第939話『志』
転移能力という素敵なスキルの習得を試みた俺だったが、そんなものは即興で扱える代物ではない。地中深くに刺さっている巨石の元から帰る道のりも、結局は普通に歩いて戻る形となった。
俺の本体がある丘の近くまで来た時には、すでに太陽は沈みかかっていた。リンちゃんの家の前の照明をつけるついで、ルッチル村の様子も見てきたが、今日は本当に何もない穏やかな一日だったようだ。見るからにのどかである。
「……?」
俺の本体である巨石、その近くに誰か立っている。岩陰に隠れて様子をうかがってみると、いつも俺を見張っている暗部の人と、その人のお姉さんが二人で、何もないところを見ながら話しているのが解った。
「姉者。ここです。このあたりに……」
「……」
妹さんが指さした場所をお姉さんが見つめている。ただ、そこに何かあるという感じはない。その後も、お姉さんは手で触ろうとしてみたり、少し離れてみたりと試行錯誤しているが、やはり何も見つけられない様子だった。
「……妹よ。この際、疑う必要はないと判断した上で尋ねるが、ロゼ氏の通り道と思しきものが、ここに本当にあったのか」
「拙者、嘘はつきませぬ。尊敬すべき姉者にたてつくなど死にも値する行為です」
その会話を聞いて、二人が何を探しているのか俺には理解できた。ロゼさんが特殊な道具を用いて作った、天空大陸へと続くヒビ割れの話をしているのだろう。
しかし、俺の目から見ても、そういったものはすでにない。恐らくは時間と共に小さくなり、最終的には消えてしまうものと考えられる。ないものは仕方ないとして、お姉さんは事後の対処について話を始める。
「して、妹よ。それを主様には正しくご報告できたのか」
「……正しく。とは断言できぬ拙者をどうか、お許しください」
「我は許すが、それは主様が決めること。どのように申し上げたか示してみよ」
ひび割れの存在、それが帝国に伝わっているのか。それがお姉さんとしては一つ心配であるようだ。話し相手がお姉さんならば、そう緊張はしないようで、妹さんも正直に言葉を並べる。
「拙者は、空気に……壁があるように。そこに、傷口が見えた。と、ご報告いたしました」
「む……やや難解に感じる物言いだ。ロゼ氏からも説明はあったのか」
「ロゼ氏は緊張しており、二言目には『ひええ』と申しておりました」
「……依然、ゆゆしき事態である」
妹さんもロゼさんと共に帝国へ行ってすぐ、見知ったことを報告はしたようだ。ただ、その旨を正しく伝えられたかどうかは自信がないようだ。
「ですが……しかし、姉者。リディア氏も拙者と同じものを見たとのこと。シロガネ氏もいらした故、事は円滑に伝わっているはずにございます」
確かに……リディアさんも実物を見ているからな。空間のヒビ割れについては帝国にも、問題なく伝わっている……はず。とあらば、報告に関しては問題ない。それが解ったところで、お姉さんが少し語気を和らげて注意を始める。
「ならば、大事には至らぬであろう。しかし、妹よ。その他人任せにする仕草がよろしくないのだ。情報は鮮度。迅速な報告が事態を優位に進めるのだ」
「う……左様です」
「となれば……やはり、人と話す機会を増やせねば能力は磨かれまい。以前、この任務に泣き言もこぼしていた。巨石監視は我に任せ、街での任務につくがよい」
「そ……それは。ご勘弁を」
俺の監視を交代するとお姉さんに言われ、妹さんが急におろおろし始めてしまう……なぜ。
「拙者、オシャレ女子の衣装は似合いませぬ。どうかオシャレ女子だけは、ご勘弁ください……」
「妹よ。オシャレ女子になるのだ。心を鬼にしてオシャレ女子になりきるのだ。密偵として」
オシャレ女子?
「暗部の者であれば……当然、知っておろう。密偵は皆、街では仮の姿で過ごす決まり。妹よ。お主の容姿に最も適した服装は、オシャレ女子。そう上層部がお決めになられたのだ」
「似合いませぬ……拙者にオシャレ女子は荷が重く。とても耐えられませぬ」
街から離れた場所で石の監視をする。そのような誰もやりたがらなさそうな任務についた理由は、人と接するのが苦手であるというだけではないようだ。暗部の人って街で過ごす時の服装まで決められてるんだな。
「……」
もしかして、シロガネさんがメイド服から着替えたがらないのも、その決まりによるところがあるのだろうか。いや、シロガネさんはメイドだから、それ以外に選択肢がないのかも解らない。詳しい事情は不明だ。
「姉者。以前……拙者、オシャレ女子の服装で街を歩き、死を覚悟する怖い思いをしました」
「なに?そのような記憶が……まさか、他のオシャレ女子に絡まれたか」
「いえ……見知らぬ殿方に。喫茶へと……誘われてしまったのです」
「……」
密偵なのに、街でも目を引くくらい可愛かったのだろう。男の人に声をかけられてしまったようだ。確かに……想像すると怖いかもしれない。
「それは……自慢か何かか?妹よ」
「いえ、それはもう恐怖でございました。されるがまま喫茶に連れ込まれていたら今ごろ、どのようになっていたかは想像もできませぬ」
「……しかし、恐れに打ち勝ち、其れを拒絶したのだ。胸を張るが良い」
「いいえ。偶然にも通りかかった非番の騎士団長様に仲裁していただき、難を逃れました」
助けが入ったために、大事には至らなかった。でも、非番ってことは騎士団長さんも私服だったんだよな……。
「はっ!まさか、あの奇抜かつ色彩感覚に突飛な騎士団長様の私服も、世を忍ぶ仮の姿ッ!」
「そうだ」
そうなのかどうかは多分、お姉さんも知らなさそうである。そこは騎士団長さんの名誉にかけて、適当に相槌を打っている。
「しかし、妹よ。情けない……嗚呼、情けない。密偵たるもの、オシャレ女子の一つや二つなりきれぬとは。大義も小事も務まるものではない」
「……姉者。一つお聞きしたいことが。司書ではないのに、司書の服装で出歩かれている姉様は、どのように精神の平静を保っておられるのですが」
お姉さんは司書の服装で歩くことを余儀なくされているらしい。オシャレ女子ならまだしも、特定の職業のコスチュームは……結構、つらいな。
「我、街を行く足取りは司書の其れである。心を研ぎ澄まし、暗示をかけるが如くなりきっている」
「さ……さすがは姉者。よろしければ、どのような修練を積んでおられるのか、ぜひともお聞かせ願いたく」
「……」
普段から、どんなことをしているのかと聞かれ、お姉さんが急に黙ってしまう。その後、言葉を選ぶようにして、ゆっくりと答えを示した。
「我……一日に一冊、本を読破しておる」
「なんと!では、本日も既にお読みになられたのですか」
一日一冊。司書の人としては少ないのかもしれないが、普通の人が仕事をしながら読むのは大変ではある。俺は一日……1ゲームならやっていられそうではある。
「当然である。本日は……人心掌握の術が……記された書物を読み終えた」
「おお……よろしければ、その秘術、わずかばかりでも拙者に授けていただきたく」
「……やや隙を作ることが大事。守りの硬い女と思われては……まずは相手も寄り付かぬ」
「それは……姉者。戦闘術なのでは」
「……人との関わり。それもまた戦闘なのだ」
人心掌握術と戦闘術を複合記載した書物。どんな本なのだろうか。格ゲーの対戦の読み合いみたいなことが書かれているのだろうか。ちょっと俺も読んでみたい。
「その話はよい。ひとまず、ロゼ氏が作り出したという、裂け目のようなものについては、我からも報告を申し上げる。妹よ……今は巨石の監視を続け、自らを高めるために自問自答するがよい。さらばだ」
「はい。努めて参ります」
今しばらく、俺の監視をするという任務については妹が継続で遂行することとなったようだ。お姉さんは色々と言葉足らずになっていそうな部分を補うべく、帝国へと報告に向かった。
「……姉者。いつかは拙者も……あなたのように強く。そして、立派なオシャレ女子にすらなりきる真の密偵になりまする。見ていてください」
お姉さんの後ろ姿を見送りながらも、妹さんは密偵としての志を胸に刻んでいる。俺の監視をしている内は安心なのなら、それはそれでいいかな……と思わなくもない。
続きます。




