計画
「君のやろうとしている計画」
ヨーログは目を細める。
「それは、何かね」
「私には、生涯を懸けてやりたいこと、成し遂げたいことができたのです」
そう言って、ライヌルは微笑んだ。
「他国への仕官はやめようと思っています。結局はどの国も大差ない、出自で人を見るような連中ばかりでしたから」
「そうとは言い切れん」
ヨーログは首を振る。
「それにライヌル、もしもそうであったとしても、君の力をもってすれば、いずれは覆せるはずだ」
「もういいのです」
ライヌルは笑った。
「宮仕えなどよりも、もっと興味のあることができました」
そう言うと、ライヌルは自らの計画を口にした。
「魔術師を育てようと、思っているのです」
「魔術師を」
ヨーログは微かに目を見張った。
「君が、かね」
「ええ」
ライヌルは微笑む。
「この学院の魔術師養成方法は、素晴らしく完成度の高いものです。今までに多くの先達が試行錯誤し、時代とともに改良を加えてこられた結果なのでしょう」
そう言うと、ライヌルは声を潜めた。
「ですが、ここで生まれるのはその枠に才能が収まりきる魔術師ばかりです」
その目が、挑戦的な光を伴ってヨーログを見た。
「私が育てたいのは、もっと規格外の魔術師です。出自も身分も、この世のあらゆるしがらみを全てその力でねじ伏せてしまうほどに圧倒的な力を持った魔術師」
「君のような、かね」
「私は違います」
ライヌルは首を振った。
「残念ながら、私にはそこまでの才能がなかった。それはこの猟官活動で痛いほどに分かりました」
そう言って、苦く微笑む。
「私は、この学院の枠に収まる程度の器でした」
「君はまだ若い」
ヨーログは言った。
「決めつけるのは早いだろう」
「人の寿命などせいぜい五十年」
ライヌルは言った。
「魔術の力で延命しても、所詮は七十年かそこらでしょう。私がそこまで達するには時間が足りない」
「自分でそう思うのであれば、仕方ない」
ヨーログはそう言った後で、静かに微笑むライヌルを見た。
「では君は、学院に残って後進の指導に当たるつもりもないのかね」
「それで満足できたなら、どれほど幸せであったことか」
ライヌルは首を振った。
「この計画を思い付いたその日から、私の頭は考えることをやめてくれません。新しいアイディアが次から次へと溢れ出てくるのです。世界を変える魔術師を育てあげるための、無数の方法が」
「そうか」
ヨーログはライヌルの顔をじっと見つめ、それから静かに微笑んだ。
「いいのではないかね、ライヌル。君ほどの魔術師が熱意を注げるというのであれば、やってみる価値は十分にあるだろう」
しかしライヌルは、ヨーログの穏やかな表情を見返し、首を振った。
「学院長先生、私は本気なのです」
「うむ」
ヨーログは頷く。
「今、君の話を聞いて、私もそう思ったよ」
「生涯の一大事です」
ライヌルは真剣な目で言った。
「宮仕えなどよりも、遥かに価値のあることです。私はそれに自分の命を全て捧げてもいいとさえ思っているのです」
ライヌルはそう言いながら、ヨーログの青い目を覗き込んだ。
「だから、偽らずに教えてください。私のこの計画は成就するのでしょうか」
「ライヌル」
ヨーログは首を振る。
「私は占い師ではないよ」
「分かっています」
ライヌルは頷いた。
「そんな重要なことを、私は占い師になど尋ねたりはしません。ガライの宮廷魔術師長オルフェンさえもその力を憚る、当代最高の星読みである学院長先生だからこそ、こうしてお聞きしているのです」
「私をおだてても、何も出てこないよ」
「ごまかすのはやめてください、学院長先生」
ライヌルが詰め寄る。
「あなたには見えているはずだ。私のこの計画が成就するか、どうかが」
ライヌルが、ローブが擦れ合うほどに詰め寄ると、ヨーログはわずかに眉をひそめた。
「ライヌル。君の身体からは、闇の臭いがするね」
「何の話ですか」
ライヌルは顔をしかめる。
「話を逸らすのはやめてください」
「いや」
ヨーログは首を振った。
「これは大事なことだ」
そう言って、教え子の顔をまじまじと見た。
「ライヌル。君は、闇に手を染めたのか」
「闇の臭いですって。一体どこから」
ライヌルは金色の縁取りのあるローブの袖を持ち上げて、自分で嗅いでみせる。
「何の匂いもしませんよ。するのはせいぜい、香の匂いくらいだ」
「ライヌル」
ヨーログは首を振った。
「私はごまかせんよ」
「そう言われましても」
ヨーログの厳しい表情に、ライヌルは困惑の表情を浮かべたが、やがて諦めたように苦笑した。
「……ああ、さすがは先生だ。完全に消したと思っていたのに。イルミスでさえも気付かなかったので、すっかり安心していました」
「それも私を試すつもりでやったことだね」
ヨーログは言った。
「わざとここまで身体を近付けた」
「いやだな、考えすぎですよ」
ライヌルはそう言いながら、静かに身を退く。
「八歳のあの日、あの路地でこの身を拾っていただいて以来、大恩ある先生のことを試そうだなんて思ったことは一度たりともありませんよ」
だが、ヨーログは静かに首を振った。
「……闇か。君が以前から、力としての闇に関心を持っていることは知っていたが。その一線は越えるまいと思っていた」
悲しそうに、息を吐く。
「手を染めるのは簡単だが、そこから抜け出した者はほとんどいない。険しい道だぞ、ライヌル」
「……抜け出す?」
ライヌルは意外な言葉を聞いた、という顔をした。
「火や風や水と同じように、闇もこの世界を構成する要素の一つです。闇だけをいたずらに忌避する風潮はおかしいと、前にも言ったことがあるかと思います。深入りせずに、使える力は利用すればいい」
「そんな甘い認識で、今までいったい何人の優秀な魔術師が破滅していったことか」
ヨーログは厳しい目をした。
「闇も、この世界を構成する一つの要素。君の言っていることは間違いではない。だが、力には相性というものがある。人と闇とは、相性が悪すぎる。闇の力は、人に操り切れるものではない」
「大きな力が破滅をもたらすのは、炎の力であれ水の力であれ同じことでしょう」
「他の力とは違う。闇の力は、人そのものを変えるのだ」
「変わりませんよ、私は」
ライヌルは口元を歪めた。
「そもそも私は、闇から生まれ出たような人間です」
「闇から人は生まれ得ない」
ヨーログは言った。
「君がそれを闇と思い込んでいるだけのことだ」
ライヌルは鼻で笑った。
「先生には分かりませんよ」
「ライヌル。君をそこまで駆り立てるものが何なのか、やっと分かったよ」
ヨーログは言った。
「嫉妬」
その言葉に、ライヌルの頬がわずかに引きつった。
「ただ一人の人間への嫉妬。君ほどの男が、そこまで狂わされるほどの大きな嫉妬だったのか」
ライヌルは答えなかったが、その表情がヨーログの言葉の正しさを物語っていた。
「嫉妬は、誰しもが持つ感情だ。だが、まさかそれがこんな形で出てこようとは。もっと良い形で昇華させられたはずのものを」
ヨーログは目を伏せた。
「自分を恥じよう、ライヌル。気付けず、導けなかった私の責任だ」
「ふざけたことを」
ライヌルは右手を大きく振った。
「あなたに責任を取ってもらおうなどと、思ったことはない。私を見くびらないでいただきたい」
それから、燃えるような瞳でヨーログを睨みつけた。
「私は今の自分を何ら恥じてはいない。学院長先生、私があなたから聞きたいのは、ただ一つだ。私の計画は成就するのか、否か。知りたいのはそれだけです」
「君のその計画には、闇の力が関係しているのかね」
「関係ですって」
ライヌルは声を上げて笑った。
「関係も何も、私はあらゆるものを使うつもりですよ。闇の力など、その中の一つに過ぎません。私は全てを取り入れるのです。この学院では決して取り入れることのできない、あらゆることを。諸先輩方がその可能性に気付きながら、目を背けていたことも。そもそも彼らには思い付くことすらなかったであろうことも。その全てをです」
ライヌルは両腕を広げた。
「命を懸けると言ったでしょう。この学院に、魔術師を育てることに命を懸けている教師が果たして何人いますか。私は違う。この命を懸けて、魔術師を育てる」
「強すぎる熱意を熱いままで向ければ、人を殺すこともあるぞ。ライヌル」
「教える側が命懸けならば、教わる側も命を懸けるのは当然でしょう」
ライヌルは躊躇なく言い放った。
「死ぬならば、死ねばいい。何人死のうが、最後に一人、圧倒的な魔術師が残ればいい。この世を変える魔術師が」
「……そうか」
ヨーログは伏せていた目を上げた。その目が、ゆっくりとライヌルに向けられる。
「君の考えは、分かった」
ヨーログの目の色が、先ほどまでとは違った。
深海のようなその深く暗い青に、ライヌルも目を見張った。
「ならば答えよう。ライヌル」
そう言うと、ヨーログはゆっくりとライヌルの胸を指差した。
「君を蝕むその病は、今の魔術でも治しようがない」
その言葉に、やつれた顔のライヌルは目を見開く。
「病のことを、知っていたのですか」
「その顔を見れば、誰でも分かる。君の友人たちも心配していた」
ヨーログは言った。
「はっきりと言おう。君はあと数年で、病によってこの世を去る。君のその計画が成就することは、決してない」
「成就、しないと」
ライヌルは確かめるように言った。
「そうおっしゃいましたか」
「成就などしない」
ヨーログは言い切った。
「残された時間で、己を見つめ直すことだ。ライヌル」
「……星が」
ライヌルは言った。
「星が、そう告げているのですか」
その問いに、ヨーログは答えなかった。
ライヌルは青ざめた顔でヨーログの厳しい顔をじっと見つめ、それから、にいっと笑った。
凄惨な笑顔だった。
「分かりました」
ライヌルは言った。
「それだけ聞ければ、もうこの学院に用はない。学院長先生、長の年月」
ライヌルはふわりと頭を下げた。
「大変、お世話になりました」
「ライヌル」
ヨーログは言った。
「もう戻れないのだな」
風が吹いた。
もう、そこにライヌルの姿はなかった。




