決心
時は、やや遡る。
ライヌルとイルミスが樹上庭園へと続く階段の先に姿を消し、選抜された九組の生徒たちが石の魔術師たちとの対決のために続々と出発した後。
残された1組と3組の生徒たちは、ウェンディの横たわるこの場所を確保するために、ライヌルの呼び出した実体のない霧のような化け物、魔影たちと戦うことになった。
じわじわと迫ってくる魔影たちとの最初の数度の交戦で、自分たちの魔法が効果を発揮して魔影が消えると、生徒たちの間にはやや安堵した空気が流れた。
「みんな、見ての通りだ」
ルクスが手を叩いて声を張り上げた。
「遠すぎると魔法が散らされちまうが、ある程度引き付ければ、なんてことはねえ。気弾の術一発で消し飛ばすことができる」
「よし。コツが分かってきたぞ」
3組のゼツキフがそう言って、杖を手に前に出た。
「それなら迫ってくるのを待つまでもない。こちらから前進して、片っ端から薙ぎ払ってやる」
「それはいい考えじゃねえな」
ルクスは首を振る。
「ここでじっくりと引き付けた方がいい」
「どうしてだよ」
ゼツキフは不満そうな顔をした。
「連中、動きも速くない。囲まれる心配だってほとんどないぞ」
「石を取りに行ったコルエンたちが、いつ戻ってくるか分からねえからだよ」
ルクスは答える。
「俺たちの魔力には限りがある。いつまでもずっと元気に戦えるわけじゃねえ」
「だからこそ、だろう」
ゼツキフは杖を振り上げて、ゆっくりと近付いてくる魔影たちを指差した。
「だからこそ、一気に叩いて鎮静化させておくんだ」
「いや、だから」
ルクスは焦れったそうに顎に手を当てる。
「魔影の数は、多分」
「こっちにも出たわ!」
1組のチェルシャの悲鳴のような声に、二人の会話は途切れた。
そちらを振り向くと、樹上庭園への階段を中心に固まる生徒たちを包囲するように、それまでとは別の方向からも魔影が姿を見せ始めていた。
「まだあんなにいるのか」
ゼツキフが絶句する。
「ああ、魔影の数は有限とは限らねえ」
ルクスは言った。
「気付いてたか、ゼツキフ。俺たちが魔影を一体倒すごとに、またどこかから新しい魔影が姿を見せていたことに」
「なんだって」
ゼツキフが目を見張る。
「それは、つまり」
「そう」
ルクスは頷く。
「多分、この魔影どもは全滅させることはできないようになってる。それもあの闇の魔術師とやらの作戦だろう」
「それじゃあ」
「仲間を信じるしかないってことだ」
ルクスはそう言って、もう一度生徒たちを見まわした。
「コルエンやロズフィリアたち。それから1組や2組の、石を取りに行った仲間が、石の魔術師とやらに勝ってくれることを信じて待つしかねえんだ」
ルクスはその言葉で仲間たちに発破をかけたつもりだった。
だが、生徒たちは不安そうに顔を見合わせる。
さっきまでは勇ましいことを言っていたゼツキフも、表情を硬くして魔影を気味悪そうに見ていた。
「だから、ここで持ちこたえようぜ」
ルクスは言った。
「魔影を近付けなきゃいいだけだ。難しいことじゃねえ」
だが、先の見えない長丁場となりそうな気配に、生徒たちの表情は硬かった。
「いつまで待っても帰ってこなかったら、どうするんだ」
誰かが呟いた。
「そうしたら、次は誰が行くんだ」
「いや、そもそも帰ってこないんだから、勝ったか負けたかも分からないじゃないか」
「魔影はずっと途切れることなく出てくるんでしょ」
「きりがないじゃないか」
不安が言葉になって、ざわめきとともに全員に伝播していく。
普段は強気な男子生徒やしっかり者の女子生徒たちも、一様に不安を口にしていた。
「時間を決めよう」
ルクスは言った。
「遅くなっても帰ってこなかったら、次の組が行くことに」
しかし、生徒たちからの反応は鈍かった。不安そうなざわめきは止まらない。
「ああ、くそ」
ルクスは呟いた。
「うまくいかねえな」
不甲斐ない自分に苛立って、地面を蹴る。
アインやウォリスなら、ぴたりと場を収めるのだろう。
俺にはあいつらのような、みんなを安心させるだけの力がねえ。
「大丈夫よ」
凛とした声が響いた。
その声の主を見て、ルクスは目を見張る。
「カラー」
「大丈夫。みんな帰ってくるわ」
ウェンディの傍らにひざまずくカラーは、普段の彼女とはまるで違う、強く厳しい目をしていた。
「私たちの仲間が、あんな闇の魔術師の仕掛けた罠になんか負けるわけない。そうでしょ。コール、違うの?」
急に名前を呼ばれたコールが、慌てて頷いた。
「お、おう。他のクラスは分からねえけど」
そう言って、カラーを見る。
「少なくともアインなら負けるわけねえ」
「ええ」
カラーは頷き、今度はその近くに立つ男子生徒に目を向ける。
「そうでしょ、ルタ」
「そうだね」
カラーに自分の名を呼ばれ、ルタも頷いた。
「あのウォリスが簡単にやられてしまうところは、ちょっと想像つかないな」
「ゼツキフ、ロズフィリアたちはどうなの」
カラーに呼ばれ、ゼツキフは唸る。
「あいつは魔神だ」
ゼツキフは苦い顔で言った。
「負けるわけがない」
「ほら、これでもう三組は必ず帰ってくるじゃない」
カラーはそう言って、周囲を見まわす。
「あとの子たちは分からないけど」
「いや、コルエンたちならやってくれるだろ」
「アルマークの強さを知らないのかよ」
「トルクなら意地でも帰ってくるぜ」
たちまち生徒たちからそんな声が上がった。
「そうよね」
カラーは頷き、それからルクスを見た。
「ルクス」
「ああ」
ルクスは仲間たちの顔を見て、また頭を掻いた。
やれやれ、かっこわりいな。
本当は俺もクラス委員らしく、一人でばしっと仕切ってみたかったぜ。
だけど、これが俺だ。仲間に支えられながらだって、自分の役割さえ果たせりゃいいじゃねえか。
「そうだな」
ルクスは手を叩いた。
「みんな、聞いてくれ。俺たちがしなきゃならないのは、あいつらの帰ってくる場所を確保しておくことだ。魔影を見くびっちゃいけねえが、むやみに怖がる必要もねえ。担当範囲を決めよう」
そう言って、手を上げる。
「ここからこっちを、1組が。そっち側を3組が。それぞれが適当に対応してたんじゃ、無駄が増えるし間隙も生じる。対応する順番を決めよう」
ルクスの言葉に、生徒たちは頷く。
そこからは、早かった。
3組はルクスが、1組はムルカが中心となって魔影に魔法を放つ順番を決め、隊形を組んだ。
「一度魔法を使ったら、後ろに下がって自分の順番まで魔力の回復に努めるんだ」
ルクスは言った。
「大丈夫だ。そうすれば、夜が来るまでだって持ちこたえられる」
確証はなかったが、そう言い切った。仲間たちは、今度は笑顔で頷いてくれた。
ずずん、という地響き。
ルクスは、はっと顔を上げた。
ローテーションがうまく機能し、魔影の排除は順調に進んでいた。
安心感が漂い始めた頃、不意にどこかで大きな爆発が起きたかのような重い地響きがした。
「あっちの方角は」
「赤か、青か」
「アインたちかな」
地響きのした方角を指差して、1組の生徒たちが騒いでいる。
「敵と戦ってるんだ」
「あんな爆発が起きるのかよ」
そうか、敵と。
ルクスは振り返って、ちらりと背後を見た。
ゆらめく魔影たちのその向こう。
爆発音がそちらから聞こえてきたのではなかったことに、安心していた。
「ロズフィリアたちは、向こうへ行ったね」
不意にそう声を掛けられて、ルクスは振り向いた。
3組のルゴンだった。
「気になってるんだろ、ルクス」
ルゴンは真剣な顔で言った。
「な、何が」
「さっきから、ちらちらとそっちばかり振り返ってる」
ルゴンはルクスの見ていた方を指差す。
「行ってくれ、ルクス」
「え?」
「君が僕らを心配していることは分かってる」
ルゴンは言った。
「でも、君のおかげで魔影に対応する方法は確立できた。だから金の石の飛んだ方へ」
「そうだぞ、ルクス」
そう口を挟んできたのは、ゼツキフだった。
「さっきカラーに聞かれたときはとっさに、あいつは魔神だから大丈夫だ、なんて言ったが、よく考えたらペアがエストンだった」
「エストンはガタイもいいし、魔法だって上手いだろうが」
「ロズフィリアのペアが務まるのなんて、お前しかいないだろ」
ゼツキフは鼻を鳴らした。
「ここはもう大丈夫だ。お前が仕切ってくれたおかげでみんな落ち着いた。お前が抜けても何とかなる」
「い、いや、俺は」
「おーい、みんな」
ルゴンが声を張り上げた。
「ルクスがこれから、ロズフィリアたちの援軍に行くってさ」
「おう、いいぞ。行け行け」
叫んだのは、1組のフレインだ。
「こっちは大丈夫だ、ルクスがここに残ってたんじゃもったいねえよ」
「ロズフィリアだって、一緒に来てほしそうな顔してたしな」
コールが羨ましそうに言う。
「それに、どうせもうすぐウォリスあたりが涼しい顔で帰ってくるよ」
「ルクスが抜けるなら、3組にラープスを貸すよ」
ムルカが言った。
「ラープスは体力の化け物だからね。まだまだ元気だよ」
その言葉にラープスが頷いて、右腕で力こぶを作ってみせる。
ルクスは困惑したように彼らの顔を見て、それから地面に横たわるウェンディを見た。
今は、1組のアリアがその傍らに座っていた。
「行ってきたら?」
カラーが言った。
「心配なら、すぐに石を持って帰ってくればいいじゃない」
そう言って、微笑む。
「そのほうが、ウェンディも喜ぶわ」
その言葉が、ルクスに心を決めさせた。
「みんな、悪い」
ルクスは仲間たちに頭を下げた。
「自分で選んだけどよ、実はずっと心配だったんだ。ちょっと行ってくる」
その言葉に、やんやと歓声が上がる。
「行ってこい、ルクス」
「1組や2組に負けるなよ」
「さっさと一番いい石を持ち帰ってきてくれ」
ロズフィリアとエストンを送り出したときとはまるで違った。
「よし、すぐ帰ってくる」
仲間たちの声援を背に、ルクスは走り出した。
森の中を駆けに駆け、ようやく追いついたロズフィリアは、すでに敵と交戦中だった。
ぼろぼろのローブで、杖を支えに何とか立っているロズフィリア。
そんな彼女の姿を見るのは、初めてだった。
エストンの姿はない。
敵であろう、金髪の男がロズフィリアに何か言っている。
この野郎。
考えるよりも早く、ルクスは爆ぜ玉の術を撃ち込んでいた。
金髪の男がうるさそうにそれを受け止める。ルクスは一直線に彼に突っ込んでいった。
「おい、てめえ、金髪野郎! ロズフィリアから離れろ!」




