第906話『渓流下り』
リディアさん達は数日の砂漠生活で乾いた体を湖のほとりで癒している。やはり、森や川といった水気を感じるものが目に入ると、どこか心が安らぐのは人間としての本能だろうか。砂漠は慣れない人が住むには過酷な環境だ。それを傍目にだが俺も実感した。
そんな安らぎの空間に今は身を置いているものの、この先には恐ろしい勢いの渓流下りが待っている。河の恐ろしさを目の当たりとして来たエメリアさんが、浮かない顔をしているのを見るだけで普通の河ではないことは確信できる。
遠くの方から、海賊団の人たちの歌声が聞こえてくる。背後からアクアマリーンさんの声が届いた。
「そろそろ行くかい?急ぐんだろう?」
「はい。河を見てきたエメリアたちが少し怖気ているが、どちらかといえば舵を切る海賊団の方が、私たちよりも重労働なのは間違いない。信じてお任せいたします」
「見ちゃったのかい?まあ、あたいもまだ見たことないんだけどね。なんかするさ」
アクアマリーンさんたちのホームは海だから、今回の川下りも初挑戦みたいだな。なんだかんだいって、こっちは乗っていることしかできない。その点、実務を伴う海賊団の方が大変ではある。
「とはいっても恐らくだが、あたいらも川下り中にやることはないのさ。振り落とされないよう見てるだけだね」
「そうなのですか?」
「途中で河を脱するには、それなりのスキルが必要なんだけどねぇ。あたいらが向かうのは終着点だから、あとは海に投げ出されるだけなのさ」
まあ、レースゲームだって基本的に難しいのはコーナリングだしな。まっすぐ走るだけなら基本的に、そうそう運転でミスをすることはないはずだ。思えば、ゲームに出てくる船の操縦って、やたら難しいイメージはあるけど、船だって同じなのではないかと俺は思う。
「船のことは俺らに任せてくだせぇ。姉さんたちは部屋の中にいりゃあ問題ねぇです。それなりの圧はかかるとは思いますがね」
「私たちは……邪魔になっても悪いし、そうさせてもらいます」
海賊団の一人がリディアさんに、部屋にいることを推奨してくれた。室内にいれば、まず外に放り出されることはない。そこは安心である。
湖のはずれにあるドックには、アクアマリーンさんの船が待機している。みんなで船に乗り込み、船のいかりを外すなどして陽の光の元へと出す。
相変わらず船の外装はピカピカだ。ゴールデンダイマグロ号は金色をしている船で、それがドックから出てきただけでも、湖の近くにいる人たちから注目を集めていた。
「んじゃあ、行くよ。装備をつけたら出発進行さ」
「へい!」
アクアマリーンさん達が、船の物置き部屋みたいなところから、黒いアーマーらしきものを運び出す。なんだ……この重戦士みたいな装備は。エメリアさんが、その重さを持ち上げて確かめつつ尋ねる。
「重いですね。なんですか?これ」
「これ、つけとかないと勢いが凄すぎて飛ばされちまうのさ。つけとくかい?」
「うん。着てみたい」
装備の着用に、真っ先に立候補するメフィストさん。
「ああ……あんたに合うサイズがないねぇ。残念だけど、大人しく部屋で待っときな」
メフィストさんのように小柄で細身な人用の装備は、予備がなかったようだ。急流下りを間近で体験できず落ち込んでしまう。なんだかんだで恐怖心はありながらも、未知の体験にスリルは感じていたようだ。
「では、私たちは部屋にいます。よろしくお願いします」
「なるべく舌は出さないよう注意しな。噛むからね。あと、何度かスピードがゆるまる地点があるけど、海に着いたら呼びに行くから部屋から船の外には出ないでおきな」
部屋にも小さな窓はあるし、外の様子が全く見えないわけではない。海についたら潮のにおいなどでも、雰囲気は感じ取れるのではないかと思われる。
あとのことは海賊団にお任せし、リディアさん達4人はベッドの敷き詰められている部屋へと入る。酔う可能性も考え食事も多くはとらず、主な食事はコクサ土産として買ったコグでまかなうようだ。
「……動き出した」
船の発進を受け、メフィストさんが窓から外をのぞいている。とはいえ、船の側面にある窓からでは、これから入る河の様子までは見えなさそうだ。どんな河だったのかと、その様子をリディアさんがエメリアさんに尋ねる。
「河を見て顔を真っ青にして帰ってきたが、どれほどの急な河だったんだ?」
「急……とかじゃないです。滝です」
「え……」
その言葉が耳に届いたと同時に、船のスピードが勢いよく上がっていく。その後、船が前方へと大きく傾く。みんなは転がるようにして、前方の壁に体をくっつける。
「おお……壁に座るという体験は初めてだな」
もう、ほぼ部屋が90度、傾いている状態である。ただ、そこからなかなか動きがない。エメリアさんが、やきもきしている。
「行くなら行くで、早く行って欲しいですね……肝がひえひえしてしまいます」
なんかこう……いつ、ジェットコースターのてっぺんが来るか解らないみたいな感じ。確かに、ちょっと落ち着かない……。
「……落ちますわ。皆さま、ご注意くださいまし」
シロガネさんの注意が聞こえた次の瞬間、無重力領域にでも投げ出されたような浮遊感が襲ってきた。
「エメリア……体が浮いているぞ」
「浮いてるんじゃないです。落ちてるんです。いたた……」
若干、リディアさんの発言を修正しながらも、エメリアさんが天井に頭をぶつけている。実際、落ちてるのは間違いないのだろうけど、体感としては無重力である。俺も、そこまで体は重くはないから、リディアさんの胸元でふわふわしている。
「……」
メフィストさんだけ浮いてないな……そうか。体質的に、ちょっと体が重いからか。そのせいで一人だけ浮遊感を体験できず、ぽかんとした顔をしている。
「ッ!」
30秒ほどして、一気に落下の衝撃が襲ってきた。リディアさんたちはベッドにボンとお尻を落ち着ける。ベッドが柔らかくて良かった……。
「……!」
そうして落ち着いたのも束の間、今度はリディアさんの体は後方の壁に押し付けられる。船は前方へ進み始めたようだ。
「全然、動けないな……」
「でも、この……壁にギュってされる感じ、私はイヤじゃないです」
前に進む圧が強すぎて、壁際に押し付けられたまま動けないらしい。でも、壁の近くってなんか落ち着く……というエメリアさんの発言には同意しかない。
「しばし、この状態が続きますわね」
「部屋の中にいてよかったな……外にいたら絶対に放り出されていた」
部屋の中にいても、これだけ身動きが取れないくらい衝撃を感じるのだから、海賊団の人たちが重い装備で身を守っていたのも納得である。
「……」
そうして船の勢いに翻弄されているリディアさんたちを……何事もないかのように、ぼーっと見ているメフィストさん。そもそも体が重くて身体能力が高いから、あまり渓流下りを楽しめていない……。
「メフィストちゃん……気分だけでも味わっておいたらいいですよ」
「うん……わー。うごけなくなっちゃう」
エメリアさんに言われて、ころころしながら壁際にやってくるメフィストさん。物足りなさは感じているようだが、いくらか不満は解消されたようにも見える。体幹が良過ぎるってのも、レジャーのスリルを楽しむには少しネックではある……。
続きます。




