第7話『名前』
「……」
朝が来た。目が覚めたのは夜明け前。空に視線を移動させたら、やや空が明るんでいるのが見えた。現在、岩でできた俺の体は2つに分裂している状態で、この世界に転生した時の場所に残されているのは大きな体。意識が宿っているのはバスケットボールほどの大きさの岩。こちらは村の前にある、閉じた門の近くに落ちている。
村は高い木々に囲まれていて、ここからでは遠くの景色まではうかがえない。そういえば……俺の精神自体は1つしかないから視点も1つだけど、体は別々の場所に2つ存在してるんだよな。分裂した体が遠くにある場合でも、意識の転送はできるんだろうか。試してみよう。
『 体1 場所:見晴らしの丘 → 体2 現在地:ルッチルの村 』
分裂スキルの項目に、このようなメニューを発見した。矢印でカーソルがついている。これを動かして決定すれば……。
『 → 体1 現在地:見晴らしの丘 体2 場所:ルッチルの村 』
現在地が変化した。ステータス画面を閉じると、海の見える景色が目に入ってきた。どこに体が置いてあっても、自分の体へは意識を飛ばせるらしい。つまり……これって、分裂させた体を世界の至る所へ置いておけば、あらゆる場所へ素早く視点を動かせるってことだろうか。まるで、世界中にカメラを仕掛けておけるように。それはそれで、使い方によっては便利かもしれない。
広がった空をよく見てみると、なんだか少し赤っぽくなっているような気がした。待てよ……リンちゃんが俺の元へ来た日の少し前、こんな色の空じゃなかったかな。確か写真に撮ってあったはず。画像で確認しよう。
「……」
画像フォルダを開いてみたところ、1番最初に出てきたのはリディアさんとリンちゃんの写真だった。しゃがみこんで、俺を見下ろしている1枚の写真。撮ったんだっけ?まあ、画像が残っているってことは、思わず撮ったんだろう。リディアさんの優しげな瞳。リンちゃんの不思議そうな顔。それが高画質で保存されている。
「……」
写真を下の方へスクロールさせたところ、リンちゃんのふとももが映っているのを発見した。10歳にも満たなそうな女の子の足だし、なんにも思うところはないのだけど……これじゃ盗撮だ。画像を編集し、スカートの下側だけカットして削除しておく。
リディアさんの方は……問題なさそう。でも、分厚い鎧を脱いだリディアさんは意外と肉感的で、女性的なメリハリのある体つきをしているのに気づいた。スマートな顔つきからしてスレンダーな美人だと勝手に思っていたから、服の胸元をゆがめている大きな胸部が目についた。谷間が撮影されている訳でもないし、こちらは編集しなくていいか。
誰に見られる訳でもない盗撮の証拠を隠滅し終え、日付順に並んでいる写真を現在から過去へ遡っていく。今日の空に近い色の空は……あった。この日だ。そして、それは赤い月の夜の2日前。この法則でいけば、次に魔人たちが村を襲うのは、明後日の夜。ここにいれば、その様子を目にすることになる。
「……」
魔人が来たとしても、俺にできることなんてないし、下手に干渉して魔人の怒りをかったりしたら、村の人たちにも迷惑がかかる。それに、俺だってリンちゃんやリディアさん、エメリアさんが酷い目にあうのは見たくない。前日になったら逃げよう。そう決めて、俺は小さい岩の体へと意識と視点を移動させた。
「みなさん。おはよう。朝だぞ」
おじいさんの大きな声と共に、村の入り口にある門が開いていく。ギギギと木のきしむ音が響く。老人は開いた扉をヒモで固定している。村の中からは、荷台に野菜を積んだ馬車……馬か……馬ではないな。クマみたいな大きさのネズミみたいな生き物が、のそのそと車を引いて出てきた。
「行ってくる」
「気をつけてね」
ネズミ車の運転席には、筋肉質な体の男の人が乗っていて、見送りに出てきた女の人と軽くハグを交わしていた。きっと夫婦なのだろう。どちらも見た目は若くて、年齢は二十代半ばか三十歳くらいだと思われる。でも、ステータスにはリロック族と書かれているから、地球人の観点で見た年齢はあてにならないかもしれない。
「お父さん。行ってらっしゃい」
男の人の見送りをしに、リンちゃんがやってきた。そっか。あの2人は、リンちゃんの両親なんだな。お父さんもお母さんも、体に何か所も包帯を巻いている。魔人にやられたのかな。それでも命まで取られないのは幸いなのか、生かして利用価値があるからなのか。どちらにせよ酷い。
お父さんを見送り、リンちゃんとお母さんは村に入っていく。もう他の村人も起きているのだろうか。俺だったら、学校がある日だってギリギリまで眠っているだろう。そうして、お母さんが起こしにきてくれて、起きたらごはんができていて……もう、戻らない過去だけど。
村の人たちは、何をしているのだろうか。こっそりと体を転がして、村の中が見通せる場所へ移動した。畑仕事をしている人がいる。壊れた家を修理している人がいる。煙突から白い煙が出ている家もあるな。大きな村ではないけど、ここだけで一通りの施設はそろっているように見える。夜明け直後だというのに、みんな働き者で真面目そうだ。
「……」
数十分ほどして、リディアさんとエメリアさんが二階建ての家から出てきた。あそこが宿屋なのか。装備を着こんだ2人を見つけ、水の運搬を手伝っていたリンちゃんと、リンちゃんより少し背の高い女の子が話しかけている。
みんなが俺の方にやってくる。また冒険者の2人は探索に出るのかな。そう考えながら見ていたら、走ってきたリンちゃんと、もう一人の小さな女の子が俺の前にしゃがみ込んだ。その後ろに立っているリディアさんがリンちゃんに向けて言う。
「じゃあ、ヒカリのお世話は頼む」
「はい。拭くよー」
ヒカリって誰だろう。それが明らかにならない内にも、リンちゃんは濡れたタオルで俺をこすり始めた。リンちゃんの隣にいる女の子は、ヒシャクのようなもので俺に水をかけている。今度はエメリアさんが、何かに対してリンちゃんへとお願いしている。
「ヒカリが頑張ってくれたら、ピカピカしてモンスターも追い返してくれるかも……しれません。簡単にお掃除、よろー」
エメリアさんのセリフで確証を得た。ヒカリというのは……間違いなく俺のことだ。一晩の内に名前が決まったらしい。正直、元の名前の『石田欣二』の方が今の姿にピッタリな気がするけど、変な名前で呼ばれない分には安心した。
「お姉さん方、今日はいかがされるの?」
「ん?エメリアの持っているアイテムで、魔人弱体の陣を張る。うまく踏んでくれれば、戦いが楽になるだろう」
リンちゃんの隣にいる女の子の質問を受け、リディアさんが今日の予定を告げている。侵入は拒めなくても、弱体させる術はあるのか。昨日の探索も、それをふまえての現地調査だったのかもしれないな。
「頑張ってね。手伝えることがあったら、リンが聞くからね」
「解った。リン。ジェム。何かあれば、報告を頼む」
リディアさんとエメリアさんは荷物を担いで、森の中へと足を進めていった。そんな2人を送り出して、リンちゃんたちは俺の方へと向き直った。
「ジェム姉。水ちょうだい」
「あまり強くこすってはダメよ。傷がついてしまうもの」
リンちゃんの隣にいる女の子は、ジェムという名前らしい。歳はリンちゃんより1歳か2歳くらい上だろうか。髪の色は青色で、リンちゃんとは目の色も違っているから、姉妹ではないらしい。彼女もまた、腕に包帯を巻いている。
「リン。見て。鏡のよう」
「本当だ。キレイ」
磨いた俺の体に顔を近づけて、自分たちの顔を見ているらしい。顔が近い……石になっても、これだけ近くで見つめられたら、それなりに緊張する。
「……」
2人は俺の体を洗う手を止めると、急に元気をなくしたように肩を落とした。そして、ジェムさんは目を閉じて両手を組み、消えそうな小さな声で祈りをささげた。
「リンも街のみんなも、リディアさんも、エメリアさんも。みんな……無事でいられますように」
「……ジェム姉」
「……なんてね。ヒカリちゃんが、助けてくれるわけないのに」
……何に祈りを捧げているのかと疑問に思いながら聞いていたのだが、どうやら願いは俺に向けられているらしい。そうだよ。俺に出来ることなんてないし……もう魔人が来る当日には逃げると決めている。しかし、それでも……それで、俺は。
第8話へ続きます




