ルクス
駈け寄ってくるルクスを見て、ロズフィリアが嬉しそうに手を上げた。
「ルクス、こっち。こっちよ」
「ロズフィリア、大丈夫か」
ルクスはグウィントを警戒しながら、ロズフィリアを助け起こす。
「エストンはどうした」
「あそこ」
ルクスに抱き着くようにして体を起こしながら、ロズフィリアは背後の茂みを指差した。そこに、横たわるエストンの脚が見えた。
「やられたのか」
ルクスが顔色を変える。
「おい、エストン」
だが返事はない。
「死んだりはしてないと思う」
ルクスに身体を預けてようやく立ち上がったロズフィリアが答えた。
「気絶しているのかも」
「ロズフィリア、お前ひとりで歩けるな」
「え、ええ」
ルクスに甘えて抱き着いてはいたが、歩くことくらいはまだできた。ルクスにはそれをあっさりと見抜かれていた。
「エストンを見てきてやってくれ」
ルクスは真剣な顔で言った。
「それで、やばそうなら俺に教えろ」
「でも」
ロズフィリアは躊躇した。ちらりとグウィントを見る。
グウィントは無表情で二人を見つめていた。
「あの石の魔術師、すごく強いのよ」
「だろうな」
ルクスは頷く。
「お前がそんなになるくらいだ。とんでもなく強いんだろうな」
「だから、一緒に戦いましょう」
「お前が元気だったら、もちろんそうするけどな」
ルクスはロズフィリアの肩を優しく叩いた。
「でも魔力がもうほとんど残ってないんだろ。少し休め」
「だけど」
ロズフィリアはそう言いかけて、ルクスの顔に浮かぶ表情に息を呑んだ。
「ルクス」
「窮屈なクラス委員はもうやめだ」
ルクスは微笑む。
「余計なことを考えずに魔法に集中できそうなのは、久しぶりだ」
「あなた」
ロズフィリアは思わず自分の胸に手を当てた。
いつもクラスのことを考えていて、それでも他の二人のクラス委員のようにはいかなくて、難しい顔をしていることの多いルクスが、今はまるで吹っ切れたような顔をしていた。
その年相応の少年らしい表情を、ロズフィリアは見たことがあった。
「初めて会ったときの、あなただわ」
「え?」
きょとんとしたルクスの顔からは、すぐにその表情は消えてしまう。
けれど、ロズフィリアはルクスの胸に手をついて自分の足で立った。
「分かった。あなたに任せる」
「ああ」
ルクスもそっとロズフィリアから身体を離す。
「一人で歩けるな?」
「……うん」
「元気になったら、二人で手伝ってくれ」
ルクスはそう言って、にやりと笑った。
「それまでは、一人でやってみるわ」
少しふらつきながらもエストンの方へと歩いていくロズフィリアの背中を見送り、それからルクスはようやくグウィントに向かい合った。
「待っててくれてありがとよ」
ルクスは快活に言った。
「おかげで助かったぜ」
「礼には及ばぬ」
グウィントは肩をすくめる。
「仲睦まじく話し合う男女の邪魔をするような無粋な真似はせぬ」
「へえ」
ルクスは目を見張る。
「さっきは金髪野郎なんて言って悪かったな。ええと」
「金のグウィント」
グウィントは名乗った。
「九つの兄弟石の筆頭、最も強く、最も気高き金の石の魔術師だ」
「おお。やっぱり金の石が一番強いのか」
ルクスは嬉しそうに言う。
「俺はルクス。ルクス・ハイベルクだ」
「ルクス。あの二人の仲間だな。ルールは分かるか」
「いや」
ルクスは首を振る。
「教えてくれ」
「よかろう」
グウィントは先ほどロズフィリアたちにしたのと同じ端的な説明を、ルクスにもした。
「なるほどな」
ルクスは頷いた。
「あんたの魔法をかいくぐって、その身体に触れればいいわけだ。円から出ちゃいけねえって言っても、どうせジャンプくらいはするんだろ」
「その通りだ。察しは良いようだな」
グウィントは微笑む。
「だが空中であっても、円の上より外には出ぬ」
そう言って、消えかかった円をもう一度靴で描き直し始める。ルクスはそれを無言で見つめる。
「ロズフィリアが、汝のことを一番の魔術師であると言っていた」
グウィントは円の周囲の地面を踏み固めながら、言った。
「我には、今のところそのようには見えぬ」
「だろうな」
ルクスは苦笑する。
「俺だって、そんなことは思ってねえよ」
「では、ロズフィリアの勘違いか」
「かもな」
その答えに、グウィントは「ふん」と笑った。
「あの少女は英雄としての素質を持っている。ここで命を散らすのでなければ、優秀な魔術師に育つことであろう」
「へえ」
「そんな少女が、おいそれと勘違いをするとも思えぬがな」
「俺に聞かれたって分からねえよ」
ルクスは肩をすくめる。
「ロズフィリアがそう思ってるなら、あいつにとってはそうなんじゃねえのか」
「それでは、なぜ遅れた」
グウィントは顔を上げ、鋭い目でルクスを見た。
「他の石のところへ行っていたわけでもあるまい。ロズフィリアは汝が来るのを待っていたようだった」
「やらなきゃならねえことが色々とあってよ」
ルクスは答える。
「あんたが九つの石の筆頭だっていうように、一応俺も十五人の生徒の筆頭なんだよ」
「ほう」
「もっとも、俺はあんたみたいに胸を張って自分が筆頭だなんて言えねえけどな」
「頭となる者が自信を失えば、その集団そのものが自信を失う」
グウィントは言った。
「筆頭の役目とは端的に言えば、集団の誇りを背負って傲然と胸を張ることそのものにあると言ってもよい」
「あんたはそれを実践してるってわけだ。立派だな」
ルクスは微笑む。
「俺も、そういう態度のできるやつを二人くらい知ってる。でもまあ、それはいいんだ」
ルクスは杖を構えた。
「今は、俺とあんただけだ。クラス委員かどうかなんて関係ねえからな」
その身体に魔力が渦巻くのを感じたグウィントが、ゆっくりと円の中央に立つ。
「いつでも始めよ」
グウィントは言った。
「我は構わぬ」
「それじゃあ行くぜ」
言葉と同時に、ルクスが杖を振る。
気弾の術。
まるでそよ風を受けるように、グウィントは棒立ちのままでそれを受けた。空気の塊は、その金色のローブに触れることすらなく霧散した。
三度、連続で気弾を撃ちこんだ後で、ルクスはそのまま一気に踏み込んだ。グウィントの胸目がけて杖を突き出す。
だが、さすがにそう簡単にいくわけはなかった。
グウィントは身をかわしざまに杖を巻き込むように腕で抱え込む。
「うわっ」
捻られた杖ごと、ルクスは宙を舞っていた。
そこにグウィントの容赦のない蹴りが飛んだ。
的確に顔面を狙ったそれは、ルクスが瞬時に張った不可視の盾に阻まれた。
「ほう」
グウィントは微かに目を見張る。
ルクスは背中を丸めるようにして地面を転がり、その勢いを利用して立ち上がった。
「あぶねえ」
思わず漏らした声に、はしゃいだような響きがあった。
「やっぱり普通に正面から行ったんじゃ、話にならねえな」
「魔法は、それなり」
グウィントは言った。
「だが、魔法の細やかさは、ロズフィリアの方が遥かに上。威力は向こうの最初の少年の方が上だ。正直なところ、さして見どころがあるようにも思えぬ」
「そうだろうな」
ルクスは気にする素振りも見せなかった。
「あんたは圧倒的に強いな、グウィント。一瞬やり合っただけで、嫌ってくらいに分かる」
「それならば、なぜそんなに楽しそうにしている」
グウィントの咎めるような声。
「もっと必死になれ」
ルクスは返事をしなかった。
代わりに、グウィントの足元から土の手が湧き上がった。
「せっかく描いた円を」
グウィントが眉をひそめ、その手を足で踏み潰す。
その一瞬のうちに、ルクスは姿を消していた。
「透け身か」
グウィントは姿消しの術の古名を口にする。
「だがそこにいるのは分かっているぞ」
答えの代わりに、空中に光球が浮かんだ。
先ほど使った、爆ぜ玉だ。
その数は一つではなかった。
二つ、三つ、四つ。
増え続ける光球が、二つに分裂し始めた。新たに生まれた光球が、また分裂する。
「これは」
グウィントが眉をひそめる。
グウィントの周囲を、小さな爆ぜ玉が埋め尽くしていく。




