新手
エストンの杖から空を切るような風が飛び、グウィントの金色の髪を揺らす。
石をも断ち切るはずのその風は、しかしグウィントのローブに傷一つつけられなかった。
グウィントは右手を目の前にかざすだけで、まるでそよ風のようにそれを受け止めてみせた。
それでもエストンは力を込めて、立て続けに風切りの術を放っていった。
風を避けるように、ロズフィリアが走る。
自分の左側に回り込んでくるロズフィリアを、グウィントは胡乱な目で見た。
「その攻撃は、さっきも見たぞ」
「そうだったかしら」
グウィントに迫ったロズフィリアは、再び気弾の術で跳躍してグウィントの背後を狙う。
だがグウィントはもう彼女に己の背中を見せる気はないようだった。
ロズフィリアの動きを完全に読んでいたかのように、最低限の動作でロズフィリアを正面に捉えると、そのまま右手から気弾の術を撃ち込む。
「ぐっ」
軽く放たれたはずのそれの凄まじい衝撃に、ロズフィリアは呻いた。
それでもとっさに不可視の盾を展開していたところはさすがだった。
「ほら、足が止まったぞ」
エストンの風を片手間に捌きながら、グウィントが腕を振る。
ロズフィリアが飛び退くと、さっきまで彼女が立っていた地面がばっくりと割れた。
「いったん退け、ロズフィリア!」
ロズフィリアを守るように、後方のエストンからも気弾の術が放たれた。
「その年齢にしては、魔術も身のこなしもなかなかのもの」
そちらを見もせずに気弾を払いのけながら、グウィントは言った。
「だが、まるで足りぬぞ。我の想定を超えてみせねば、この身には指一本触れることは叶わぬ」
「エストン、お願い!」
それに答えず、ロズフィリアが仲間の名を呼び、エストンが魔法で彼女を自分の横まで引き戻した。
「いい感じだわ」
ロズフィリアは息を整えつつ、エストンの腕を叩いた。
「次で仕掛けるわよ」
「ああ」
エストンは頷く。
「君らしい顔になってきたじゃないか」
「新しい挑戦って、いつでも楽しいじゃない」
ロズフィリアは汗の中で目を輝かせて微笑む。
「そうでしょ?」
「僕は同意しない。既存のものを積み上げることにも価値はあるからな」
エストンはそう言うと、にやりと笑った。
「だが、今の君は頼もしいな。さすがは魔神ローズだ。やれる気がしてきた」
「自分を信じなきゃ、道は開けないわ」
ロズフィリアは最後にローブの袖で汗を拭って、大きく息を吐いた。
「私の動きをよく見て。仕掛けるタイミングを間違えないでね」
「ああ」
頷いたエストンが、杖をかざす。
「どっちみち、魔力もそんなにもたない。ここにぶつけるさ」
エストンの杖から強い風が巻き起こると、グウィントは明らかに顔を歪めた。
「またか」
グウィントの苛立った声。
「魔力が尽きるまで同じことをしてみなければ、分からぬのか。さしたる量の魔力もあるまいに」
それに答えず、ロズフィリアは風を背に走った。
グウィントが小さく首を振る。
「度し難い」
そう言って、ゆっくりと右手をロズフィリアに向ける。
「終わりにするぞ」
まるで剣の切っ先を突き付けられたかのような威圧感。
だがロズフィリアは速度を落とすことなく、グウィントに向かって真っすぐに駆けた。
後ろから、エストンの送る風が強くその背中を押す。
「無策」
グウィントが言ったとき、不意に風が地面を這うように吹き、草と土を巻き上げた。
「またそれか」
グウィントが面倒そうに左手でそれを振り払う。
ロズフィリアはもうグウィントの眼前まで迫っていた。
と、突然ロズフィリアは真横に飛んだ。
気弾の術を使っての、横っ飛び。
「む」
そちらを目で追ったグウィントは、ロズフィリアがさらにもう一度回り込むように横に跳ぶのを見て、眉をひそめる。
「今度は回り込んで背後を取る気か」
エストンの風を払いのけながら、円の中で身体を回し、ロズフィリアを正面に捉える。
「だが汝の速度では無理だ」
次の瞬間、三つの光球が同時にグウィントを襲った。
エストンからでも、ロズフィリアからでもない。
全く別方向からの奇襲だった。
「新手か」
不意を衝かれたとはいえ、グウィントの反応は素早かった。
両手を広げて膜を張り、光球を防ぐ。
膜に当たると、光球は大きく爆ぜた。
光球の出どころは、森の中を歩いてきた二人が待ち構えるグウィントを見付けた場所だった。
ロズフィリアとエストンはそこに、策として光球の魔法を仕込んでいた。
爆風が、グウィントの視界を遮る。
「うおおおお!」
ここぞとばかりに、エストンが全力で無数の気弾の術を撃ち込んだ。
グウィントの身体ばかりではなく、周辺の地面も狙ったその攻撃に、土ぼこりが舞う。
「ちっ」
ついにグウィントはロズフィリアを見失った。
ロズフィリアは地を這うように体勢を低くして、グウィントの左後方から横殴りに杖を振るった。
狙いは、その長い脚。
完全に捉えたように見えたその打撃は、だが空を切った。
「あっ」
ロズフィリアが思わず声を漏らす。
グウィントはローブをたなびかせ、ふわりと跳躍していた。
「円から」
「出てはいない」
言いかけたロズフィリアの言葉を、グウィントが継いだ。
瞬間、衝撃。
ロズフィリアは後ろに吹き飛んだ。
同時にエストンも吹き飛ばされていた。援護のなくなったロズフィリアは、身体を地面に激しく打ち付けて倒れた。
「ぐっ」
起き上がろうとしたエストンに、円の中に着地したグウィントが金色の小石を放っていた。
顎にまともに食らったエストンは、鈍い音とともに再び倒れた。
「エストン!」
ロズフィリアが呼びかけるが、返事はない。エストンは地面に倒れたまま、動かない。
「気絶したか」
そう呟き、グウィントはロズフィリアに視線を戻す。
「ロズフィリア。汝は向こうの……ああ、名前を聞き忘れたな。あの男よりは優秀であった」
グウィントは、冷たい表情で首を振った。
「だが、不合格だ。魔法を別の場所に仕込んでおく周到さは、嫌いではないがな」
答えず、ロズフィリアは立ち上がった。まだ体に力は残っていた。
傷ついた身体に鞭打って、走り出す。
「無駄だ」
グウィントは言った。
「向こうの男の援護があってこそ、初めて私に肉薄できたのだ。汝一人では」
その言葉に構わず、ロズフィリアはグウィントに突っ込んだ。
それと同時に、先ほどの場所から再び、光球が放たれた。
「まだ隠していたか」
初めてグウィントが薄く笑った。
「いいぞ、ロズフィリア」
だが彼女の突撃は、グウィントの体術によって難なくいなされ、再び魔法によって地面に引き倒された。
「まだまだ」
ロズフィリアは立ち上がる。
「無駄だということが分からぬ汝ではあるまい」
グウィントが呆れたように言う。
それでもただ一人、ロズフィリアはグウィントに挑み続けた。
それは絶望的な挑戦だった。
何度も地面に倒され続けた彼女のローブは破れ、膝や肘からは血が滲んだ。
「私には子供をいたぶる趣味はない」
傷一つない美しい金色のローブをきらめかせ、グウィントは厳かに言った。
「分かったであろう。ここからの逆転は無理だ。終わりにしよう」
ロズフィリアは立ち上がると、グウィントの冷たい表情を見つめ、それから諦めたように笑った。
「そうね」
「ようやく敗北を受け入れたか」
グウィントは頷く。
「潔さも、人の美徳の一つ」
そう言って右腕を上げる。
その瞬間だった。
ロズフィリアの身体の魔力が一気に膨れ上がった。
「むっ」
グウィントが目を見張ったときには、突き出された杖から巨大な火球が放たれていた。
「まだ、これほどの魔力を隠していたか」
燃え盛る火球を、グウィントが素手で掴み、そのまま握り潰す。金色のローブの袖が、わずかに焦げた。
火球を追うようにしてグウィントに躍りかかっていったロズフィリアは、自分の勢いと同じ強さで後ろに吹き飛ばされた。
ごろごろと二回転半もして、ようやく止まる。
「我がローブをわずかとはいえ、焦がすとは」
グウィントは何事もなかったように手を叩くと、倒れたままのロズフィリアを見た。
「賞賛に値するぞ。汝のその奮闘、覚えておこう」
その言葉に反応したかのように、ロズフィリアが上体を起こす。それだけでも、驚異的なことだった。
魔力はほぼ尽きかけているはずだった。
「グウィント。あなた、本当に強いのね」
「いまさら何を」
グウィントは肩をすくめる。
「言ったであろう。我は九つの兄弟石の筆頭。汝らも、もしも行ったのが他の石のところであったならば、もう少しは可能性があったであろうが」
「それでも、ここで終わるわけにはいかないの」
ロズフィリアは、杖を支えに立ち上がった。
「私たちは、仲間を助けなくちゃいけないの」
「勇気と信頼、不屈の闘志」
グウィントはその姿を見て、目を細める。
「栄光ある業績は、いつもそれらによって成し遂げられてきた。汝にも英雄たり得る素質がある」
だが、とグウィントは首を振った。
「まだ我に挑むには早すぎたな」
「それでも」
ロズフィリアは身体に残った魔力を練る。
「今じゃなきゃだめなのよ」
「美しいな」
グウィントは微笑んだ。
「汝のその勇気と献身は、もっと栄光ある戦いにおいて発揮されるべきであった」
「これがその戦いなのよ」
ロズフィリアは言い切った。
「だから、道を開けて。金のグウィント」
「嫌いではない」
グウィントは言った。
「だが、譲れぬ」
「譲ってくれなんて言ってない」
最後の魔力を、ロズフィリアは杖に込めた。
「どけって言ってるのよ」
「良い啖呵だ」
グウィントは笑う。
「実に惜しい」
その時だった。
彼方の茂みから、空を裂くような光球が飛んできた。
「まだ仕込んでいたのか」
不意を衝かれたはずのグウィントが、造作もなくそれを払いのけてため息をつく。
「だが、このタイミングではなかろう」
「違う」
ロズフィリア自身も驚いていた。
「私は、もう仕込んでなんていない」
そう言って振り返ったその顔が、驚きと喜びに輝く。
「ああ」
ロズフィリアは緊張の糸が切れたかのように膝をついた。
「来てくれたのね」
「なに?」
グウィントが眉を寄せる。
「誰がだ。今度こそ新手か」
「この世で一番すごい魔術師」
ロズフィリアは言った。
「きっとあなたにだって勝てる人」
「おい、てめえ、金髪野郎! ロズフィリアから離れろ」
そう叫びながら駆け寄ってきた少年を見て、グウィントは顔をしかめる。
「あれが、か?」
「ルクス!」
ロズフィリアはその少年の名を呼んだ。




