動いているのではないかとも思える。そんな二人に、ゲンブルさんが運転席から予定を尋ねる。
「リディア様とメフィスト様は、いつ頃のお帰りとなりましょうか。よろしければ入国門まで、お出迎えできればと存じます」
「いえいえ……そこまでは。マグラス様のお仕事も控えていることでしょう」
「旦那様は現在、蔵から埋蔵品の発掘をすることに夢中でして、いつお戻りになることか解らない状態でございます」
蔵の中で何か探しているらしい。そういえば、怪盗グリーンズを家に呼ぶと昨日は言っていたけど、それと関係あることなのだろうか。
「ルビィさんの家の蔵……想像もつかないほどの資産価値がありそうで、やや近寄りがたくもあります」
「ワタシ、見てきた」
「ああ……そういえば、メフィストさんはルビィさんと一緒に見て来たんでしたね。どのような雰囲気でしたか」
「あれは……遺跡。下手に入ったら出られない」
考古学者のメフィストさんですら、おいそれとは入れない空間。高額な逸品の宝庫なのだろうということは想像に容易く。じゅうたんすらも踏んでいいのか考えてしまう。
「ええ。執事の私も、蔵の中だけは手を付けることはほとんどなく、どのような散らかりようなのかは判断がつきません」
「ゲンブルさんですら、入ることのない部屋があるのですか」
「止められている訳ではございませんが、あそこは掃除せずともよいと旦那様よりお言葉もいただいております」
ゲンブルさんなら蔵の物を壊してしまうとか、そういうことはなさそうだけど……呪術的に見て、危険なものが眠っていたりもするのだろうか。
「……」
呪術的な危険なものって……なんだろう。俺が今まで見てきた呪術って、呪うっていう名前の割にはポジティブなものばかりなんだよな。もし危険な呪術があるとしたら、幸せ過ぎて心配になるとかそういうものかも解らない。
「……道、少し変わった?」
「お気づきになられましたか。この度、敷地のルートを拡張いたしまして、図書館に近い場所と、採掘現場に近い場所からも林を抜けることが可能となりました」
マップを開いている俺も気付かなかったが、メフィストさんは行き先に若干の違和感をおぼえたようだ。いつもと走っている場所が違うらしい。
「現在、図書館の近くへ抜けるルートを進んでおります。入国門へ向かうとあらば、大体10分ほどのショートカットとなりましょう」
「入り口を増やしてしまうと、侵入者が増えたりなどは……」
「ご心配をいただき恐縮ですが、問題が発生する兆しは現在……全くございません」
まず暗すぎて、誰も入ろうとは思わないからな。どこから入ったとしても遭難する危険性は同じである。そんな入り口に関する話を聞き、メフィストさんが口を開く。
「ワタシ、前にシロガネさんから聞いた。メイドの決まりに、『必ず入り口から入る』というものがある」
「……『必ず入り口から入る』?」
メフィストさんがメイドの鉄則を思い出し、それを聞いたリディアさんが困惑ながらに復唱する。決まりというには、あまりにも当たり前のこと過ぎて、やや面食らったのかもしれない。
まあ、いないとも言い切れない。出口から入っちゃう人。微妙に迷惑ではあるかもしれないので、入り口から入る方が正しい。
「ええと……それをメフィストさんは、シロガネさんから注意されたのですか?」
「ううん。エメリアさんが言われていたのを聞いた。他にも、勝手に家に入らない。勝手に他人の家のカギを開けない。窓から家に入らない。えんとつに入らない。地下から忍び込まない。たくさんあった」
「ああ……やつならやりかねませんからね。事前に言っておいた方がいいかもしれません」
それは……メイドの決まりというか、人としての常識というか。ただ、俺も自分が今まで、窓から入ったり勝手にカギを開けたり地下から忍び込んだり、そんなことはしていない……とも断言できないので、この話題にはあえて触れないでおく……。
続きます。




