マイア
再び数日かけて学院に戻ったアルマークとモーゲンは、休暇が終わるまでの間、まだまだ人の少ない寮で過ごさなければならなかった。
寮に帰った初日こそ、ネルソンやリルティから届いていた手紙に返事を書いたり、学院長にお土産を持って挨拶に行ったり(留守だったが)して忙しく過ごしたものの、翌日からは、あの冬の屋敷での日々がなんだったのかと思うほど単調な生活が待っていた。
しかし、生活は同じでも二人の心境には変化があった。
アルマークはもともと休暇中は瞑想と読書中心の生活をしていたのだが、帰ってきてからは、さらに熱心にいろいろな書物を読むようになった。
休暇後の魔法の指導に向け、瞑想の訓練にもこれまで以上の集中力で取り組んだ。
意外だったのはモーゲンまで熱心に魔法の練習を始めたことだ。
「今回のことで、僕の魔法は今のままじゃ何かあった時に役に立たないってよく分かったんだ」
モーゲンはそう言って、黙々と魔法の練習に励む。
アルマークの素人目に見ても、モーゲンの魔法はあの旅以来、上達してきているのが分かった。
そんなある日のこと。
いつものように朝食を食べ終えて、食堂を出ようとした二人は、寮の管理人のマイアに突然呼び止められた。
「あんたたち! あんたたちだよ、そこの細いのと太いの。そう、自分の顔を指差してる小太り、あんたたちだ。ちょっとこっちにおいで」
恐る恐るマイアの前に並ぶ二人。
マイアは二人よりもさらに頭二つ分以上小さい。
曲がった腰のせいで、顎が今にも床に着きそうだ。
「……な、なんでしょうか……」
「カッシスが夏風邪をひいちまったんだ」
突然、マイアは言った。
「……?」
「返事!!」
マイアが怒鳴る。
「はい!」
二人は慌てて返事をする。
「あんたら、三年生だろ?」
「……」
「返事!!」
「はい!」
「そうです!」
マイアはため息をつく。
「ったく、最近の若いのはいちいち言わないと分からないんだねぇ。いいかい、あんた達はこの寮で最上級生の三年生なんだから、こんなこと言われなくても分かるだろうが。カッシスが夏風邪ひいたらどうすりゃいいんだい」
そこまで聞いて、ようやくモーゲンが、カッシスというのは寮の共有備品の管理や寮内の簡単な修繕などをやってくれている老人の名前だということに気付く。
「か、カッシスさんが風邪をひいたら、えーと」
モーゲンが言い始めるが、アルマークはまだぴんと来ていない。
「モーゲン、カッシスさんって誰だい」
その言葉がマイアの逆鱗に触れる。
「毎日世話になってて、名前も知らないのかい! ここに二年半も住んでるんだろう! この恩知らずが!」
マイアに怒鳴られ、アルマークは
「いや僕はまだ」
と言いかけるが、モーゲンに手で制される。
マイアさんに理屈は通じない、とモーゲンの目が言っているのが、別に魔法でもなんでもなくアルマークにも伝わった。
「あんた達はカッシスのことをただの便利な小間使い程度に思っているのか知らないが、あれはあれで立派な男さ。文句も言わずよく働く。いなくなっちまったらこの寮はまわらないよ」
マイアは二人に構わず喋り続ける。
「いなくならないように、みんなでカッシスを大事にしなきゃいけないんだ。風邪ひいてるのに働かせられるかい。幸い今は休暇中だから、学生はあんたら含めて9人しかいない。カッシスが普段やってることの十何分の一の労力で済むんだから、それならあんたら二人でできるじゃないか。最上級生の責任ってもんだ。普段は恩知らずな分、こういうところでちゃんと恩返ししな」
理屈の筋は通ってるような気もするが、さすがにこの言い方はないだろう。
アルマークが反論しようとすると、
「やります」
モーゲンが即答してしまう。
「アルマーク、やろう」
「やるのは別に構わないけど、マイアさんのこの言い方はあんまりじゃ」
「マイアさん、やります!!」
アルマークの不満はモーゲンの大声でかき消された。
「そうかい。じゃあ頼んだよ。明日からカッシスが元気になるまでの間、朝食の後で私のところに仕事伺いに来るんだよ」
マイアは満足そうに言って、引き上げていく。
あんなに腰が曲がってるのに、歩く速度は恐ろしく速い。
と、ピタリと足を止め、突然二人を振り向く。
「ああ、今日のところは三階の階段の手摺が壊れてるから、修理しとくれ。道具は、カッシスがいつも使ってる用具室にあるのは知ってるね?」
「知ってます!」
モーゲンが答えると、マイアは頷いて歩き去っていく。
「モーゲン。マイアさんのあの言いぐさはあんまりじゃないか。なんであんなに黙って言うことを聞くんだよ」
アルマークがモーゲンに詰め寄ると、モーゲンは首を振る。
「マイアさんにはお世話になってるしね……一年生のときなんて特に分からないことだらけで、本当に迷惑かけちゃったし。それに」
「それに?」
「これは噂だけど」
モーゲンは声を潜めて、アルマークに言った。
「マイアさんに逆らうと、怖い目に遭うらしい。この寮の地下室に閉じ込められちゃうんだって」




