第88話『湯あみ』
「お嬢様。お待たせいたしましたわ……」
「はい。じゃあ、行きましょ~」
服を脱ぐのに最も時間がかかったのはシロガネさんであり、リディアさんとエメリアさんはバスタオルを体に巻いた姿で待っている。エメリアさんは布一枚を頭から被ってるだけだった訳で、それをすっぽり脱ぐだけで温泉に入る準備はばっちりである。リディアさんも服のヒモの結び目を解くだけで、脱衣は完了であった。
木でできた引き戸を開くと、その先は岩で作られた足場となっていた。湯気のせいで遠くまではっきりとは見えないが、かなり広い浴場のようだな。露天風呂にも見えるが、大滝が落ちてくるだけの穴があいているだけであって、空が見えないくらいしっかりと天井は作られている。空を飛べる人が普通にいる街であるからして、のぞき対策はきっちりされているようである。
「はい。石けんです」
「ありがとう」
エメリアさんが、リディアさんとシロガネさんに灰色の石を手渡している。石は手のひらにおさまるサイズで、チリをかためたようにごわごわとしている。戸口の近くには足湯のような浅い温泉があり、そこに座ってリディアさん達は体を濡らし始めた。他のお客さんたちも、ここで体を洗っているのが見える。
「……」
「……?」
「……あ……ごめんなさい。スタイルがよかったもので」
「ああ……いえ、構いません」
リディアさんがバスタオルを取ると、近くで体を洗っていた女の人が、こちらへ視線を向けた。やっぱり女の人でも、これだけ胸の大きい人が近くにいると、それなりに見てしまうものらしい。リディアさんもさることながら、エメリアさんはもっとムチムチしているし、そんな2人と比べて細く見えるだけで、シロガネさんもスタイルはいいと思われる。
「あの、じろじろ見ちゃってごめんなさい。失礼します……」
先に体を洗っていた女の人が、ちょっと照れたような表情を見せて奥の温泉へと向かった。リディアさんは自分の胸を持ち上げながら、その重さを確かめつつもエメリアさんへと声をかける。
「スタイルがいいといっても……キノコを食べて大きくなっただけだからな」
「リディアは元から胸が大きい方じゃないですか……」
「お嬢様の母様も、魅惑的な体格の方でございました。素質あってこそですわ」
シロガネさんが言うには、リディアさんのお母さんもスタイルがいい方らしい。ちなみに全然関係ないけど、俺も人間だった時の顔つきは母親似だったから、あまり男らしい見た目ではなかったな。不細工と言われたこともなかったが、カッコいいと言われたこともない。多分、世間的に見れば普通の容姿である。
「……」
温泉にいる他の女の人の体型と見比べてみても、リディアさんの胸は3倍以上も大きい。かなり重さもあるのか、裸で歩いている時は腕で抱え上げるほどである。それだけ重量があるとなれば、俺をつけたままにして、体を軽くしておきたいというのも理解できる気もする。
「リディア~。洗ってあげますよ~」
「いえ、お嬢様のお体をキレイにするのは、昔からワタクシのお仕事ですわ」
「自分で洗うからいい……こら、やめろ」
石けんを握りしめ、エメリアさんとシロガネさんが体洗いっこに意欲を見せている。昔はシロガネさんに洗われていたようだが、今となっては人に触られるのが恥ずかしいようで、リディアさんは自分の体に石けんを押し当てていた。石鹸でごしごしと肌を擦ると、リディアさんの白い肌が灰色に塗られていく。
石けんは水に溶けて、こするたびにボロボロと小さくなっていく。オケを使って足元からお湯をすくい、肌についた石けんの泥を流し落とす。白い肌が更にピカピカと、洗いたてのお皿みたいに光り輝いている。この世界では、この石けんが一般的なものなのだろうか。ついでにリディアさんは、俺のことも少しだけ石けんでこすってくれる。
「よし。温泉に行こう」
この足湯のような場所は、日本の温泉でいうところのかけ湯みたいなものらしく、温泉に入る前には、ここで体をキレイにするのが決まりのようだな。石けんがなくなるまで体を洗い、リディアさん達は足湯を出て浴場の奥にある温泉へと向かった。
浴場の一番奥には滝があり、滝つぼの周囲にはロープらしきものが張られている。落ちた滝の水は川のように流れて、そこから脈々と、あちこちの温泉へと行きわたっている。温泉は出入口に近いほど広いものが多くて、滝の方にあるものは小さめだ。どこに入ろうかと、エメリアさんが相談を持ちかけている。
「どこ入ります?」
「私は3番に入るが、エメリアはどこでもいいぞ」
「じゃあ、私も3番に入ります」
各温泉には番号がついているらしく、温泉の近くには目印として立札が設置されている。今、俺の近くにあるのは……10番の温泉らしい。その次に見えるのが9番。全てが順番通りに並んでいるわけではないようだけど、滝に近い温泉ほど番号が減っているようだな。
「私は熱い方がいいが、のぼせる前に出るんだぞ」
「大丈夫ですよ。あとで、飲み物を買ってきていいですか?」
「まだお酒はやめておくんだぞ……」
今の会話で、なんとなく察しがついた。立札に書いてある数字は、温泉の熱さの度合いを示してるんだな。一番ぬるいのが10番の温泉で、最も熱いのは1番なのだろう。源泉である滝は熱すぎるから、近づけないように縄が張られているようである。
「……」
温泉は熱さの違いの他にも、様々な種類のものが用意されている。ぶくぶくと泡が浮き上がっている温泉もあるし、湯の色が緑色のものもある。もっと変なのでいうと、ゼリーみたいな質感の温泉もあって、子どもたちが体をぬるぬるにして遊んでいる。壁際には沼にしか見えないものもあるけど、そんな温泉にも入っている人の姿はある。これだけ種類があれば、一日ずっと楽しめそうだな。
「あ……あっついですわ!」
「大丈夫か?」
「あ……ええ。問題はございません」
3番の温泉に到着し、シロガネさんが湯に手を入れて熱さを確かめている。かなり熱いらしく、湯から引き抜いた手を振って熱を逃がしている。3番から先の温泉には人の姿はなく、4番ですら岩みたいな体の人が1人いるだけ。ここは、かなり熱い部類に入るんだろうな……。
「効能、美肌と冷え性ですって」
「シロガネさんは冷え性だからな。効くかもしれないぞ」
「これだけ熱ければ、自然と冷え性も治りますわ……」
エメリアさんが看板の文字を読んでおり、それによるところでは冷え性に効果があるとの事である。温泉に入った3人の白い肌は、見る見る間に赤くなっていく。
「……シロガネちゃん、無理そうなら別の温泉に行ってもいいんですよ?」
「いえ、あなたこそ、のぼせる前に退却すべきではなくて?」
エメリアさんとシロガネさんが、互いの身を心配しあっている……ように見えたけど、違うな。リディアさんと2人きりになりたいから、先に出るようにと牽制しあっているだけかもしれない。
「……」
「……」
ついにエメリアさんとシロガネさんが、完全に無口になってしまった。リディアさんは全然、平気そう。そこから3分くらいはねばったものの、ほぼ引き分けといったタイミングで、エメリアさんとシロガネさんはお湯から体を引き上げた。
「痛くなってきました~。もう無理です~」
「お嬢様……申し訳ございません。ワタクシ、もう……」
「私にあわせなくていいから……」
熱さも過ぎると、痛みに変わってくるらしい。温泉の近くに座り込んで、2人とも赤くなった肌をこすりながら冷ましている。かといって、すぐに別の温泉に入る気にもならないようで、リディアさんの湯あみ姿を見物している。
「2人とも、別のところ行ってもいいぞ……」
「ここで見てていいですか?」
「髪をまとめさせていただきますわ」
エメリアさんはお湯に足だけつけてぶらぶらさせているし、シロガネさんは湿気で乱れたリディアさんの長い髪をキレイにまとめている。色々と構われて、リディアさんは、ちょっと落ち着かなさそうにしている。そんな、貸し切りだった3番の温泉へ、別のお客さんがやってきた。
「おお、人間よ。忍耐の修行であるか?」
「いえ、普通に入浴です……」
「がはは。無理はするな。体にさわるぞ」
そう言いながら温泉に入ってきた女の人の肌には、大きくて硬そうなウロコが生えている。魚人……じゃないな。真っ赤なウロコは金属のようにピカピカしていて、まるでヨロイをまとっているみたいに見える。でも、顔は人間の女の人と変わらないし、胸や腹などには肌色がのぞいている。
「がはは。人間なのに、この温泉に入っていられるとは、なかなか大したやつだ。だが、わがはいは天下無敵の竜人。これしきはぬるま湯に過ぎん」
「竜人……とすると、ギルド・竜の谷の方ですか?」
「ああ!いわずと知れた国一番の名ギルド、竜の谷所属のゲイトだ。ふがいない他のギルドの追随を許さぬ、最高の機関であるぞ」
この国にあるギルドって、リディアさん達の所属しているところだけじゃなかったんだな。竜の谷というギルド名からして、竜人という種族の人たちがまとめている一団なのだろう。リディアさんの様子からして他ギルドへの敵対心はなさそうだけど、あちらのセリフにはライバル意識が透けて見える。
「人間、助けが必要とあれば、ギルドを訪ねるが良い。高くはつくが、ギルド・鉄の森へ依頼するよりか、何千倍も力になろう」
「あ……ありがとうございます」
「いえ、リディア。私たち、依頼を受ける側じゃないですか……」
「……ほお。お前、木端ギルドの一員か」
エメリアさんのセリフを聞き、ゲイトさんは見下すようにして不敵な笑みを浮かべている。だからといって、ケンカを始めようという気もないらしく、あちらは温泉に肩までつかって、長い足を組んでのびのびとしている。
「お前、1番の温泉には入ったか?」
「一度、入りましたが……すぐに出ました」
「人間の肌では耐えがたいものであろう。火傷をする前に出るのは賢明だ」
ゲイトさんの体は筋肉も多くてがっしりして見えるし、きっと熱にも強いんだろうな。身長は190センチくらいはありそう。彼女のような人たちが集まっているギルドとなれば、相当な実力派ぞろいに違いない。
「エメリア、シロガネさん……そこにいて体は冷えないか?」
「お湯が熱いので、ここにいるだけで汗が出ます」
「おそばにいさせてくださいませ……」
俺は石だから熱さを感じないが、温泉の近くにいるだけでも、かなり肌が熱くなるようだ。サウナみたいな感じだろうか。ゲイトさんの自慢話を聞きながら入浴を続けていたら、気づけば30分くらいは経過していた。
「おい、人間」
「はい」
「……まだ、出ないのか?」
「もう少し、入っていようかと」
リディアさんは温泉が大好きなようで、もうちょっと入っていたいと言っている。エメリアさんがお湯を手ですくって、シロガネさんにかけたりして遊んでいる。そんな1分後、口数の減ってきたゲイトさんが再びリディアさんに話しかけてくる。
「……まだ出ないのか?」
「もう少し、入っています」
「お前、先程ももう少しと言っていたな?あれはウソか?」
「ウソかと言われてしまえば……そうなりますが」
ゲイトさんが、まゆを寄せて顔を赤らめている。冷静にふるまってはいるけど、熱がっている感じは否めない。
「……まだ出ないのか?」
「もう少し……」
「また、もう少しか!人間め!嘘をついたな!」
「う~ん……じゃあ、出ます」
まだまだリディアさんは温泉に入っていられそうだが、ゲイトさんが遠まわしに出ろと言ってくるからして、彼女のメンツを重んじてお湯から体を持ち上げた。エメリアさん達と別の温泉へ行こうとするのだが……その行き先は、2番の温泉である。2番というと……ここより、もっと熱い温泉だ。それを見て、ゲイトさんは急いで温泉から立ち上がった。
「待て、人間!」
「……?」
「お前、化け物か……」
「人間ですが……」
人間より先に温泉を出るのがイヤだったのか、温湯の中で意地をはっていたゲイトさん。これには、さすがに負けを認めた……。
第89話へ続く




