殺し合い
闇を圧するような力強さで、イルミスが前に出る。
それを阻むようにライヌルが黒い杖を振るった。
襲い掛かる闇の力を、イルミスが白い杖で払いのけていく。
さすがに闇の魔術師だけあって、ライヌルの攻撃は多岐にわたった。
ライヌルの操る闇は、獣に、刃に、槌に、鬼に、炎に姿を変えてイルミスに迫ったが、それに対するイルミスの対処は常に変わらなかった。
白い杖を振り、光とともにそれを払いのけること。
それはまるで、イルミスの生き方を示しているようでもあった。
闇の勢力は、手を変え品を変え、あらゆる機会を通じて誘惑してくるが、イルミスはそれを一顧だにしない。
相手がどのような姿であれ、それがどのような機会であれ、闇であればきっぱりと振り払うこと。それがイルミスの信じる正義だった。
闇が地を揺らし、空を切り裂く。
だが、激しく攻撃しているライヌルの方が、イルミスの放つ光に押され、じりじりと後退を続けた。
「ぬうっ」
ライヌルが闇の力を結集する。
クロマホロバの百年枝で作られたライヌルの杖が、きしむような音を立てた。
魔神の爪を思わせる、鋭く尖った長い三本の闇が、凄まじい速度でイルミスに伸びる。
それもイルミスには通用しなかった。
彼の握る白い杖が闇の爪を弾き返すと、ライヌルは己の前面に集めた凝縮した闇を、いっぺんに解放した。
奔流となった闇は、黒き龍のような姿をしていた。
だが、イルミスは微塵もうろたえなかった。
大上段に振りかぶったヒカリキシバの杖を真っ直ぐに振り下ろすと、龍はまるでイルミスの力を畏れたかのように真っ二つになって霧散した。
「ここまで」
ライヌルはなおも下がりながら、呻いた。
「ここまで強いのか、君は」
「君が弱くなったんだ、ライヌル」
ライヌルの放った黒い矢を造作もなく弾き返し、イルミスはそう答えた。
「私の仰ぎ見た魔術師ライヌルの力は、こんなものではなかった」
その杖が、闇の中に白い弧を描く。
「たとえ、病に侵されていようともだ」
気付けば、ライヌルの足は石畳の縁を踏んでいた。
そこからなおも下がるということは、学院の武術場を模して作ったイルミスとの対決の場から、自ら下りるということ、すなわち敗北を認めるということに他ならなかった。
ライヌルは右に逃れた。
だが、イルミスはそれを予想していた。
ライヌルが横に身をかわした瞬間、地面から輝く炎が湧き上がった。
「ぐっ」
とっさに身体を丸めるようにして、ライヌルはさらに右に飛んだが、そこにはすでにイルミスの放った光の槍が迫っていた。
身をよじったライヌルの灰色のローブが切り裂かれ、赤い血が舞った。
「ぬうっ」
ライヌルは杖を大きく三度振った。
杖が割れるような音を立て、イルミスの周囲から同時に三匹の龍が舞い上がったが、イルミスの杖の一閃で全て飛び散って消えた。
「……何も通じないな」
足を止め、ライヌルは言った。
「何をしても、君には通じない」
その顔に、弱気な笑顔が覗く。
「本当に君は恐ろしい男だよ。イルミス」
「君が正しい方向へと歩んでいたならば」
イルミスは言った。
「立場は逆だっただろう。私には君を凌駕することなどできなかった」
「そうかな。私はそうは思わない」
ライヌルは首を振る。
「まあ、いまさら何を言っても、仕方ないことだがね」
ライヌルは口元に卑屈な笑みを浮かべて、イルミスを見た。
「だが、これは殺し合いだ。私は本気でいくと言ったはずだよ、イルミス」
「分かっている」
イルミスはさらに一歩、前に出た。
痩身の彼だったが、その一歩にはずしりとした重厚感があった。
「私には、君を止める術がない」
イルミスから目を離すことなく、ライヌルは言った。
「この勝負、君の勝ちだな」
意外な言葉にイルミスがわずかに目を見開く。
その時には、ライヌルは自ら石畳の外へと大きく飛び退いていた。
「だが、最後まで立っているのは、私だよ」
ライヌルが杖を大きく振る。杖はついに粉々に砕け散った。
轟音。
石畳に囲まれた武術場全体が突如崩壊した。
まるで空中に大量の墨がこぼされたように闇が弾け、それが凄まじい爆発を起こした。
それと同時に石畳の内側を包むように生成された半円状の障壁によって、爆発はその内部だけで破滅的な威力で荒れ狂った。
「さようなら、イルミス」
ライヌルは言った。
「勝負には負けたが、目的を果たしたのは私だ」
そう言って、手の中に残ったクロマホロバの杖の残骸を風に飛ばす。
「君を討てたのであれば、この杖一本くらい、惜しくはないな」
なおも目の前で荒れ狂う、闇の暴風。それをライヌルは静かな目で見た。
「死体も残るまい。徹底的にやらねば、君は怖いからね」
その肩に、一筋の光が差した。
「……なっ」
焼かれるような強い痛みに、ライヌルは思わず肩を押さえてよろめく。
障壁が、内側から砕けた。
「ばかな」
ライヌルは目を見張った。
「どうしてまだ生きているんだ。いくら何でも、そこまでの力は」
一瞬の光とともに、闇が晴れた。
灰色のローブのあちこちから煙を上げながら、それでもイルミスは立っていた。
血塗れの顔で、だがその眼光はなお鋭かった。
「私には、使命がある。こんなところで敗れるわけにはいかない」
イルミスの声は、荒れ果てた庭園に響き渡った。
「生徒全員を、無事に学院に帰す」
「君ほどの男が」
ライヌルはひきつったように笑う。
「たかがその程度のことを、使命だなどと」
怒りをぶつけるように、ライヌルは吼えた。
「男の使命とは、もっと崇高なものであるべきだ」
「どけ、ライヌル」
イルミスは杖を突き出した。
そこから発された一筋の光に、またライヌルは苦痛の呻きを上げる。
「私は生徒たちのもとに帰らなければならない」
イルミスの杖に、かつてない力が凝縮していた。
「よせ、イルミス」
ライヌルは悲鳴のような声を上げる。
「待て。勝負は君の勝ちでいい」
「さらばだ、ライヌル」
イルミスの杖から光が迸った。
「イルミス!!」
ライヌルの絶叫。
ライヌルが大きく広げた両手の中に、誰かの人影が現れた。
「ライヌル、貴様という男は」
イルミスが叫ぶ。
光は、ライヌルに届く直前で逸れた。
ライヌルの灰色のローブの袖の先だけを消し飛ばし、光は消えた。
イルミスの身体が、ぐらりとよろける。
無理やりに力を捻じ曲げたせいで、自らの魔法による反動を受けたのだ。
ライヌルは己の腕に、一人の女子生徒を自分の盾にするかのように抱えていた。
意識のないその生徒は、初等部の二年生。森で行方知れずになっていた、フィタだった。
「だから、君は甘いんだ」
ライヌルはぽつりと言った。
光が逸れると同時に、イルミスの身体をライヌルの放った闇の爪が貫いていた。
「本気の殺し合いだと言っただろう」
ライヌルは言った。イルミスの身体が力を失い、地面に崩れ落ちた。
「生徒を思う君のその強い気持ちを、私が利用しないはずがないじゃないか」
イルミスからの答えはなかった。
「君は強かった。……ああ、本当に強かったよ、イルミス」
ライヌルは、地に倒れ伏したかつての友を見て、寂しそうに微笑んだ。
第二十四章は、ここまでとなります。
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