第940話『予想』
暗部の人の目をかいくぐり、俺は自分の本体である巨石へと帰還した。今日はリディアさんとお野菜ランドの隊長さんが黄金爪に倒れてしまうという事故が起きてしまったものの、着実に天空大陸への道は開けてきている……ような気はする。
「石田様。私も……その、天空大陸というものに関して探ってはいるのですが、どうしても発見できずにおります。お役に立てず、申し訳ございません」
今日一日の事柄を頭の中でまとめ始めた俺に、百二子様が頭を下げている。むしろ、色々と手伝ってもらって、こちらこそ申し訳ないです。
でも……百二子様って俺の想像では念じるだけで、どこでも行けるような……言ってしまえば日本にも帰ろうと思えば帰れるような、そんな存在なのではないかとすら感じているのですが、そうじゃないんですか?
「世界をまたぐことは、神と言えども容易にはございません。特別な事情のない限りは許可されません」
天空大陸がある場所は一応、別の世界……ということになっていましたけど、あれはどうなんでしょう。
「天空大陸も括りとしましては、この場所と同一世界にあたることでしょう。切り離されてはいるものの近い……いわゆる裏側、もしくは表側に位置するものと存じます」
世界に裏側とか表側とかあるんですか?
「日本にも裏側がございます。そちらに似たものかと」
……すみません。加えて質問してしまいますが、日本に裏とかあるんですか?
「……あっ。ご存じではございませんでしたか?」
逆に驚かれてしまった……多分、日本に住んでいる人の全員が存じてない事実だと思います。それは。
「そ……それはそれは。会話に行き違いが生じてしまい、申し訳ございません。神霊の認識としましては、当然のことと捉えられておりました故」
……こんな根掘り葉掘り聞いていいか解らないですけど、ちなみに裏の日本ってどんななんですか?
「裏の日本は各地に、大なり小なり断片的にございまして、表の日本と似た文化形態の場所や……実に何もなき虚無とも例えられる場所もございます。普段は表と裏は切り離されておりますが、何かのひずみで繋がる場合も考えられます」
そこに違って人が迷い込んだりとか……。
「時により……ありえなくはございません。神や神の遣いもまた、裏日本を主に担当している者がございます。そちらの判断にお任せしております」
もしかして、そういう裏の世界って……この世界みたいな、幻想的な場所もあったりするんですか?
「私は表日本を担当しておりましたので、裏日本へ行く機会はございませんでしたが……かなり広い裏日本もございます。未知の生き物がひしめく区域もあるやも解りません」
西日本・東日本みたいな、表日本や裏日本という言葉が出て来てしまう。俺の一般常識で理解できているかは不明ですが……そういうものなんですか。
「裏日本は私も、あまり踏み込まぬ領域。かつ、よく知らぬ場所なので移動にも難があり、行く機会もない部分にございます。私も見たことのない場所には瞬間的に移動はできません」
……。
「あの……なにやら考え込まれているご様子ですが……いかがなされましたでしょうか」
いえ……日本の創作物で、よくあるんですよ。ちょっと不思議な世界に、転生せずに迷い込む……みたいな設定のお話が。そういうのって、もしかして……裏日本なんですかね。
「創作された物語ですので、そうとは言い切れませんが……体験談も含まれている場合はございます。肉体を保ちながら世界をまたぐということは、基本的にございません」
……科学が進歩して昔より様々な事柄が解決したと思ってましたが、まだまだ周知されていない事実もあるみたいですね。神様には当たり前のことでも、人間には知り得ていない知識とか多々ありそうです。
「神と交信のできる人間が、そもそも多くはなく、昨今は昔よりも減少傾向にあります。知識が潤沢になるほど、理解から遠ざかる事象もあるのではないかと存じます」
日本の話に飛んでしまいましたが、その理屈で行けば天空大陸は裏世界ってことになるんですね。この世界にも、百二子様が行けない場所はあるんですか?
「はい。一度でも入り込むことができれば私も、天空大陸という場所を行き来できるようにはなるはずにございます」
オープンワールドゲームのスキップトラベルみたいなイメージだろうか。俺も、天空大陸の聖獣が守っているであろうオリハルコンを自分の体として登録すれば、好きな時に意識を天空大陸へ転送することはできるのかもしれませんが……。
「まずは裏世界に入り込まねば、あちらに干渉することもままなりません。とてもすっぱいという、あれを食べる必要がない点においては、人々よりも私たちの方が有利ではございますが……」
黄金爪……確かに、俺は食べなくても天空大陸の気候で苦しんだりはしないはずだ。というか、基本的には物を食べることもできない。その点は百二子様も同じだと思われる。
「しかし、あれほど人々が悶絶する風味……興味はあります」
俺も、食べたくはないんですけど……黄金爪の味が気にはなっているんです。俺は香りについては認識できるのに、なぜ味は認識できないのか悔やまれます。
「私は香りも感じ取ることは叶いませんが、石田様は状況判断に必要なので、技として備わっているのやもしれません」
味は……感じ取る必要がないといえばないですしね。味がよくても毒がある場合もありますし、そういった効果はステータスで確認する方が間違いもありません。香りは目には見えないのでステータスに映らない分、確かに注意が必要とも言えます。
「しかし、石田様は元来、人の身です。黄金爪の味につきましても、想像に容易くはあるのではないでしょうか」
そうですね。なんとなくですが黄金爪の味についても、梅干しを食べた時の感じに近いのではないかと想像しています。もしくはレモンとか……。
「梅干し!壺に入れて付け込まれる梅の実にございますね。あれは、それほどまでに酸味が効いているのでしょうか」
梅干しの話で百二子様のテンションが、これまでになく上がってしまう。日本の食卓において、よく目にはしていたのだろうけど、その味を実際に体験することはできなかったのだろう。
梅干しの味……なんと言ったらいいかな。ええと……食べると口の中がギュッと絞られるみたいな感じ、と言いますか……喉が痺れると言いますか……。
「それは苦しいのですか?」
味の濃いものは、ちょっとキツいかもしれないです。でも、そのあとに徐々に美味しさが染みてきて……すっぱさの中に甘味も、ほのかにあったりします。あぁ……甘さと言っても神様には伝わりづらいでしょうか。
「いえ、味わいを完全に把握することは難しいですが、幸せになる食べ物ということは伝わりました。貴重なご意見です。ありがとうございます」
話をしていたら俺も、すっぱいものが食べたくなってきました。などと言ったら、苦しんでいるリディアさんや隊長さんに悪い気もするけど……。
「……」
リディアさんが黄金爪を口に入れて、そろそろ6時間以上は経っているはず。徐々にすっぱさも引いてきただろうか。そういった心配もあり、お見舞いに行ってみることにした。
『現在地:呪術師マグラス邸』
リディアさんは依然として自室のベッドに寝ている。メイドのシロガネさんと、エメリアさんとメフィストさんが、看病に寄り添うようにしてベッドの脇から様子をのぞいている。
「うーん……うう……」
「リディア、どんどん苦しげになっていってる気がするんですけど、本当に大丈夫なんですか?」
「体調を鑑定しております。健康に害はないはずですわ。むしろ生命力は上がる一方です」
よくなるどころか、もはや会話もできない状態となっている。エメリアさんの心配を受け、シロガネさんが鑑定眼を使って体調を管理してくれているものの、やはり身体には良いものであるらしい。
「……ああ。私の勝手な行動で、ご心配を……お掛けして、すみません」
「あれ……リディア、もう喋れるんですか?」
「……すっぱさに波がある。またしばらくしたら来る」
リディアさんの荒げていた呼吸が、一時的にではあるが安らぐ。苦しくなる一方ではなく、定期的に口の中のすっぱさが寄せては返すようである。
「シロガネちゃんとメフィストちゃんも最悪の場合、同じ目に合わないといけないんですよね……」
「あなたは食べるつもりはないのですわね……」
「シロガネちゃんが適切な調理法を探してくれるって信じてます……」
とはいえ、エメリアさんも深刻そうな顔はしているので、なんだかんだで最悪の場合はつき合うつもりではあるものと見られる。そうした上で、リディアさんへと問いかける。
「心構え……のついでに、黄金爪の食レポしてくれますか?味、ちょっとでも解ってれば気持ち、違うかもしれないですし」
「お嬢様に無理を言うのはおやめなさい……今は安静にすべきですわ」
「いや……いい。今なら少し話せる」
リディアさんが口をわずかに開けたまま、苦しそうな様子でつぶやく。その後、やや考えをまとめた後に黄金爪の味を表現する。
「これは……強烈なすっぱさだ。それが一瞬だけ、口の中を麻痺させた後……また身も震えるほどのすっぱさが襲ってくる。そのすっぱさが終わると、またすっぱさが込み上げてくるんだ。ただ、その奥になんともいいがたいすっぱさが感じられ……」
「シロガネちゃん。リディアがヤバいです」
「お嬢様……ジャムですわ。お口直しを」
もはや、すっぱさの中にすっぱさが。すっぱさに隠された奥深いすっぱさが……という無限の地獄しか表されていない。
(石田様。梅干しのすっぱさとは大分、異なるようですね……)
黄金爪は俺が思っている以上に、食べ物とは一線を画しているのかもしれません。シロガネさんが梅干しくらいの味にしてくれることを願うばかりである……。
続きます。




