信頼の形
「取ってきたぞ、赤の石だ!」
走ってきたフィッケが誇らしげに石を掲げると、一組の生徒たちから歓声が上がる。フィッケは両腕を突き上げる。
「見ろ、俺たちが一番だ!」
「い、いや、俺たちだ」
全身汗だくで駆け寄ってきたガレインが、珍しく大きな声を上げた。
「トルクが一番だ」
そう言って、黒光りする石を頭上に掲げる。
「一番強い黒の魔術師を倒したんだ、トルクが」
「それは聞き捨てならねえぞ、ガレイン」
ガレインのルームメイトでもあるフィッケが、仲間たちの手前で足を止めてガレインを睨んだ。
「一番強かったのは赤の石だ。天まで届くくらいのとんでもねえ高さの炎の柱を何本もおっ立てやがったんだぞ」
そう言って、両腕を思い切り上下に伸ばす。
「炎の魔王みたいなやつでさ、あのアインがここまで戻ってこられないくらいの怪我を、あっ」
フィッケは自分が言ってはならないことまで口にしたことに気付いて、慌てて手で自分の口を押さえた。だが、もう後の祭りだった。
「えっ、アインは怪我したのか」
「エメリアはどうしたの」
「ここまで戻ってこられないって、そんなにひどいのか」
「いや、ちが、ええと」
一組の生徒たちに口々に尋ねられ、フィッケはしどろもどろになる。
「いや、その、そうだ。ガレインだって一人じゃねえか。おい、ガレイン。トルクとデグはどうしたんだよ」
フィッケに苦し紛れに話を振られたガレインは、ここまで戻って来る前に練習しておいた台詞を口にした。
「トルクとデグは、簡単に相手を倒したからその辺をもう一回りしてから帰る」
「そんなわけあるかよ! 一番強い相手と戦ったんじゃねえのかよ!」
フィッケに噛み付かれたガレインは、それでも堂々と胸を張る。
「本当のことだ」
「じゃあお前らの相手が弱かったんだ。さっき言ったとおり、俺たちの相手はとにかくやばいやつだったんだから」
「俺たちの相手だってやばかった」
「どうやばかったんだよ」
フィッケが言葉をかぶせた。
「道端に落ちてた石を拾ってきただけなんじゃねえのか。戦ってねえから、そんなに余裕があるんだ」
「や、闇だ」
フィッケの口の速さに焦ったガレインはどもった。それでも仲間の名誉のために続ける。
「闇の魔術師だ。俺もデグも全然何もできなかった。トルクが命懸けで」
そこまで言って、ガレインも自分が言いすぎたことに気付いて口をつぐんだ。
「ほら、簡単に倒してなんかいないじゃねえか」
フィッケが勝ち誇った顔をする。
「ち、ちがう」
「二人とも、いいからその石をこっちに持ってきなさい」
カラーがそう言って、手を叩いた。
「どっちみちあなたたちがしてるのは、二位争いよ」
「えっ、二位?」
目を丸くしてカラーを見たフィッケが、その隣に立っているアルマークの姿に気付く。
「アルマークがいる」
赤の宝玉を持ったまま、フィッケはがっくりと肩を落とした。
「アルマークが帰って来てたのかよ。早えなあ、もう。でもアルマークじゃしょうがねえか、勝てるわけねえ」
ガレインもアルマークに気付いて何か言おうとして、結局何を言えばよいのか分からないという顔で押し黙った。
「二人ともありがとう」
アルマークは言った。
「石をこっちに持ってきてくれ。ウェンディの腕輪に戻したいんだ」
「お、おう。そうだったよな」
大事な役目を思い出したフィッケが走り出し、ガレインもそれに続く。
「ほらよ、アルマーク」
ウェンディの元まで戻ってきたフィッケは、汗も拭わずアルマークに赤の宝玉を差し出した。
「アインが命懸けで戦って……本当だぜ。本当にアインが命懸けで取ってきた石なんだ」
「うん。分かっているよ」
アルマークはそれを両手で受け取った。
「それに、君とエメリアも命を懸けてくれたんだろ」
「いや、俺たちなんか別に」
そう言いかけるフィッケに、アルマークは首を振る。
「僕にだって分かるよ。アインだけに命を懸けさせる君たちじゃないことくらい」
目を丸くして言葉を失うフィッケの隣に、ガレインが立った。
「アルマーク」
それだけ言って、ガレインは石を突き出す。
フィッケ以上に大汗をかいたガレインは、ローブの袖の先からぽたぽたと水滴まで垂らしていた。
だが汗にまみれた手で握りしめていた黒の宝玉は、アルマークが受け取るとまだひやりと冷たかった。
「ありがとう、ガレイン。トルクが君に届けてこいって言ったんだね」
「……ああ」
「トルクは、自分で帰ってこられないくらいの怪我をしてるんだね」
その問いにガレインは答えなかった。
だが、答えているのと同じだった。トルクが怪我をしていないのであれば、ガレインが黙る理由はない。
「僕が迎えに行くよ」
アルマークは言った。
「この石を腕輪に嵌めたら、行ってくる」
「要らない」
ガレインはきっぱりと言った。
「迎えは、要らない」
「でも」
「トルクは勝った。勝った人間に迎えは要らない」
ガレインはその顔に必死なものを覗かせていた。
「アルマークは、負けたやつらのところに行け」
それは、道理だった。
「そうだね」
アルマークは、仲間がもたらしてくれた二つの石を見た。
「君の言う通りだ」
アルマークはそう言うと、ウェンディの傍らにそっと屈みこんだ。
「ウェンディ。フィッケとガレインが石を取ってきてくれたよ。みんな、君のために命懸けで」
そう言いながら、腕輪に石を嵌めていく。
「みんな、君が好きなんだ。君に帰ってきてほしいんだ」
赤と黒の石は、それぞれが一瞬強い光を放った後で腕輪に収まった。
だが、ウェンディは目を覚まさなかった。
「頬に赤みがさした気がするわ」
カラーが言った。アルマークにはそのわずかな変化は分からなかったが、ウェンディが倒れてからずっと寄り添ってきたカラーだからこそ分かる変化なのかもしれなかった。
「ちゃんと嵌ったな」
フィッケが安心したように言った。
「じゃあ俺はアインたちのところに戻るからよ」
そう言いざま、身を翻す。
「えっ、ちょっとフィッケ」
「俺がいないと、アインはだめだからさ」
呼び止めるカラーにそう答え、フィッケは猿のような身軽さで足元の草を蹴散らしながら森へと駆け戻っていく。
「えっ、フィッケ。また行くのかよ」
一組の生徒たちが騒ぐが、フィッケはそちらを振り返りもしなかった。
忠犬が飼い主の元へ帰っていくような一途さで、たちまち森へと姿を消す。
「ガレイン、あなたまでトルクのところに戻るなんて言わないでしょうね」
カラーに言われ、ガレインは無表情で首を振った。
「言わない。トルクは自分の足で帰ってくる」
「そうだね」
アルマークは頷いた。
きっと、トルクは自分の足で歩いて帰ってくるだろう。
アインも、フィッケに戻ってこなくていいと言ったに違いない。
トルクとアイン。二人とともに戦ったことのあるアルマークには分かった。
それぞれの信頼の形。
アルマークは、自分を送り出してくれたモーゲンのことを思い出す。
モーゲン。君のことだから心配はしていないけれど。
君が帰って来てくれたら、こんなに心強いことはないな。
「帰ってきたぞ、今度はウォリスだ!」
フレインの声に、アルマークは顔を上げた。
金髪を風にたなびかせながら、二組のクラス委員が戻ってきた。
「やあ、みんな。どうだ、誰も怪我はしていないか」
まるで何事もなかったようにそう言って右手を軽く挙げる。
「魔影どもの相手もこれだけ長いことやっていれば堪えるだろう」
仲間たちの元へ戻ってきたウォリスは、彼らの様子に気を配りながら、声をかけた。
「分担と順番を決めたのか。さすがだな、ムルカ。君のアイディアか?」
「いや、ルクスが」
「そういえばルクスがいないな。魔影にやられたのか」
「いや、そうじゃないよ」
やはり、彼はクラス委員だった。
ウォリスが帰ってきたという、ただそれだけで、張り詰めていた空気が一気に軽くなった。
ああ、よかった。このおかしな戦いも、なんとかなりそうだ。
不安だったけれど、ウォリスさえいてくれればもう大丈夫。
仲間たちにそう思わせるだけの実力と統率力を、ウォリスは持っていた。
「その話は後で聞こう。じきに他の組も戻ってくる。あと少しの辛抱だ」
ムルカの肩を叩いてそう言うと、ウォリスはアルマークたちのところへやって来た。
「赤、黒、緑」
ウェンディの腕輪に嵌った石の色を口にする。
「まだ三つか。意外に他の組は手間取っているようだな」
そう言うと、ウォリスはローブの袖から銀色の石を取り出した。
「一人で銀の石を。やっぱりさすがだね」
アルマークが言うと、ウォリスは肩をすくめた。
「別に、激しい戦いをしたわけじゃない。あの闇の魔術師の腕が悪いせいだろう、銀の魔術師は大した敵ではなかった」
「そうかな」
アルマークは手を伸ばして、ウォリスの肩を払った。
そこに、氷の欠片のようなものが付いていた。
「君のローブにこんな溶けない氷をくっつけるような敵、なかなかいないんじゃないのかな」
「相変わらず、自分のことでなければよく見えるようだな」
ウォリスは微かに嫌な顔をしてそう言うと、ウェンディの隣に屈みこみ、自ら銀の石を腕輪に押し込んだ。
「これで四つ」
また、ウェンディの瞼が微かに動いた。それを確認した後でウォリスは立ち上がった。
「残りは五つ。僕の見たところ、危ないのは金の石か」
「金は大丈夫だと思う」
カラーが言う。
「ルクスが後から行ったもの」
「ルクスが?」
ウォリスは片眉を上げた。
「ああ、それでいないのか。ルクスが自分から?」
「ええ、自分から」
そう言った後で、カラーはその時の様子を思い出して微笑む。
「まあ、少しはみんなに背中を押してもらったけど」
「世話の焼けるクラス委員だな」
ウォリスは苦笑した。
「だがまあ、それなら大丈夫か」




