第170話『ガケ』
「では、ピィさん。また、よろしくお願いします」
「ピィー!」
リディアさんはピィさんの首元をなで、木の根を足がかりにして背中へと飛び乗った。エメリアさんもリディアさんの後ろに座り、振り落とされないようリディアさんに密着する。
「うん。段々、ピィさんにも乗り慣れてきたな」
「リディア。そんな薄着で股下、こすれないんですか?」
「案外、大丈夫だぞ」
エメリアさんが股下の心配をしている。確かに……リディアさんの服装は水着も同然であり、太ももや腕はピィさんの羽毛にこすれている。それでも痛みの1つもないという事は、ピィさんの羽が非常に柔らかいか、リディアさんの防御力が高いか……もしくは、その両方かもしれない。ピィさん達の羽をもらって寝具に詰め込んだら、最高級のマクラや布団が出来あがりそうな予感だ。
リアカーを手放して身軽になったメフィストさんは、ピィさんの少し後ろを歩く。シロガネさんの姿は見えないが……多分、木の上を伝って追いかけてくれているはずである。
「シロガネさん。そろそろ出発します」
「承知しておりますわ」
リディアさんがシロガネさんへ一声かけると、ピィさんは強く地面を蹴って移動を再開した。一旦は湖のあった場所まで戻り、湖畔の静けさに寄り添って走る。ピィさんのスピードが乗ってきたところで、木の上にいたシロガネさんも飛び降りてきた。なお、ピィさんを追い抜く勢いで走っているメフィストさんを見て、リディアさんは洞窟に置いてきたリアカーのことを思い出している。
「……メフィストさん、セイクリッド号はよかったのですか?」
「うん。実は、ない方が走りやすい」
元々、あのリアカーはリディアさん達を乗せる為に用意したものだったのだが、その役割はピィさんが果たしてくれている。シロガネさんも自分で走る方が性に合っているといった様子だし、メフィストさんにとっては置いてきてよかったとも考えられた。
湖のそばにある砂利道を抜けると、低い木々が立ち並ぶ地帯に出た。柔らかな土や雑草が次第に色を弱め、白い岩が地面から突き出している場所へ辿り着く。その先は……急に足場がなくなっている。のぞき込むほどの深いガケを前にして、ピィさんが足を止めた。
「ここは……さすがにピィさんでも渡れないか」
リディアさんの声を聞きながら、ピィさんがキョロキョロと周囲の様子をうかがっている。ピィさんは滑空はできても、飛行は得意ではないみたいだな。ガケの遥か下の方には、深くて広い川が流れている。向こう岸までは距離があるし、ジャンプで跳び越すのは難しそうだ。
「えっと……どこかに橋が、あったはず」
「ピィー!」
メフィストさんが地図と思しき紙を広げ、現在地に目星をつけようと試みる。でも、それを待たずしてピィさんはガケのフチを走り出した。向こう岸へを渡る方法が見つかったのだろうか。
「……」
川の流れと同じ方向へ進む事3分。ガケから根が飛び出る形で、1本の大きな木が立っている場所へと到着した。木の下の方から、何かの削れるような音がガリガリと聞こえてくる。
「ミミミミ」
聞き覚えのある鳴き声がする。木の周りにいる魔獣は……ネココだな。リスみたいなウサギみたいな、なんとも言えない姿をしている。
様々な色のネココが木の下に集まっており、それぞれが小さな両手で石を持ち上げている。集団で木の幹を叩いて削っているらしく、大きな木の根本は今にも倒れそうなほど細くなっていた。その様子を見て、シロガネさんは魔獣たちの目的に察しをつける。
「……木を倒し、橋を作るつもりなのでは?」
「なるほど」
「ピィー!」
魔獣たちにも考えがあると知り、リディアさんが納得の声を出している。聖女をお連れしたと告げるようにして、ピィさんが大きな声を上げた。ピィさんの頭の上に乗っているウサギも身を起こし、木が倒れる時を腕組みながらに待っている。
「ミミミ」
ネココは20匹くらい集まっていて、手を休ませることなく作業を続けている。そろそろグラグラきてもよさそうなのだが、なかなか木の方もしぶとい。それなりに太い木である為、倒すにも一苦労なのだと思われる。
「……」
ちょっと疲れてきたのか、ネココたちはハアハアと舌を出して、俺たちの方へと一斉に顔を向けた。いや、別に誰も急かすつもりはないだろうし、ゆっくりやってもらって問題ないと思われる。
「がおおぉ!」
あと少しで木を切り倒せそう。そんな状態が数分ほど続いた。そこへ、大きなアゴを持った恐竜のような魔獣が現れ、作業を続けていたネココたちが道を開ける。あの魔獣も見た目は怖いけど、リディアさんを迎える為に来てくれたようである。恐竜は大きく口を開き、ノコギリのような歯を木に食い込ませる。
「ぐっ……ぐぐぐ……」
「おお……倒れるぞ。みんな、気をつけて」
木が倒れる予感を受けて、リディアさんが注意喚起をうながしている。恐竜が頭を動かし、ぐらぐらと木を揺する。木は重力に引っ張られるようにして、ついにガケの方へと倒れ始めた。おお……ついにやったぞ。
「やったか」
「やりましたね~」
魔獣たちの仕事ぶりを称えて、リディアさんとエメリアさんが拍手を送っている。倒れた木はガケの向こう側へと、橋渡しにかかって……。
「……」
かかった……かと思われたが、わずかばかり長さが足りず、そのまま木は崖下へと落ちていった。深くて広い川へとキレイに突き刺さる形で、木は豪快に水しぶきを上げながら硬直する。
「……」
ネココも恐竜もピィさんも、みんな黙ってガケ下の木を見ている。これは……なんというか、微妙な空気だ。あれ以上に長い木は近くに生えていないし、橋渡しの策は尽きたようである。リディアさんも戸惑いがちな表情で、ピィさんの横顔をながめている。
「ミミミ」
ネココたちはリディアさんにお辞儀っぽい仕草を見せつつ、森のある方へ1匹1匹と消えていった。恐竜も大きな体をしょんぼりと縮めて、どこか残念そうな後ろ姿ながらに帰っていった。
「ピィ」
あのネココや恐竜も、リディアさん達が来たと知って道を作ってくれていたのだろう。作戦に不備が出てしまい、ピィさんも立ち往生している。そこで改めてメフィストさんはマップを広げ、橋の掛かっている場所を探してくれた。
「橋を渡る……遠回りになるけど」
「……今、私たちって、どこにいるんです?」
「今、ここ。橋は……この辺?」
エメリアさんに現在地を聞かれ、メフィストさんは地図の一部を指さした。リディアさんがマップを見ようと体を横へ向けた拍子に、俺にも紙面に描かれたマップの内容がうかがえた。これは……地図屋さんが描いてくれたものとは雰囲気が違うな。この地図も、メフィストさんの手作りなのかもしれない。
「……」
橋のかかっている場所までは、地図上で見ても解るくらい距離がある。それだけ、人の歩きやすい道を避けて歩いてきたという事でもある訳で、ピィさんたち魔獣は人の目に触れたくないのではないかという思惑が感じられた。なので当然、橋のある方角へ向かおうともしない。
「これから、どうするんですか?ピィさん」
エメリアさんはピィさんの背中から降り、今後の作戦について尋ねる。すると、急にピィさんは木々のある方向へと顔を向けた。
「……あそこ。戻ってきたぞ」
「ミミミ……」
ピィさんの視線の先をリディアさんが指さしている。森へと去っていったネココたちが、赤くて丸い物を手にして戻ってきた。あれは……なんだろう。
「ニッチニッチ!」
「ミミミ」
ピィさんの頭に乗っているウサギの魔獣が、待ちわびたとばかりに短いシッポを振っている。どうやら、ピィさんたちはネココが戻ってくるのを待っていたようだな。ウサギの魔獣の指示に従うようにして、ネココたちは持ってきた丸いものを川へと投げ込んだ。それは放物線も描かずにポシャリと音を立て、ゆるやかな川の流れに飲まれてしまう。
「リディア。あれなんですか?」
「なんだろう……シロガネさん。知ってますか?」
「申し訳ございません。存じ上げませんわ」
などと仲間内で質問を受け流した末、3人はメフィストさんを見つめる。でも、メフィストさんも詳しくはないようで、素直に首を横へ振っていた。
「……?」
ネココたちは持ってきた丸いものを全て投げ終え、木をかじり倒した恐竜も、小さな手に持っていた1個を川へと放り込む。結局、あれはなんなのだろうか。そんな疑問を浮かべつつ、リディアさん達は事の経過をながめている。
「……?」
しばらくすると、川の中から何か、大きな物が浮かび上がって来るのが見えた。
「……」
川から現れた巨大な物体は、そのまま空中へと浮かび上がる。大きなクラゲのような形をしており、細くて長い触手に似たものが、うようよと生えている。さっきネココたちが投げたものが、これに変化したのだろうか。赤いバルーンが大量に川の中から現れたような、あまり現実感のない不思議な光景が広がる。
「ピィー!」
ピィさんが足踏みを始めた為、エメリアさんも急いでピィさんの背中へと飛び乗った。ピィさんは勢いをつけてジャンプし、バルーンらしきものを乗り継いでいく。ああ、そうか。これを足場として向こう岸へ渡れるよう、ネココと恐竜は用意してきてくれたんだな。
「……」
バルーンらしきものは水を含むとふくらむ物体のようで、吸い込んだ水を下へ放出しながら、ふわふわと宙に浮かんでいる。それなりに丈夫でもあり、ピィさんが飛び乗っても割れたり破けたりはしない。ピィさん達に置いていかれまいとして、メフィストさんもバルーンに似た物体へと飛び乗った。
ガケの上に浮いているバルーンを4つほど乗り継ぎ、ピィさんはガケを渡り終えて着地した。ピィさんと同じルートを辿って、メフィストさんも川へ落ちることなくガケを突破する。向こう岸に残されたシロガネさんへ、エメリアさんが手を振っている。
「シロガネちゃん。置いていきますよ~」
「……」
謎の物体に乗るのを恐れているのか、シロガネさんはスカートのすそを持ち上げたまま、行こうか行くまいかとして立ちすくんでいる。ピィさんもシロガネさんの方を向き、渡って来るのを待っている様子だ。何を懸念にしているのかと、リディアさんが手を振って呼びかける。
「シロガネさん。どうしましたか」
「……これは、きっと魔獣ですわ!スキあらば、噛みつくやも解りません!」
「魔獣……でしょうか」
バルーン状の物体はクラゲみたいにゆらゆらと動いているし、言われてみれば魔獣にも見えないこともない。でも、自我を持って浮かんでいるという様子でもなく、その点では植物にも見える……これは、動物ギライのシロガネさんから見れば、微妙なラインである。
「シロガネさん。恐らく、これは魔獣ではないです。大丈夫です」
「お嬢様……魔獣でないとすれば、これは……一体?」
「……」
なんなのか。数秒の思考をはさんで、リディアさんが答えを導き出した。
「これは……キノコです!水に浮かぶキノコです!」
「わ……解りましたわ。これはキノコ……これはキノコですわ……」
リディアさんの発言を信じて、シロガネさんは自己暗示をかけ始めた。キノコであれば、噛みついてくる心配もない。これなら、シロガネさんにも乗りこなせるはずである。ネココと恐竜も森へ帰らず、シロガネさんの様子を見守っている。
「……行きますわ!」
数分後、シロガネさんが声高に宣言。そして、見事にガケを突破した。
「お嬢様。大変、お待たせいたしましたわ……」
「いえ……無事に渡れてよかったです」
ガケを渡ることには成功したシロガネさんだったが、宙に浮かぶ謎の物体へ触る勇気は出なかったようで……その手段としては、自前のグライダーが使用された。シロガネさんのバッグ、本当になんでも出てくるな……備えあれば憂いなしとは、まさにそれである。
第171話へ続く




