奔流
アルマークは、倒れたギザルテを目の前にして、全身からようやく汗が噴き出してくるのを感じた。
危なかった。
今更ながらに手が震えてくるのが分かる。
剣の実力も経験も向こうが上だった。
じっくりと腰を据えて戦われていたら、おそらく勝つことはできなかった。
しかし、ギザルテは襲撃に失敗したことで、そしておそらくはモーゲンの増援を恐れて、勝負を急いでいた。
だから、単調になった攻撃を読むことが出来た。
踏み込みからの斬擊がもっと多彩であったら、おそらく防ぐことはできなかっただろう。
しかし決着を急ぐギザルテの攻撃はアルマークの首筋に集中した。
だから防ぎ、勝つことができた。
……でも。
アルマークは思った。
それも、勝負だ。実力と結果は必ずしも一致しない。
また一つ、経験を積んだ。
「アルマーク!」
名前を呼ばれて振り返る。
モーゲンが駆け寄ってきていた。
モーゲンは、ギザルテの死体を見て、びくりと足を止める。
「や、やったんだね」
「ああ。モーゲンのおかげだ。ありがとう」
アルマークは微笑んだ。
「ウェンディは?」
「多分、4階でまだ眠っているよ。ウォードさんたちが見てくれて……」
モーゲンが言いかけたとき、館からたくさんの使用人たちが走り出てきた。
その先頭に立っているのは、バーハーブ家の忠実な老執事、ウォードだ。
「アルマーク殿! ご無事でしたか」
「ウォードさん。皆さんもご無事で」
アルマークは駆け寄ってきたウォードに笑いかける。
「……ウェンディは」
「お嬢様はまだ目を覚ましません……無理もありません、お一人であれだけのことをなされたのですから」
ウォードの言葉にアルマークは頷く。
「……そうですね。ウェンディは凄かった」
アルマークとモーゲン、ウェンディの三人で応接室で他愛のないお喋りを楽しんでいた時。
中庭からけたたましい物音と叫び声が聞こえ、アルマークは一瞬で全てを悟った。
幸せな時間の終わり。
傭兵の襲撃だ。
「えっ、何の音。まさか」
ウェンディが窓に駆け寄る。
「ウェンディ、ダメだ」
アルマークはそれを押し止めた。
敵に飛び道具があった場合、うかつに窓から姿を晒すのは危険だ。
「でも」
「多分、君の言ってたお父さんの政敵が雇った連中だ」
こうなったら、言うしかない。
「君を、殺しに来たんだ」
ウェンディの顔がさっと青ざめる。無理もない。
「僕たちが食い止める。ウェンディ、君はどこか安全なところに」
アルマークの言葉を遮って、ウェンディが言ったのは予想外の言葉だった。
「みんなを守らなきゃ!!」
咄嗟のことにアルマークも絶句する。
「もう誰も、殺させたりしない!!」
ウェンディの目に怒りの炎が宿っていた。
アルマークは、ウェンディがここまで強い感情を露にした姿を見たことはなかった。
緊急事態であることを忘れ、ウェンディの意外な姿に戸惑ったその時だった。
アルマークは、彼女の体から、弾け出すような凄まじい魔力の奔流を感じた。
彼女の体の中から湧き出しているのか、それともどこか別の場所から流れ込んできているのか。とにかくアルマークがいまだかつて感じたことのない、尋常ではない量の魔力がウェンディを包んでいた。
なんだ、これは。
アルマークが圧倒されているうちに、ウェンディは身を翻して部屋を飛び出していく。
「ア、アルマーク、どうしよう」
モーゲンがおろおろと声をかけてくる。
「北の傭兵が来ちゃったよ。僕たちみんな殺されちゃうよ!」
こういうときは、騒いでも何にもならない。
アルマークは、落ち着き払って自分の長剣を手に取る。
「大丈夫。僕と君がいるんだ。なんとかなるよ」
「僕と君って……」
「とにかくウェンディを追おう。モーゲンも杖を」
「わ、わかった」
二人は廊下に飛び出した。
そこにウォードが駆け上がってきた。
「お二方、お嬢様は」
「今、部屋を出て」
言いかけたとき、ウェンディが走って戻ってきた。
手に杖を持っている。
「お嬢様!」
ウォードが叫ぶ。
「狼藉者どもが侵入してまいりました! 今、庭で警備の者が食い止めておりますので、お嬢様は4階に避難を」
「みんなを4階に避難させて! 全員よ!」
ウォードの言葉に被せるように言いながら、ウェンディが杖を振るった。
「あっ!?」
ウォードが驚きの声をあげる。
廊下に置かれていた陶器の壷が、ウォードそっくりの姿に変わった。
変化の術。
ウェンディが最近得意としている魔法の一つだ。
壺だったはずのウォードは、きょろきょろと辺りを見回す。
姿を変えるだけでなく、動くことまでできる。
「みんな上に逃げて。私がみんなの代わりを作るから」
言っていることがむちゃくちゃだ。
膨大な魔力に包まれているせいで、ウェンディの精神はかなり混乱してしまっているのだろう。
しかし、今その体に渦巻いている魔力は、アルマークにすら恐ろしく感じられるほどのものだ。とても初等部の少女の魔力ではない。
自分だけでなく、ウォードをはじめとする使用人たちの生命の危機が、彼女の中に眠っていた魔力を呼び覚ましたのか。
そうとでも考えなければ説明がつかないような、尋常ではない魔力だ。
「誰も、殺させない」
ウェンディが叫ぶ。その凄絶な表情を、アルマークは美しいと思った。
「お嬢様、一体何を言っているのです。わたくしどもなどどうなってもいいのです。早く上へ」
ウォードも必死の形相で叫ぶが、ウェンディは構わず杖を振り、観葉植物を一人の使用人の姿へと変える。
「お嬢様! お聞きください!」
しかし、ウェンディは聞かない。
湧き上がる凄まじい魔力を制御し、魔法を発現させることにウェンディの精神は全て費やされ、理性が働かず、正常な判断ができなくなっている。
使用人の偽物をいくら作ったところで、今の状況を解決する助けになどなりはしないのに。
誰も殺させたくない、というウェンディの強い意思。それのみが魔力の厚い壁を超えて表面化し、暴走してしまっているのだ。
しかし、それを見ていたアルマークに、天啓のように一つの考えが浮かんだ。
「いや、ウォードさん! これでいきましょう!」




