第928話『受験生』
天空大陸へ行くためには、強烈に酸っぱい黄金爪を経口摂取しなければならないようだ。羽のある人たちにとってはおやつ感覚だが、それは一般的な人間にとっては三日三晩は悶える酸っぱさであるらしい。
特にリディアさんは、黄金爪に良い思い出がない人だ。トラウマの種を口に入れるのは非常に難しいと考えられたが、そこはシロガネさんが料理にごまかして食べられるようにすると宣言してくれた。
「大丈夫なんですか?シロガネちゃん、料理のプロじゃないですよね?」
「調理師の免許は所有しておりますわ。しかし、試行錯誤にお時間をいただく可能性はございます……」
エメリアさんに心配されるレベルで、シロガネさんは顔色が優れない。自分で言い出したことながら、その課題の難しさは想像がついているようだな……。
「ではでは。ロゼの持つ黄金爪をいくつか譲りします。料理に使うと香ばしいです」
「そのような貴重なものをお譲りいただいてよろしいのでございますか?」
「天空大陸に、たくさんあるのであげます。たくさん黄金爪がついた木が、たくさんあるのです」
こちらの世界では貴重な品であるものの、天空大陸には大量にあるのだと言う。ロゼさんは袋から黄金爪を8個ほど取り出し、シロガネさんに手渡した。
「……ロゼは疲れてしまいました。たくさん人とお話をしたからです」
「この後、ロゼさんは……また天空大陸にお帰りになるのですか?」
「帰ってじっちゃんと話をします。村の偉い人たちにも、あなたの……聖女様の話をします。とても喜んでもらえます」
話をしている内に、ロゼさんの顔が次第に眠そうになっていくのが解った。見知らぬ世界に来て、知らない人と会話をする。かなり精神的に疲弊したであろうことは想像に容易である。
「ロゼ様に入国いただくことは、現時点では難しいと考えられます。こちらからも帝国側へ報告し、今後の対応を検討させていただきますわ」
入国できるかどうかについても、シロガネさんが国との仲介役となってくれるようだ。どちらにせよ今日のところは帰ってもらうことしかできなさそうだな。
「それでは……我、この者を外へと案内し、巨石の監視任務へと戻る所存。よろしいでしょうか」
「お願いいたしますわ」
「明日、またロゼは来ます。よろしくお願いいたします」
もうロゼさんの疲れが限界と見て、帝国暗部の人が彼女を連れて部屋を出て行く。まだメフィストさんは聞きたいことがある様子だったが、ロゼさんに無理はさせられないとしてか、今日のところは見送ることとしたようだ。
ロゼさんと帝国暗部の人がいなくなり、シロガネさんは手にしていた黄金爪をバッグへとしまいこむ。黄金爪が本物か偽物かは審議中であるものの、帝国関係者であるシロガネさんなら、それを街の中へと持ち込むこともできそうだな。
「あの……リディアさん。世界が危険って、本当なんですか?」
「あ……ああ」
隣に座っているジェラさんが、リディアさんへと尋ねる。ロゼさんや天空大陸のことも気がかりではあるようだが、ジェラさんとしては世界の危機についての方が今は感心が強いようだ。
「……とはいえ、まだ私たちも検証している最中で、無暗に不安をあおるような真似はしない方が良いと考えている。ここだけの話にしておいてもらえないだろうか」
「もちろんです。でも、ちょっと……納得はしました」
「……?」
「リディアさんやメフィストさんが何かしているのは私も気づいていて、どうやらギルド長も公認。なのに誰もクエストの内容は知らない状態です。それで、ギルドの中でも不思議に思っている人が多くて……魔人の一件みたく、危険な仕事を進めてるんじゃないかって心配はしてたんです」
ジェラさんたちのギルドは雰囲気的にも風通しはよさそうだし、そこまで機密情報も多くはないのだろう。だからこそ、逆に心配している人もいるのかもしれないな。
「リディアさん。私も……微力ながらお手伝いがしたいです。なにより、天空大陸……行ってみたいんです。夢に見た景色が、実在するのか。ンジュー族ゆかりの地でもあるのか、興味があるんです」
「解った。私もジェラに協力してほしいと思っている。新しく解ったことがあれば連絡する」
ロゼさんとしても、同種族と見られるジェラさんがいるといないとでは、ここへ来る気持ちが違ってくるのではないかと思われる。協力を仰ぐことに関して、メフィストさんやシロガネさんも同意してくれた。
ロゼさんがいないことには、これ以上は情報も仕入れられない。リディアさんたちは入国門広場へと出た。
「お嬢様。ルビィ様の住まわれているお屋敷へ戻られますか?」
「そうですね……一度、ルビィさんの家に帰ろうと思います。ジェラも、今日はありがとう」
「リディアさんたちの家って……壊れてしまったんでしたっけ」
「今は呪術師のマグラスさんの家にお世話になっている。図書館のある地域から近い、暗い林のある場所だ」
「リディアさんって、交友関係も広くて凄いです。そろそろ私も家に帰りますね」
呪術師の人の敷地は、街中にありながらも鬱蒼とした木々に覆われたエリアである。呪術師の人たちと交流がない人からすると、あまり近寄ることもない場所なので、そこに住んでいると言えばなおさら驚かれる。
ジェラさんと別れ、リディアさん達は入国門広場から右手の路、高級商店街へと向かった。ジェラさんは中央の通りへと進んでいったから、そちらに家があるのではないかと推察される。
ルビィさんの家を目指して歩きつつも、リディアさんがシロガネさんに尋ねる。
「ルビィさん達は今、ご在宅なのでしょうか」
「今朝がた、マグラス様へご連絡を差し上げましたわ。マグラス様はお仕事に出られるとのことでしたが、ルビィ様と奥様は家にいらっしゃると」
行けば誰かはいるようだ。何度も通ったとはいえ、あの暗い林を抜けるのは少し緊張するな。
「しかし……運よくジェラと合流できて助かった」
「ジェラ様がご一緒してくださらなければ、ロゼ様の聴取にはまだしばらくお時間をいただいたやも解りませんわね」
「リディアって、こういう偶然ってなんか多いですよね。運がいいんですか?」
「運がいいのは確かに……そうかもしれないな。我ながら……運だけで、ここまで来たとすら思う」
エメリアさんにも言われた通り、何かと物事が良い方向に進む傾向にはある気がする。聖獣を探すにあたり、次にをすればいいのか解らなかったところへロゼさんが来てくれたのも、運がよかったからと言えなくもない。
なお、今まで俺は色々な装備の効果を確認してきたが、幸福感がアップするようなものはあれども、運がよくなる装備やスキルというもの見たことがない。運だけは本当に、本人の生まれ持った能力なのだろう。
高級商店街を抜け、アーチをくぐった先に図書館が見えてくる。学校も隣接されているからか、この辺りは似たような制服を着た人が多い。そんな大きな図書館を見ながら、リディアさんが足を止める。
「サファーナさんは……どうしているだろうか」
「えと。サファーナちゃんは司書の……すごい版みたいなのになる為の試験勉強してるんでしたっけ」
「特務司書だったか。その試験の困難さは、想像もつかないな」
サファーナさんというと……精神的に弱り果てて自暴自棄になっていた中でリディアたちと出会い、元気を取り戻して司書に復職した人だな。森の中で初めて会った時は何者かと思った……。
ちょっと前に見た時は、かなりサファーナさんも疲れた様子ではあったが……今はどうなのだろうか。誰が何を提案するでもなく、みんなの足は自然と図書館へと向く。
「……」
図書館の中をのぞいてみるが、受付カウンターにサファーナさんの姿はない。図書の貸出の列がなくなったタイミングで、リディアさんがカウンターにいる男の人へと声をかける。
「あの……少しお聞きしたいことがありまして」
「はい。どうされました?」
「サファーナさん……という方に会うことはできないかと思いまして」
「あ……ああ。あなたはサファーナさんの、お知り合いですか。面会は……今はご遠慮しているんです」
「……?」
今は会えない事情があるようだ。少し心配そうな顔をしているリディアさんへ、隣に座っている司書の人が説明を補足してくれた。
「いえ、体調を崩している……といったことではなく、特務司書試験が二日後なので……」
「ああ……そういったことですか。では、今はご迷惑になりますね」
「もし会うことがあれば、リディアさん方が来ていたと伝えておきます」
聖女として認識されているからか、司書の人たちもリディアさんのことは知っているようだ。サファーナさんに会うのは難しいと見て、ご挨拶だけしてリディアさんたちは図書館を出た。
図書館の窓を見上げながら、メフィストさんが気遣うようにつぶやく。
「サファーナさん。大変」
「そうですね。シロガネさん。特務司書の試験というのは……それほど大変なのですか?」
「通常、15年以上は司書の経験を積んだ者が受験する試験にございますわ。自国の図書館にある図書の題名とあらすじを全て記憶し、最低でも五か国語の翻訳書記学、近隣諸国の気候や文化、道徳的な読解力などなど……様々な試験を2日間に渡り、300ページ以上はこなす必要がございます」
「……」
項目が多すぎて、シロガネさんの説明すらも俺の頭には入ってこない。とにかく、非常に大変だということは伝わってきた。
「……サファーナさんの血のにじむような努力を考えると、自分は運だけはいい……などと話していたことすら恥ずかしくなるな」
「そうですよ。リディア、がんばってくださいね」
「お前も頑張るんだぞ……エメリア」
続きます。




