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第931話『苦しみ』

 「無期限に私のそばを離れる。すなわち、長期休暇……ということでよろしいでしょうか」

 「私用につき……と申し上げますわ」


 何か理由があってのことでリディアさんのそばを離れる必要があるとして、シロガネさんからパーティ離脱の申告があった。その理由については所用という形で、プライバシーの範囲に包まれている。


 ただ、メフィストさんとしてはシロガネさんが、何をもってリディアさんのそばを離れると言っているのか解ったようである。


 「黄金爪のこと?」

 「ええ……本音を申しあげますとワタクシの手に負うには、いささか大きな問題にございますわ」


 変に隠しても心配を増やすだけと考えてか、シロガネさんが問題の根幹について明かす。そうか。リディアさんの身の回りのことをやりつつ対処するには、黄金爪の問題は大きすぎるようだな。そうして不意にシロガネさんから弱気な発言が出たことを受け、リディアさんが戸惑い始めてしまう……。


 「そんな……シロガネさんならば普段通り、そつなく対処していただけるものかと。それほどまでに大変なのですか」


 「実のところは、何をどうすべきなのかすら想像がついておりません……あてもなく世界各国をめぐり調理法を探る算段にございましたわ」


 「確かに……あの驚くべき味を料理にて誤魔化すには、それ相応の試行錯誤を繰り返すこと必至。味……まさか。シロガネさん。自分で味見をするつもりなのでは」


 「……」


 リディアさんの質問に対しては、シロガネさんも口を閉ざしている。ンジュー族の人に味見してもらっても、人間が食べて大丈夫なのかは解らないからな……やはり自分でやるしかないのかもしれない。そして、そうした負担があることも、本来ならばリディアさんに知られたくなかったようだ。


 「……シロガネさん。あの……もう一度、黄金爪を見せていただいてよろしいですか」

 「え……ええ。こちらでございますわ」


 リディアさんが頼みを告げる。ロゼさんからいただいた黄金爪。それを懐から取り出し、シロガネさんはリディアさんに一粒だけ手渡す。


 「……」


 見れば見る程の純金さだ。到底、食べ物には見えない。珍しいものが出てきたとして、ルビィさんも横からのぞきこんでいる。


 「そちらが……黄金爪なのですか。確かに……鳥の爪のような形です」

 「……!」


 そして、何を思ったか……急にリディアさんが黄金爪を口に放り込んでしまう……。


 「うっ……」

 「な……何をしてらっしゃるのですか!お嬢様!ぺってしなさい!」

 「ううう……ううっ」


 飲み込むには少し大きかったのか何度か噛み砕き、そのまま勢いで飲み込む。シロガネさんに背中を叩かれても、吐き出すまいとして口を頑なにしている。あまりのすっぱさで目も開けられないようだ。


 「ぐぐ……う……」

 「……あれ?リディア、死ぬんじゃないですか?」

 「お嬢様!お気を確かに!お嬢様!」

 「う……うううぅ!」


 やっぱり装備の効果があっても、味覚までは補えなかったようだ。もはや会話ができる状態ではない。頭を押さえてうずくまっているリディアさんを持ち上げ、シロガネさんとメフィストさんが二階にある寝室のベッドへと運んでいく。


 「シロガネさん。お……お医者様をお呼びしますか?」


 「いえ、黄金爪に毒はございません。できればジャムを。もっとも甘いジャムをゆずっていただければと」


 「は……はい」


 あわてながらもルビィさんが、シロガネさんの指示でジャムを探しに走っていく。リディアさんは味に耐えかねているだけのようだから、薬よりかはジャムの方が効果的なのも間違いなさそうである。


 「はぁ……はぁ……」

 「お嬢様……なんという無茶を」


 リディアさんの様子といえばベッドに仰向けになったまま、涙を流し虚ろな目をして天井を見つめている。もしも俺が黄金爪を食べる場面を見逃し、この瞬間から立ち会ったならば、危篤の人なのかと勘違いしたかも解らない。


 「リディアはシロガネちゃんに無理をさせたくないとして、命を犠牲にしたんですね……」


 「死んではおりませんわ……縁起でもない。ですが、やはり胸の内を明かすべきではございませんでした。ワタクシはメイド失格でございますわ……」


 「この人、急に破天荒さを出してくる時ありますからね。気をつけた方がいいですよ。ルビィちゃんのお母さんもビックリしてました」


 エメリアさんも、さすがに今回のリディアさんの行動まで読めなかったようだ。ただ、仲間のためならやる……そういうイメージの人ではある。


 「持ってきました!お母様が作った、めっぽう甘いジャムです!」

 「ありがとうございます。お嬢様。こちら、甘いジャムですわ。お口直しを」


 ジャムを小皿に取り、スプーンですくってリディアさんの口へと運ぶ。少しばかり口には入れたものの、苦悶の表情は一向に消えない。


 「黄金爪の強大な酸味で、味もかき消されてしまうやも解りませんわ」


 「ヤバげですけど。この感じ……どのくらい続くんですか?今日の夜ごはん頃には元気になるんですか?」


 「幼少の頃、黄金爪スパイスを召し上がったお嬢様は4日ほど、お部屋で療養なされましたわ」


 「ええ……4日もですか?今回、まるごと行きましたよね?もっとかかるんじゃないですか?」


 「恐らく、お腹の中の異物感が消えるには、さらにしばらくかかると考えてよろしいですわね。ルビィ様や奥様、ゲンブルさんにも大変、ご心配をお掛けいたしました。あとはワタクシが介抱いたしますわ」


 「は……はい。何かあれば言ってもらえば手伝いますから。ごゆっくり……」


 エメリアさんとシロガネさんの会話を聞いていると完全に毒の類なのだが、これで健康にはなるというのだから不思議である……それはそうと、ひとまずは大丈夫と見て、ルビィさんが退室する。


 「し……シロガネさん」

 「お嬢様」


 大粒の涙でまくらを濡らしながらも、リディアさんが口を開く。そして、か細い隙間風の吹くような声を出す。


 「これで……これからも、一緒にいられますね」


 「う……お嬢様。ワタクシなどのために」


 「でも、リディアだけ食べても私たちは行けないですからね。まあ、リディアだけ行ければ、とりあえずいいのかもしれないですけど」


 「……」


 ちょっといい雰囲気の会話に、エメリアさんが遠慮せず苦言を挿し込む。コクサの聖獣に会いに行く時も、シロガネさんとエメリアさんは街で待機だったからな。聖女であるリディアさんが行けたら、それで目的は達成されると見ていい……。


 「……シロガネさん。ワタシも……黄金爪が見たい」

 「メフィストさん……召し上がろうとしてらっしゃいますわよね」

 「う……食べない」


 このままでは天空大陸についていけない。そう勘づいたのか、急にメフィストさんが黄金爪を見たいと頼みを告げる。ここでメフィストさんが食べたら多分、リディアさんと同じ状態になる。それを見過ごすわけにはいかない……。


 「……決意いたしました。天空大陸行きが決されるまで、ワタクシは黄金爪を安全に食す方法を探しますわ。ですが、どうしても見つけ出すことができない場合は……お嬢様に習い、素材のままいただく所存にございます」


 「うん。ワタシも聖女様と同じで、そうする」


 「あ……私は勇気がないので、安全に食べられそうなら行きます」


 「……」


 リディアさんが苦しんでいる手前、むざむざメフィストさんに同じ思いをさせるのは酷。そう考えたのか、やはりシロガネさんはすっぱさを軽減する方法を探すこととしたようだ。ただ、それが判明したら、リディアさんとしては苦しみ損である。


 「この、私の苦しみは……一体。うう……」


 「いえ。お嬢様に、ここまでしていただけて……ワタクシは世界一の幸せなメイドにございます。解法の見えぬ問題と使命が消え……心が救われましたわ」


 「シロガネさん……」


 「これからもワタクシは変わらず、お嬢様のおそばにいさせていただきます。そして、手の届く範囲で調査を進めて参ります。お嬢様が動けぬ内は全て、このシロガネにお任せくださいまし」


 最低限、リディアさんだけは天空大陸へ行ける。そうした状況が成立したことで、シロガネさんの中では一つ重荷が下りたようだ。かなりリディアさんは苦しそうではあるが、とりあえず問題が解決して一安心ではあるのかもしれない。

続きます。

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