ピクニック
夏の陽射しに照らされた丘を、二頭の馬が並んでゆっくりと進む。
馬の背には、二人の少年と一人の少女。
少年たちの膝丈くらいまで伸びた夏草の誘惑に、馬は少し歩くごとに道を逸れそうになるが、その度に手綱を引かれて前を向く。
時折、少女が横を向いて少年たちに何か話しかけると、それにあわせて少女の髪が風に揺れる。
少年たちが馬上でじゃれあいながら何か話すたびに、少女の笑い声が弾ける。
それはとても穏やかな情景だった。
のんびりと歩む二頭の馬の手綱を握っているのは、アルマークとウェンディだ。
馬に乗ったことのないモーゲンは、アルマークの後ろに乗っている。
三人は、冬の屋敷から少し離れたところにある丘まで、ピクニックに来ていた。
「でもアルマークが馬に乗れるの、意外だった」
ウェンディがアルマークに笑顔を向ける。
「ウォードに来てもらうつもりだったから」
もともと、ウェンディはウォードと二人で馬を操り、アルマークとモーゲンにはそれぞれの後ろに乗ってもらうつもりだった。
しかし、アルマークが馬に乗れることがわかると、ウォードはすぐに、自分を抜いて三人で行くよう提案した。
襲撃前まではウェンディの一挙手一投足に気を配り、厳しく行動を管理していたウォードの突然の提案に、むしろウェンディの方が、三人で行っていいの?と尋ねてしまったほどだ。
ウォードは澄ました顔で、
「アルマーク殿とモーゲン殿のお二人がついていらっしゃるなら、お嬢様はこの屋敷のどこにいらっしゃるよりも安全でございます」
と答えて、ウェンディを喜ばせた。
「昔、少し乗ったことがあるんだ」
アルマークは答えた。
黒狼騎兵団は、その名の通り、騎兵中心の傭兵団だ。馬には事欠かなかった。
「アルマークは何でもできるなぁ」
モーゲンがアルマークの後ろで感心した声を上げる。
「かっこいい」
アルマークはモーゲンを振り返り、
「そんなことないよ」
と首を振る。
「すごいのは君の方だ」
それはアルマークの偽りない本音だ。
モーゲンの、屈託なく誰とでも仲良くなれる性格。
そこにいるだけで周りの人を和ませることのできる才能。
何事もいい方に考えられる、切り替えの早い思考回路。
そして、普段は見せないが、いざというときに発揮される、折れることのない勇気。
この旅で、アルマークは何度、モーゲンの姿に驚嘆したことだろう。
「馬なんて練習すれば誰でも乗れるようになる。でも僕は君のようにはなれない」
「はぁ?」
モーゲンはアルマークの発言に首を捻る。
「代わってもらえるなら、僕は今からでもアルマークになりたいけどなぁ」
そんな二人を見て、ウェンディが朗らかに笑う。
「二人ともそれぞれの良さがあるんだよ。お互いに自分の良さがよく分かってないだけ」
丘にはまばらに樹が生えていて、その下を通るときだけは木陰が暑さを和らげてくれる。
「もっと樹がたくさん生えてればいいのに」
とモーゲン。
「そうしたら何も見えないじゃないか」
とアルマークは苦笑いする。
それを見越したように、ウェンディがモーゲンに声をかける。
「ほら」
ウェンディが指差す方を見ると、冬の屋敷が遠くに見えた。
「おー」
モーゲンが歓声をあげる。
「あんなに小さくなっちゃって」
「ずいぶん遠くまで来たんだね」
アルマークが言うと、ウェンディは、うん、と頷く。
「もう少し前から見えるかなと思ったんだけど、夏は木の葉があるから意外に見えなくて」
「あ、そうか。あそこは『冬の』屋敷だもんね」
モーゲンが言う。
「うん。いつもここに来るのは冬だったから、枯れ草ばっかりの景色だったんだけど」
ウェンディはそう言って、目を細めて冬の屋敷や周囲の丘を眺める。
「夏に来るのは初めて。こんなに綺麗だって知らなかった」
つられて、アルマークとモーゲンもウェンディの見ている方を眺める。
「そうだね、きれいだね」
と言ったモーゲンのお腹が、ぐう、と鳴る。
「きれいなものを見るとお腹が鳴るんだ」
モーゲンが慌てて言い訳し、三人はひとしきり笑った。
「向こうに小川があるの。そこで馬を休ませてお昼にしよう」
ウェンディが笑いすぎてこぼれた涙を拭きながら、言う。
「その小川の先にね、まるひなたっていう場所があるの」
「まるひなた?」
モーゲンの問いに、ウェンディは苦笑いして答える。
「ちっちゃいとき、私が名付けたの。……そんなたいしたところじゃないんだよ。小川の周りはちょっと常緑樹の森みたいになっててあんまり陽射しが入らないんだけど、いつもそこだけはまぁるく日向になってるの」
「へー」
「あ、でも……」
ウェンディは考え込んだ。
「あれって冬の話だから……今は違うかも」
「あぁ、そうかもね……」
アルマークが頷くと、モーゲンがその後ろで手を振りながら、
「あ、僕はお弁当があればそれで大丈夫だから心配しないで」
と言ってのける。
「もう。そんなこと言うと、またきれいなもの見せるよ」
「お腹が鳴っちゃうからやめてよ」
そんなことを言って笑いながら、馬をゆっくり歩ませる。
小川に着き、馬を降りる。
「やっぱり日陰は涼しいなぁ」
モーゲンが汗を拭きながら言う。
「水辺の日陰、最高」
馬を繋いで休ませて、三人は日陰の適当な石の上に腰を下ろす。
コック長のセダルが持たせてくれたバスケットを真ん中に置いて、昼食にする。
他愛のないお喋りをしながら食事を楽しんだあと、三人は並んで足を小川に浸して涼んだ。
「ウェンディの言ってた、まる……なんだっけ」
「まるひなた、ね」
アルマークの問いにウェンディが答える。
「うん、それ。どこにあるの?」
「この先だけど……夏はどうかなぁ」
ウェンディが首を捻る。
「せっかくだし、行ってみようよ」
アルマークの勧めにウェンディも頷いた。
「そうだね」
「腹ごなしにね」
モーゲンも頷き、三人は立ち上がる。
小川に沿ってしばらく歩く。
「この先なんだけど……」
ウェンディの言葉も、心なしか自信なさげだ。
「あそこ……あっ」
「あっ」
「えっ」
三人は同時に声を上げて、立ち止まった。
小川の先の一角を、ウェンディが言った通り、木漏れ日が丸く円状に照らし出していた。
周囲の日陰の暗さと相まって、光に包まれたそこだけがとても神秘的な空間に見える。
その円の真ん中に、一輪の花が咲いていた。
目に染みるほどの鮮やかな青。
三人には見覚えがあった。
「ナツミズタチアオイ……」
ウェンディが呟く。
「こんな北に咲くなんて」
モーゲンが首を振る。
光の円の真ん中で、一本だけまっすぐに屹立し、凛と咲く青い花。
それはまるで、辛いことばかりだったミレトスでの休暇の最後に、誰かが三人に用意してくれた贈り物のように見えた。
「……魔法みたいだ」
モーゲンが言う。
『魔法は、誰に対しても平等だ』
それは、イルミスが授業でよく言う台詞だ。
うん、とウェンディが素直に頷いた。
青い花の美しさは、誰が見ても変わることはない。
魔法の力も、身分や境遇で効果を変えることはない。
アルマークは、以前ウェンディが言った言葉を覚えていた。
『魔法の力の前には、身分なんて何の意味もない』
僕も、いつか堂々と言うことができるだろうか。
青い花を見つめながら、アルマークは思った。
ウェンディの前で。
あのナツミズタチアオイのように、凛と真っ直ぐに。
僕は北の傭兵の息子だと。
三人は時間が止まったかのように、青い花を見つめていた。




