帰還
ライヌルとイルミスが死闘を演じた、樹上庭園。
ライヌルが魔法具によって作り出した、庭園を支える巨大な樹は、二人が庭園で強大な魔法を行使してもびくともしなかった。ただ、通常の大きさの樹がそうするように、時折風に揺れるように幹を揺らしただけだ。
巨大な樹をぐるりと巡って庭園まで伸びる階段の下の、樹の根元にあるかりそめの大地で、ノルク魔法学院の生徒たちは無数の魔影たちを相手に、いつ終わるとも知れぬ持久戦を強いられていた。
近付いてくる魔影が一定の距離を踏み越えたところで、その場所を担当する生徒が魔法を放ち消し飛ばす。
一度使ったら、後ろに控える別の生徒と交代して身体を休める。
3組のクラス委員のルクスが提案したこの隊形で、生徒たちは時間を稼いでいた。
九つの石を拾い集めに行った仲間たちが無事に帰ってきてくれることを信じて。
だが、ルクスがロズフィリアたちの応援に行ってからすでに大分時間が経っていた。
彼らの魔力にはまだ余裕があったが、それでも終わりの見えない戦いは精神をすり減らす。
元気に声を掛け合い戦っていた彼らの声は、時間の経過とともに徐々に少なくなり、待機中には座り込んでぐったりとする生徒も出てきた。
本当に、仲間たちは石を持って帰ってくるのだろうか。そもそも、あの森の中に石は本当にあるのか。全てが闇の魔術師の罠で、森に入った生徒たちは擬態した魔物に食われてしまったのではないか。
無為に過ぎていく時間は、生徒たちの心に様々な憶測を呼び起こした。
ここでこのまま魔影を相手に消耗を続けていてもいいのか?
もっと何か、別の行動を起こすべきなんじゃないか?
ちらちらと目配せをしあう生徒たちが増え始める。
「なあ、みんな」
ついにそう声を上げたのは、ゼツキフだった。
「森に入った連中だが、さすがに遅くないか。僕らはここにこうしていていいんだろうか」
その声に、数人の生徒が同意を示すように頷く。それに力を得たように、ゼツキフは声を張った。
「たとえばだが、あの森の中に元の世界への出口があって、彼らは皆そこからとっくに帰ってしまったとか、そんな可能性もあるぞ」
「闇の魔術師が、何のためにそんなことするんだよ」
フレインが声を上げたが、ゼツキフは別のクラスの平民の生徒の言うことなどには反応もしなかった。
「僕たちだけがここに取り残されている可能性もあると思うんだ」
ゼツキフの言葉に、不安そうに顔を見合わせる生徒たちが増える。
そして、言葉にしなくても皆不安であることに違いはなかった。
「さっきフレインも言ったけど」
穏健派の、1組のルタが穏やかに口を挟む。
「どうして、そんなことを闇の魔術師がしなければいけないんだい」
貴族出身のルタの言葉は、さすがにゼツキフも無視しなかった。
「選別するためさ」
ゼツキフは言った。
「優秀な生徒と、そうでない生徒を。強い敵が待ち構えていると言われれば、僕らだって優秀な生徒を選抜するだろう。闇の魔術師は、そいつらだけに用があるんだ。要らない生徒は異世界に取り残していけばいいと考えている」
「むちゃくちゃだ」
首を振ったのは、3組の平民のルゴンだった。
「ゼツキフ、お前の言うことには全然筋が通っていない。ばらばらに森へおびき寄せて、元の世界に帰したって? 選別するにしてもまどろっこしすぎるだろう」
「黙れ、ルゴン」
ゼツキフは声を荒げた。
「闇の魔術師の考えがお前ごときに分かるのか」
「じゃあお前には分かるのか」
「お前よりは分かるさ」
険しい顔で二人は睨み合った。
「色んな考えはあると思うわ」
一触即発の空気が流れる中、静かにそう言ったのはカラーだった。
ウェンディの傍らに腰を下ろすカラーは、横たわる彼女から目を離すことなく言った。
「ゼツキフの言う通り、あの闇の魔術師はどこかおかしかったし、筋の通らない変な作戦を考えているのかもしれない」
「そうだろう」
ゼツキフは頷くが、カラーは、でも、と続けた。
「優秀な生徒というのなら、私は一番にこの子を挙げる」
そう言って、目を閉じたままのウェンディの冷たい頬をそっと指で撫でる。
「ウェンディがここにいる以上、私はこれがあなたの言う選別だとは思わない」
その言葉に、ゼツキフはぐっと言葉に詰まった。
ルゴンも何か言おうとしたが、同じ平民出身のレヴィンに制止された。今は生徒同士で口論している場合ではない。生徒たちの動きがどうあれ、魔影は変わることなく接近してくるのだから。
生徒たちの間を、白けたような微妙な空気が流れた。
その時だった。
森から姿を見せた一人の生徒が、彼らの暗い雰囲気をいっぺんに吹き飛ばした。
「アルマークだ!」
ムルカが叫んだ。
「2組のアルマークが帰ってきたよ!」
久しぶりの歓声が、生徒たちから上がる。
さっきまで緑の森で毒に侵されながら激闘を演じていたとはとても思えぬしっかりとした足取りで、ローブをはためかせながらアルマークは駆けてきた。
自分の進む先の邪魔な魔影を、迷いのないマルスの杖の一振りで消し飛ばすと、左手に掴んでいるものを高々と掲げる。
それは太陽の光を受けて緑色にきらめいた。
「緑の宝玉だわ。アルマークが本当に取ってきたのよ」
立ち上がったカラーが歓声を上げる。
「アルマーク、ウェンディはこっちよ。あなたが一番乗りよ」
そう言って、大きく両手を振る。
「どうやらこれで君の心配も解消したね」
ルタが言うと、ゼツキフは無言で肩をすくめた。
「やっぱりすげえな、あいつ」
フレインが感心した声を漏らす。
「まさかアインたちよりも先に帰って来るなんて」
「でも、一緒に行ったモーゲンはどうしたんだ」
コールが怪訝そうな顔で言った。
「まさか、敵にやられたんじゃ」
「ばか、ろくでもねえこと言うな」
フレインはコールの肩を叩き、駆け寄ってくるアルマークを指差す。
「それならあんなに元気に帰ってくるわけねえだろ」
「それもそうか」
二人がそんなことを話す間にも、アルマークは速度を緩めることなく駆けてくる。
アルマークは息を切らせてウェンディのもとまでたどり着くと、そこでようやく足を止めた。
「ただいま、みんな」
生徒たちにそう言うと、ウェンディを守るように隣に控えるカラーに顔を向ける。
「ありがとう、カラー」
「おかえりなさい、アルマーク」
カラーは、腰に手を当てて息を整えるアルマークを優しい目で見た。
「やっぱりあなたが一番早かったわね」
「全力で駆け戻ってきたんだ」
アルマークはそう答えるのももどかしそうに、ウェンディの傍らに屈みこむ。
「ただいま、ウェンディ」
目を閉じたままのウェンディに声をかけ、その顔を見つめた。
血の気のない、透き通るような肌の色。
それが、魔術祭でウェンディの演じた亡霊を想起させた。
あの劇では、君を救えなかったけれど。
アルマークは緑色の宝玉を腕輪の窪みにそっと合わせた。
もう僕は、あんな思いは絶対にしない。君にだって、させるもんか。
「取ってきたよ。緑の宝玉だ」
そう言って、宝玉を窪みにゆっくりと押し込む。
宝玉は一瞬強い緑の光を放ったが、次の瞬間には光を失っていた。そしてそれとともにぴたりと窪みに収まる。
閉じたままのウェンディの瞼が、ぴくりと動いた。
アルマークは息を止めてその長い睫毛を見ていたが、ウェンディの反応はそれだけだった。
「見たかい、カラー」
それでもアルマークは救われたような顔でカラーを振り返る。
「今、ウェンディの瞼が」
「ええ、動いたわね。私も見たわ」
カラーも目に涙を滲ませて頷いた。
「あなたのおかげだわ」
そこに、ルタが駆け寄ってくる。
「アルマーク、お疲れさま。君一人かい、モーゲンは?」
「モーゲンはゆっくり帰ってくるよ」
顔を上げ、アルマークは答えた。
「戦いで魔力が尽きかけてしまったんだ。それで僕だけ先に帰ってきた」
「そうか」
ルタが頷き、カラーが安心したように息を吐く。
「モーゲンも無事なのね。よかった」
「帰ってきたのは、僕が一番最初なんだね」
アルマークの言葉に、ルタが頷く。
「ああ。君が最初だ」
「じゃあ、他の石のところに行ってくるよ」
そう言って微塵の躊躇もなく立ち上がるアルマークに、ルタもカラーも目を丸くする。
「え?」
「今から?」
「うん。どの色がいいだろう」
その顔は、真剣そのものだった。強がっているわけでも、興奮して正常な判断ができなくなっているわけでもない。自分にできることをこなすという、淡々とした姿勢。
カラーとルタは知らないが、それは戦場でのアルマークの姿勢そのものだった。
勝利のために必要な事項と、今の自分の力。それを正確に把握し、最大限に働く。
二人は、言葉も出せずにアルマークの精悍な顔を見つめた。
ここに残っていた自分たちはさっきまで、これだけの人数がいながら不安で言い合いをしていたというのに。
アルマークは、相棒のモーゲンの魔力が尽きるほどの戦いをこなした後で、休むこともなく、もう次の戦いに行くと言っている。
それは、南や中原の人々とは明らかに違う、過酷な背景から来る強さ。
「銀はウォリスだから大丈夫だと思うんだ。やっぱり金色か黄色かな」
だが、アルマークがそう言ったとき、また生徒たちの間から歓声が上がった。
「フィッケだ!」
「ガレインも帰ってきた!」
アルマークが振り返ると、ひょろりとした生徒とがっしりとした生徒、対照的な体格の二人が別々の方向から駆けてくるところだった。
「フィッケとガレインだわ。アインのところと、トルクのところ」
カラーの言葉に、アルマークは微笑んだ。
「やっぱりさすがだな」
そう言うと、再びウェンディの傍らにひざまずく。
「よし。僕もみんなを信じて、もう少し待つよ」
「ええ」
「そうだね」
カラーとルタも頷いたが、アルマークが次に言った言葉にまた顔を見合わせた。
「入れ違いになったらいけないからね。最後の組は、僕が迎えに行くよ」
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