第167話『滑空』
「舌をかむと死ぬので、飛行が安定するまでは、ちゃんと口を閉じていてください」
「うん」
「上空は空気が薄くなります。気を失わないように気をつけてください」
「気を失わないように気をつけるとは一体、どうすれば」
「がんばってください」
今からピィさんが飛び立つとして、エメリアさんが飛行に際しての注意点を教えてくれている。あれやこれやと言われるが、結局は気力が大事であると見られる。エメリアさんの話が終わるまで、ピィさんも首をひねったりしながら待ってくれている。
「……ワタシは、聖女様の行き先を見て追いかける。もし、はぐれたら、湖で会う」
「そうですね。離れ離れとなった場合の集合場所は湖にしましょう。シロガネさんも、よろしいですか」
「承知いたしましたわ」
メフィストさんがパラシュートらしきものを用意しつつ、離れ離れになった時の相談をしている。考えても見れば、このままピィさんは目的地まで一気に飛んでいく可能性だって考えられるのだ。パラシュートによる滑空では、翼を持つ生き物の飛距離にはついていけない。
「それでは……2人とも、無理はしないでください」
パラシュート部隊2人の準備が整ったところで、リディアさんはメフィストさん達に心配の声を向けた。そして、ピィさんの首に抱き着き、もう出発していいと意思を伝える。調査に必要そうなものはメフィストさんがカバンに入れてくれていたし、特に忘れ物もなさそうに思える。
「ピィー!」
いざ、ピィさんが風の中へと飛び込んでいった……と思われるのだが、俺はリディアさんの胸に下げられているアクセサリーなので、大きな胸を押しつけられていて何も見えない。一瞬だけゴウンと大きな音がした後、風の引き裂かれるような音が甲高く、次第にうなるように聞こえてくる。重力がなくなっていく。軽い。
「……」
周囲の音が全て消えた。ジェットコースターの頂上へ到着した時というのは、こんな感じだろうか。今から地面へ目掛けて落ちるという不安感と、このまま上空を行くかもしれないという期待感。結果は……どちらともいえない微妙な体験として残った。
「エメリア。ピィさんは飛んで……いるのか?」
「飛びながら落ちてます」
強い風を受けて、俺の体がリディアさんの胸の谷間から抜け出した。周囲の景色は空ばかり。白くかすんで見えるのは、雲だろうか。ピィさんは姿勢を前傾にして、羽の動きは最低限に抑えつつ、前方へ向かって飛ぶ。エメリアさんの言う通り、ピィさんの体は上昇せずに少しずつ、眼下に広がる大地へと近づいていく。
「湖が見えたぞ」
リディアさんが少しだけ顔を上げて、遠くの景色をのぞく。俺の目には湖の位置は映らないが、俺が魔人と対峙した山の頂が、視界の遥か彼方に入り込んだ。山と湖の位置から察するに、まだまだ道のりは長い。この調子でピィさんが落ちて行くとすれば、飛行は湖までずっとは続かないと予測される。
「……」
空には小さな島々が浮かんでおり、ピィさんは羽を傾けて浮き島を回避していく。風の力が弱まってきたのか、徐々に下降する勢いが増している。前方への飛行速度をおさえ、ピィさんが顔を下に向けて何か探している。
「着地するみたいですよ。しっかりつかまってください」
エメリアさんいわく、着地の時が近いらしい。次第に羽ばたきの回数が増し、周辺に見えていた山々が高くなっていく。いい着地点が見つかったようで、ピィさんは木々に羽を引っかけることもなく、森の開けている場所へと体を降ろした。
「ピィ」
神獣のいる湖よりかは幾分も小さな湖へ降り立ち、ピィさんは着地と疲れたような声を出した。2人分の体重を支えて飛ぶのは、ピィさんといえども体力を使うらしい。でも、その労力に見合って、かなり湖まで近づけた気がする。
「ピィさん。お疲れ様でした……」
「たくさん飛んでくれました。このまま行けば、夜には湖に着いちゃうんじゃないですか?」
リディアさんがピィさんをなでる傍ら、エメリアさんは飛距離について言及している。でも、フィールドワークをこなしているメフィストさんじゃないと、現在地に関しては目星がつかない。
すぐにシロガネさんとメフィストさんもピィさんの後を追うという話だったからして、リディアさんはピィさんから降りると、仲間の姿を探すようにして空を見上げた。まだ人影は見えない。そうしている内、近くにある森の中から物音が聞こえてきた。
「……」
音がした方へと目を向ける。木の陰から、鳥が顔を出しているのが見えた。あれは……ピィさんだ。
「……」
よく見ると、森の枝葉に擬態するようにして、大勢のピィさんがいるのが確認できた。1羽……2羽……3羽……いや、もう数えきれないくらいピィさんがいっぱいいる。ピィさん達は遠慮がちに草むらを抜け出ると、ぐったりしているピィさんを取り囲んだ。
「ピィー!」
「ピィー!」
森から現れたピィさん達が次々と鳴き声を発し、休んでいるピィさんの背中にくちばしをさくさくと突っ込んでいる。これは、なんの儀式が始まったのだろうか……。
「エメリア。あれは……いじめられているのか?」
「ピィさん一族のことは、私にもよく解りません」
魔獣に詳しいエメリアさんも、ピィさんの種族については見識がないようである。ただ、くちばしを差されている方も別に痛そうではないからして、きっとカツを入れられているだけなのだろうとは思われる。
「おじょうさまー!」
上空よりシロガネさんの声が聞こえると、ピィさんの仲間たちは忙しい足音を立てて逃げ去っていった。やっぱり、武器を持っているシロガネさんのことは警戒しているのだろうか。リディアさんのそばに着地したシロガネさんを追うようにして、メフィストさんも着陸……いや、近くにある湖に着水した。
「この湖……浅い」
「メフィストさん。大丈夫ですか……」
メフィストさんが落ちた湖は深くはないようで、立ったら普通に水面から肩が出た。リディアさんに引っ張ってもらい、腰に巻いているパラシュートごと引き上げてもらう。シロガネさんのパラシュートは見た目も立派にパラシュートだが、メフィストさんのパラシュートは大きな風呂敷である。
「よく、それで飛べましたね……」
「体が小さいと便利。軽いから飛べる」
世の中、ひとくくりに大きい方がいいとは限らないが、メフィストさんの体の小ささと体重の軽さがたたって、コントロールがきかずに湖に落ちたとも考えられる。なにごとも一長一短である。そして、シロガネさんは何でもそつなくこなす。すごい。
「先程、お嬢様が魔獣の群れに襲われていたと存じますが、ご無事でございますか?」
「ああ。襲われていたのは私ではなく、ピィさんの方でしたが……」
そうしてシロガネさんがリディアさんの心配をしている隙を見て、また小さなピィさんが3羽ほどやってきた。子どものピィさんだろうか。他のピィさん同様、小さなピィさん達も倒れたピィさんをクチバシでつついて逃げていく。
「ピィー!」
たくさんつつかれて怒ったのか、はたまた元気になったのかは不明だが、ぐったりしていたピィさんが復活した。シロガネさんとメフィストさんにもケガはなさそうだし、飛行大作戦は成功に終わったと言ってよさそうである。
「……シロガネさん。タオルは持っていますか?」
「ええ。こちらに」
そこまで大きくないのに、なんでも出てくるシロガネさんのバッグ。リディアさんはタオルを受け取り、メフィストさんの髪をごしごしとこすり始めた。もうピィさんは出発できる様子だけど、さすがにずぶ濡れでメフィストさんを走らせるわけにはいかない。
「ワタシ、大丈夫だ……」
「かわかしてから先へ進みましょう。風邪をひいてしまいます」
「風邪をひいても走れる」
メフィストさんは白魔術をかけられた状態でも帝国に帰ってきた人だから、風邪をひいても走り続けられるのは本当なのだろう。彼女が超人的な体を持っている事は既に理解できているとはいえ、リディアさんとしては無理はさせたくないのだと思われる。
それに……まあ、風邪のせいで気を失ったりする描写がドラマやアニメには多々あるけど、実際に風邪をひいてみると倒れるほどの症状はマレで、微妙にノドが痛かったり呼吸しづらかったりするだけだったりする。死んだ今となっては手遅れだが、健康に産んでくれた母さんに感謝したい……。
「お嬢様。衣服を乾かす必要がございます。ワタクシが黒魔法で温めますわ」
「いいのに……早く湖に行きたい」
「なりませんわ。お嬢様のおっしゃる通りにさせていただきたく」
リディアさん達に面倒をかけたくないようで、メフィストさんはタオルを押し返している。でも、乾かすまで出発しないとリディアさん達に言われてしまい、しぶしぶタオルにくるまれていた。体力回復のついでに、ルビィさんが朝に作ってくれたおにぎりも、この場でいただくようである。箱の中のおにぎりをピィさんが、じっと見つめている。
「……ピィさんも、にぎりかためを食べるだろうか」
「ねばねばしたものはノドに詰まるんじゃないですか?」
リディアさんのおにぎりを欲しそうにしているが、エメリアさんいわく、あげるとノドに詰まる可能性があるという。仕方ないので、おにぎりの具として入っている小さな実だけつまみ出して、それをリディアさんはピィさんに食べさせてあげた。
「……行ってしまった」
「しょっぱいのは好きじゃないのかもしれないですね」
期待した味と違ったのか、ピィさんはおにぎりの具を一粒だけ食べると、満足して湖の水を飲みに行ってしまった。食べるものにこだわりがあるのだろうか。
「……」
シロガネさんがメフィストさんを後ろから抱きしめて、全身全霊の魔法を込めて体を温めている。服が乾いたらメフィストさん達もご飯を食べるだろうし、それなりに休憩時間を取ると見られる。そこで、先におにぎりを食べ終わったエメリアさんが、こっそりとリディアさんに耳打ちした。
「さっき、たくさんピィさんがいたじゃないですか?」
「ああ、いたな」
「……近くにピィさんの住処があると思うんですが、メフィストちゃんが乾くのを待つ間に、見に行きませんか?」
「行く」
リディアさんが答えるより先に、タオルにくるまれているメフィストさんが返事をした。3メートルくらいは離れているのに、なかなか地獄耳だ……。
「でも、ただ見てくるだけですよ?」
「行く」
エメリアさんの言葉にも、メフィストさんは断固である。置いていくのも可哀そうだと思ったようで、やっぱりみんなで一緒に見に行く事に決まった。
第168話へ続く




