夜明け
アルマークたちは自ら使用人に申し出て、モーゲンは庭の片付けを、アルマークは屋敷の中から傭兵たちの遺体を運ぶ手伝いをした。
大柄なデランの遺体はひどく重く、男性三人がかりで汗だくになって運び出さなければならなかった。
アルマークは遺体を運ぶ途中、二階の廊下に散乱した壺や家具に、小さく頭を下げた。
ありがとう。この館を守ってくれてありがとう。
重傷者たちが街の治療院へ搬送され、警備員と傭兵の遺体がそれぞれ庭に並べられた。
警備員たちは敷かれたシーツの上に。
傭兵たちは地面に。
それが、あるべき姿だ。
アルマークはそう思った。
傭兵に墓はない。
父からもずっとそう言い聞かされてきた。
傭兵の死体をわざわざ拾い上げて弔ってくれる人など誰もいない。たとえ同じ傭兵団の同輩であっても。
だから、自分が死んだその戦場が、傭兵の墓場になる。
死んだ仲間を思い出したいのなら、その戦場を思い出せ。その仲間が、いかに戦い、いかに死んだのかを思い出せ。それが傭兵に対する最大の弔いだ。
レイズが焚き火の炎をじっと見つめながら、アルマークにそう語ってくれたのは、あれは片腕と恃んでいたヤーガスが戦死した夜だっただろうか。
……僕が死んでも、父さんは僕の死体を拾ってくれないの?
アルマークがそう聞いたとき、父は何と答えただろうか。
もう、覚えていない。
使用人たちが不意にざわめいた。
「お嬢様!」
誰かが声をあげる。
リーサに支えられながら、真っ青な顔のウェンディが館から出てきた。
「みんな、怪我はない? 大丈夫?」
生き残った誰よりも青白い顔をしながら、ウェンディがか細い声を振り絞って皆を気遣うと、堪えきれず使用人たちの間からすすり泣きが漏れた。
「お嬢様こそ」
「よくぞご無事で」
使用人たちは口々に言いながら、ウェンディの周りに集まっていく。
彼らの一人一人に声をかけながら、ウェンディはゆっくりと庭を歩く。使用人たちの輪の外にいたアルマークとモーゲンの方に徐々に近付いてくる。
「ウェンディ」
モーゲンが遠慮がちに声をかけた。
二人の顔を見た瞬間、ウェンディの顔がぱっと輝いた。
「アルマーク、モーゲン! 二人とも大丈夫?」
まるでいつもと変わらないような元気な声だ。支えていたリーサも思わず驚いた顔でウェンディを見る。
アルマークとモーゲンが小走りに近付くと、ウェンディはリーサから離れ、二人に駆け寄ってきた。
「お嬢様!」
リーサが慌てて声をあげるが、ウェンディは止まらない。
その足がふらふらともつれる。
転びそうになったウェンディを二人が慌てて左右から抱き止めると、ウェンディは、きゃあ、と楽しそうな悲鳴をあげて、そのまま二人に身を預ける。
「ウェンディ、危ないよ。魔力空っぽなんだから無理しちゃダメだよ」
「そうだよ。自分が怪我人になるつもりかと思ったよ」
モーゲンとアルマークにそう言われても、ウェンディは二人に抱きついたまま離れない。
「よかった」
小さく呟く。
「え?」
アルマークが聞き返すと、ウェンディは
「よかったって言ったの」
と答えて、急に真剣な顔でアルマークを見た。
その瞳に涙がいっぱいに溜まっているのを見て、アルマークは何も言えなくなった。
「二人とも無事で、本当によかった」
それから、アルマークの頬の傷を指でいとおしそうに撫でる。
「怪我しちゃったんだね。ごめんなさい」
「どうしてウェンディが謝るのさ」
「だって」
「君のせいじゃない」
「……うん。モーゲンは大丈夫?」
「うん。僕、無傷」
「よかった」
三人で抱き合ったまま、そんなことを話していると、
「お嬢様!」
というウォードの声がした。
「部屋にいらっしゃらないと思ったら、このようなところに! いけませんぞ、まだお休みになっていなければ!」
「ごめんなさい、ウォード」
謝るウェンディのところにウォードは慌てて駆け寄ってきた。
「さあ、お部屋のほうへ。お二人からお離れください」
ウォードは使用人たちに命じて、ウェンディを二人から引き離す。
「お体に障ります。さあ、早くお部屋へ」
その時、ウェンディの視線が何かを捉え、その目がすっと細くなった。
「ウォード、あそこは」
「お部屋へ。お体に障ります」
「ウォード、あそこへ連れていきなさい」
「お嬢様のお体が第一です」
「ウォード!」
ウェンディの厳しい声が、彼女を庭から引き離して部屋へ戻そうとしていた老執事の身体を打った。
「私には見る義務があります。連れていきなさい」
「お嬢様、どうか」
「ウォード。これは命令です」
「……かしこまりました」
使用人に連れられ、ウェンディは庭の一角に立った。
自分を守ろうとして、無惨な死体と成り果てた警備員たち。
ウェンディは、その前に跪いた。
「……ごめんなさい」
小さな声で、謝る。
「私のために、ごめんなさい」
アルマークとモーゲンは後ろからその姿をじっと見守った。
ウェンディはシーツの前に跪いたまま、動かない。
「……僕、貴族ってもっと楽なものかと思ってた」
モーゲンがウェンディの小さな背中を見つめながら、そう言った。
「ウェンディは、すごいね」
「……うん」
アルマークは頷いた。
モーゲンはウェンディから目を離さない。
「僕を守るためにあれだけの人が死んじゃったら……僕ならきっと」
「ああ」
アルマークは、また頷く。
自分のためにたくさんの人が死んだ。
その計り知れない責任を、ウェンディはたった一人で背負おうとしている。
バーハーブ家の娘として。
貴族として。
私のせいじゃない、なんて泣き言は決して言わない。
「アルマーク。ウェンディがかわいそうだ」
「うん」
アルマークには、頷くしかない。
今のウェンディにかけられる言葉を、アルマークは持たない。
ウェンディのような立場に立ったことがないから。
これが、身分の差なのか。
アルマークは初めて実感した。
ようやく立ち上がったウェンディが、傭兵たちの死体の方に足を向けた。
地面に転がされた傭兵の死体を前に、ウェンディの呟きが聞こえた。
「許さない」
ウェンディの表情は見えなかったが、その言葉は確かにアルマークの耳にも届いた。
「傭兵なんて……この世からいなくなればいいのに」
ウェンディから今まで聞いたことのない、憎しみの言葉。
モーゲンがアルマークの顔を見る。
アルマークは小さく首を振った。
僕には、何も言う資格はない。
空の向こうがようやく、白み始めていた。
アルマークはウェンディの背中から目を離すことができなかった。




