第126話『睡眠』
「あ……ああ。それは、いいのですが……なぜ?」
唐突に、ルビィさんがリディアさんに抱いて欲しいと願い出た次第。予期せぬ頼み事が告げられたせいで、リディアさんの方も赤面の上、まゆをわずかに下げている。どうして、そんなことを言い出したのか。ルビィさんは理由を正直に明かしてくれた。
「だだだ……だってぇ。エメリアさんが、リディアさんの体の香りをかぐと、すごい眠くなるというので。呪術師として、身近な謎を解明すべく」
「お前。いたいけな少女にウソをつくんじゃない……ウソだよな?」
「いえ、これが本当なんですよね」
エメリアさんが太鼓判をおすとなれば、眠くなる香りをリディアさんがまとっているのは間違いない事実なのだろう。俺は生き物じゃないから、眠気という感覚には鈍感だ。本当に眠くなるのかどうかについては、ルビィさんにレビューしてもらわないと解らない。
「……エメリアのいう事なので、あまり真に受けず……どうぞ」
「では……失礼して」
荷物を玄関前の階段に置き、リディアさんは両手を広げて受け入れ体勢を見せた。会って間もない人から抱擁を受ける機会など普通はない訳で、ルビィさんは気恥ずかしそうに目をいっぱいにつむって、そろりそろりと体を預けていく。
「……」
背の高さの関係上、リディアさんの胸の辺りにルビィさんの顔が位置している。ずっしりと重そうな胸にルビィさんが顔をうずめると、リディアさんはルビィさんの体に腕を回した。俺はリディアさんの胸の上に乗っている身であるからして、今はルビィさんの額に当たっている状態である。痛かったら、ごめん……。
「んんぅ……」
「……」
ふるふると体を震わせていたルビィさんの体が、心なでられたかのように落ち着きを見せていく。布団に入って眠気を吸い込んだような甘い声を出した後、すっかりルビィさんは動かなくなってしまった。
「……ルビィさん?」
「……」
安さかな寝息が聞こえてきたのを知り、リディアさんはビックリした様子ながらも動けずに、小声でエメリアさんへと助けを求めている。
「……エメリア。ルビィさんが気絶した。どうする?」
「眠っているだけだと思います……」
体のにおいと、胸の柔らかさに当てられて、ルビィさんは夢の世界へ旅立ったらしい。リディアさんは彼女を抱きしめたまま階段に座って、しばし休息をとらせてあげている。はた目に見たら意識不明者を抱えている構図だが、幸いなことに通行人はいないので誰にも見られていない。でも、俺は気づいた。窓から、ばっちりシロガネさんが俺たちをのぞいている。
「……」
シロガネさんは信じられないといった驚きの表情で、むしろ羨望のまなざしで、リディアさんとルビィさんをじっと観察している。様々な感情が胸に芽生えているようで、額を押さえて何か考えているようである。きっと、家に入ってきたリディアさんに、なんと声をかけようか悩んでいるのだと思われる。
「……エメリア。そろそろ起こしていいよな」
「こんなに気持ちよさそうに寝てる少女を起こすんですか?」
「風邪をひかれるよりはいいだろう。ルビィさん……起きてください」
「お母ちゃま……あっ。ふぇ?あ……はい……」
体を軽くゆすってあげたところ、ルビィさんは寝ぼけまなこでリディアさんの顔を見上げた。ぼーっとした表情を見せていたが、徐々に自分の置かれた状況が解ってきたらしい。階段から転げ落ちそうになりながらも立ち上がり、エメリアさんに肩をつかんでもらっていた。
「はわわ……甘美な領域に足を踏み入れ、あろうことか醜態を晒した我……謝罪いたします」
「それはいいのですが……本当に眠ってしまうとは。こちらが驚きました」
謝罪しながらもルビィさんはリディアさんの柔い胸元を見つめており、先程の抱擁が忘れられないといった様子をにじませていた。そんないい場所をいつも占領していて、俺としてはなんか悪いなといった気持ちである。
「リディアさんの香り……不思議と安心します」
「自分では解らないが、そうなのかな……まあ、メフィストさんも心配だし、中に入ろう……」
ルビィさんが疲れていたのか、本当にリディアさんの体が安眠を促したのかは不明なままだが、とにかく家の前でたわむれていてもアレである。3人は買ったものを持って家へと入り、リビングへと顔を出した。家を出る前と同じく、メフィストさんは気だるげにお茶をすすっている。シロガネさんは、おたまで鍋の中の何かをかきまぜている。
「お……お帰りなさいませ。お嬢様」
「ただいま。これ、夕食に使えそうなものを買ってきました」
「あの……お言葉ですが、お嬢様。いたいけな少女に手を出すとは淑女としてうんぬん……」
「シロガネさん……その鍋、火にかかってないぞ」
シロガネさんがお説教を始めたものの、かきまぜている鍋が熱されていないことの方が気になって、その内容が耳に入ってこない。というか、鍋に具材も入っていないあたり、シロガネさんは非常に取り乱していると見える。リディアさんから食材を受け取り、気を取り直してキッチンに並べ始めた。その一方で、ルビィさんは買い物に出た結果をメフィストさんに報告している。
「あの!メフィストさん!我、白魔法を和らげられる……やもしれぬ方法が見つけました!」
「え……ほんと?」
「ええ!たぶん!おそらく!」
はきはきとした声の調子に反して、ルビィさんの面持ちは神妙である。実際に白魔法へ対処するのは初めてなので、成功する自信がないのだろうと思われる。エメリアさんから無音玉を受け取り、白魔法治癒へ向けた詳細な方法を伝える。
「まず、ノドにかけられた魔法を弱めるため、こちらを装着して声が出ないようにします。よろしいですか?」
「うん……」
「……苦しくありませんか?」
「……」
メフィストさんの頭にベルトを巻いて固定し、ベルトについている石を口に入れる。いざ、装着している姿を見ると、そこはかとなく拷問感のある絵面。玉は小さいから、息苦しさはなさそうだな。
「……」
メフィストさんもルビィさんの説明に納得はしており、されるがままに無音玉をくわえている。でも、これって……玉の効果で声が遮断されるっていうか、口に玉を詰められているから単純にしゃべれないだけなんじゃないのだろうか。試しにうなってみて欲しいと、エメリアさんがメフィストさんにお願いしている。
「メフィストちゃん。んーって言ってみてください」
「……!」
うなってはいるみたいだが、声や吐息は全く聞こえてこない。すると、無音玉はかませではなく、ちゃんと音を吸収しているようだな。くわえていた玉を外して首元へ下げると、普通に声を出すことも可能である。
「ごほ……これ、どこに売ってたの?」
「ええと……私はよく解りませんが、エメリアさんの行きつけのお店にあったそうです」
それだけルビィさんに尋ねると、メフィストさんはお茶を飲み干してから、無音玉を口へと戻した。これだけ静かにしていれば、ノドに白魔法をかけた聖獣も満足であろう。続いて、ルビィさんは眠気についての対処法を講じていく。お線香を袋から取り出したエメリアさんを横目に、ルビィさんは想定外の提案を持ち出した。
「メフィストさんの眠気を取り除く方法なのですが、その……リディアさんと一緒に眠るのが最も効果的ではないかと」
「え……私?」
「はい。リディアさんの体からは、人を安心させる何かが出ていると予想されます。魔法を使っているとも見られませんでしたので、私としては、それが一番だと思うんです」
リディアさんからの抱擁を受けて、一瞬で意識を失ったルビィさんを言うのだから、そこに関しては説得力が強い。ただ、家の前での一件を見ていないので、メフィストさんは皆の思惑を推理するような顔でルビィさんを見つめていた。そこへ、エメリアさんが割って入ってくる。
「あの……私、明日に向けて魔力の補給をしてほしいのですが……」
「お前、今日……魔力の補給いるか?」
「……でも、もうかなり体が熱くなってますし……1人ではさみしいです」
物欲しそうな顔をしているエメリアさんだったが、辛そうな表情をしているメフィストさんを見ると、今晩の諦めがついたらしい。ふふっと軽く笑って、リディアさんをゆずる決心をつけた。
「……解りました。不本意ですが……私、今日はシロガネちゃんと寝ます」
「え……」
「お前、シロガネさんに迷惑をかけるんじゃない……軽くなら、就寝前につき合ってあげるから」
思わぬとばっちりとなったが、エメリアさんを欲求不満にしておくと、今夜から泊まり込む予定のルビィさんにも被害の及ぶ可能性がある訳で……なにより、メフィストさんがリディアさんと寝るのに引け目を感じるかもしれない。シロガネさんは空気を読んで、首を縦に振るしかなかったのだ……。
「よ……よろしい。一瞬の内に淫魔を寝かしつけ、ワタクシは寝室へ戻りますわ」
「えっ……ほんとにやってくれるんですか?でも、シロガネちゃんと、あんまり相性よくないんですよね……」
「おだまりなさい」
魔力を吸うにしても、相性の良し悪しがあるらしい。本当はリディアさんと寝たい気持ちで山々のようだけど、魔力補給できるというだけでも気持ちが違う模様。ネコがじゃれるようにして、エメリアさんはシロガネさんに抱き着いていた。そんなエメリアさんを振りほどいて、今度はシロガネさんが意見を述べる。
「しかしですわ。お嬢様に、安眠を誘う力があるのか否か、ワタクシにも見定める資格があると存じます」
エプロンを外し、しおらしくもシロガネさんがリディアさんの横に移動する。でも、さっきシロガネさんは家の前でのやりとりを一部始終、ずっと見ていたような気が……つまり、これも単にリディアさんと触れあいたい理由付けなのだと思われる。
「改めて向き合うと、はずかしいな……」
「ワタクシもですわ……」
お互いに恥じらいを見せていたが、メフィストさんに安眠効果を示すといった意味も込めて、リディアさんはシロガネさんを腕の中に招き入れた。俺は今……リディアさんとシロガネさんの胸の間にはさまれて何も見えない状態である。
「……」
「……あ……もう寝ている」
ルビィさんの時と同様に、シロガネさんも1分ばかしすると脱力してしまった。近くのイスへとシロガネさんを座らせ、その寝顔をリディアさんはまじまじと見つめている。
「シロガネさんが眠っている姿、稀に見るな……」
「……じゃあ、聖女様。ワタシも、やってみたい」
「我も我も!もう一度、検証を!」
シロガネさんの反応に興味が沸いたのか、無音玉をはずしたメフィストさんが立候補していく。なぜかルビィさんも立ち上がった。
「……」
頼まれるがままに、リディアさんは2人を抱きしめてあげる。その数分後には、2人もイスに座ってテーブルに寄りかかったまま、気持ちよさそうに睡眠をとっていた。リビングにいる面子で起きているのは、今はリディアさんとエメリアさんだけである。
「まさか、こんなことになるとは。エメリア……よく私とベッドで寝て、ずっと起きていられるな」
「私、精神攻撃に耐性ある種族ですし……それにですね」
「……?」
「……リディアにリードされて終わるのヤなので、絶対に先には寝たくありません」
「なんのこだわりなんだ……それは」
普段の生活や仕事ではともかく、エメリアさんはベッドの上でリディアさんに優位に立たれるのがイヤなのだという。眠っている人たちに毛布をかけてあげた後、緑色のキャンドルを手に遊んでいるエメリアさんへ、そっとリディアさんが誘いをかけた。
「……みんなが起きるまで、2階で魔力補給しておくか?」
「いいんですか?」
「だって、お前……私の新しい服、ずっと触りたそうに見てただろう……」
「……」
仕立て屋さんに服を作り替えてもらってから、エメリアさんの視線はリディアさんの体に向いていたからな。それに、このまま夜が訪れると、シロガネさんが魔力を吸われ過ぎて大変なことになるかも解らない。エメリアさんはリディアさんの背中を押して、階段へと向けて歩き出した。
「リディア~。大好きっ」
「絶対、お前を先に寝かせるからな」
「んふふ……それは無理ですよ~」
寝室に入る2人は楽しげであり、ここは俺の出る幕もなさそうである。魔力補給の現場をずっと見ているのもなんなので……そっと俺は、リンちゃんの家の前にある石へと意識を転移させた。
第127話へ続く




