ここにいる人
三人はそれぞれが旋律を口ずさみながら、石畳の上を歩き回る。
「これか。いや、こっちかな」
とにかく踏んで、聞いてみて、確かめるバイヤー。
「ちょっとバイヤー、踏まないで。静かにして」
それとは対照的に、両耳を塞いで自分の中の旋律を確かめるキュリメ。
「あそこをまず踏んで、次にあそこでしょ」
セラハはもう石畳を踏んでメロディを奏でることまで考え始めていた。
最初の数音が固まると、そこからは早かった。
「た、たた、たーん、でしょ」
「そうか、じゃあ」
キュリメが旋律を口ずさみ、バイヤーが石畳の外を走る。
「この音だ」
バイヤーの踏んだ石畳が光とともに期待していた音を奏でる。
「そう、それ!」
セラハが手を叩く。
じきに、三人は全ての旋律を解明した。
「あとは、これをリズム通りに鳴らすだけだね」
「うん」
三人は汗だくの顔を見合わせて、頷いた。
音のなる石は、円状に敷き詰められた石畳のあちこちに分散していた。
だから、とても一人では、それをリズムに合わせて踏むことはできない。
三人が、それぞれに分担を決める。
「飛び足の術を、もう一度かけておくね」
キュリメが黄色い旗を取り出して、自分を含めた三人全員の足を軽くする。
「よし、やろう」
セラハが元気よく右手を挙げた。
「いくよ! せえの」
最初の音をセラハの右足が踏む。
次の音をキュリメが。セラハに戻って、次にバイヤー。
記憶した通りに音を鳴らし続け、一応は最後までたどり着いたものの、それはとても音楽と呼べるようなものではなかった。
ぶつ切りの音の断片。
案の定、空に浮かぶ石板にも何の変化もない。
「これ、ちゃんと練習しないとできないやつだ」
セラハが汗を拭った。
「まるでダンスしてるみたい」
「ちょっと、それぞれの担当範囲が広すぎる気がするよ」
膝に両手をついてはあはあと喘ぎながら、バイヤーが言った。
「リズムがぐちゃぐちゃだ」
「ただでさえダンスって苦手なのに」
キュリメも疲れた顔を見せる。
「これ、ものすごく難しい」
「そうだよな。よりによって三人のうち二人も運動が苦手だなんて。これがアルマークやウォリスだったら、もっとぱぱっと」
「バイヤー」
セラハがバイヤーを軽く睨む。
「ああ、そうだったね。ごめん」
バイヤーは首を振って背筋を伸ばす。
「今ここにいない人のことは、言っても仕方ないね。僕らの力で何とかしないと」
「うん。みんなでメロディを一緒に歌いながらやってみましょうよ。そうすれば、リズムがずれたりするところも分かるから」
「そうだね」
あくまで前向きなセラハの言葉に、バイヤーは感嘆する。
ああ、セラハはすごい。
「うん、やってみよう」
「キュリメ、大丈夫?」
セラハは気遣わしげな顔をキュリメに向ける。
「まだ動ける?」
「ええ」
キュリメは冷たい汗に濡れて青ざめた顔で、それでも気丈に微笑んだ。
「情けないね。カードのおかげで全然魔力を使っていないのに、こんな有様で」
「そんなことないよ。走ったり跳んだり、すごくきつかったもの」
セラハは自分の汚れたローブを手で叩いてみせる。
「こんなになるまで頑張ったんだもの、あと少し」
「うん」
三人は、一緒にメロディを口ずさみながら石畳を踏み始めた。
けれど、飛び足の術がかかっているとはいえ、この三人でカバーするには、石畳は広かった。
運動神経の良いセラハはそれなりの動きを見せていたが、他の二人が厳しかった。
繰り返し挑戦するものの、まともにリズムに乗れるようになったのは序盤だけで、後はテンポもつながりもない音の羅列がだらだらと続くだけだ。
バイヤーの言う通り、ここにアルマークのような体力を誇る仲間が一人でもいればまるで状況は違っただろう。
しかし、そんなことを言っても仕方がないことは全員が分かっていた。
「たーたたーたっ」
「いてっ」
バイヤーが足をもつれさせて転び、その拍子に身体がぶつかった別の石畳が光って音を出した。
「ああ、くそ」
バイヤーは寝転がったまま空を見上げて、両手で石畳を叩いた。
「うまくいかない」
「もう少し、私の範囲を広げようか」
セラハが言うが、バイヤーは首を振る。
「いや、これ以上、君に負担をかけられない」
事実、二人の苦戦ぶりを見て、セラハはここまで少しずつ自分のカバーする範囲を広げてくれていた。
バイヤーとキュリメは今、彼女に比べればだいぶ狭い範囲で動いているのだが、それでもセラハについていけなかった。
飛び足の術でいくら足を軽くしてもどうにもならない点に、リズム感があった。
二人ともそうだが、特にキュリメにはそれが絶望的に欠けていた。
毎年魔術祭の後夜祭で踊る簡単なダンスも、まともにできないほどなのだ。このわずかな時間の動きで、それが劇的に改善するわけはなかった。
「ええい、くそ」
バイヤーが上体を起こして立ち上がろうとして、「あっ」と声を上げた。
「どうしたの、バイヤー」
「ほら、あれ」
顔をしかめたバイヤーの指差す先に、きらりと光るものが見えた。
ここまで三人が踏破してきた細い道の向こう。
あれはちょうど石像を壊したあたりだ。
「光球だわ」
セラハも顔色を変える。
「時間がないのね」
「頑張ろう」
バイヤーも飛び起きた。
「せっかくここまで来たんだ」
「ええ」
それから三人はもう一度、上空の石板から聞こえる旋律に耳を澄まして確認し、それを一緒に口ずさみながら石を踏み始めた。
しかし、やはりだめだった。
もう何度目になるかも分からない挑戦。
「きゃっ」
足をもつれさせて、キュリメが転んだ。
「ごめんなさい」
悔しそうにそう言って、すぐに立ち上がる。
「くそ、魔法じゃなくてダンスの練習をしとけばよかった」
膝に両手をついて、バイヤーが言った。
「何がいつ必要になるかなんて分からないもんだな」
「頑張りましょう」
そう励ますセラハにも、さすがに疲労の色が濃くなっていた。
肉体的な疲労もそうだが、彼女自身はうまく動けるだけに、もどかしい気持ちが精神的な疲労を募らせていた。
「あと少しなのに。ゴールは目の前なのに」
バイヤーが言った。
「せめてもう一人仲間がいれば」
腰に手を当てて肩で息をしていたセラハは、バイヤーのその言葉に、首を振る。
「バイヤー、だからここには私たち三人しか」
いないんだから、と言おうとしてセラハは、はっとした。
ダンス。
もう一人。
先ほどのバイヤーの言葉が蘇る。
「今ここにいない人のことは、言っても仕方ないね。僕らの力で何とかしないと」
今、ここにいない人には頼れない。
それなら、今ここにいる人を使えばいいじゃない。
「それよ、バイヤー!」
急に指差されて、バイヤーがぎょっとした顔をする。
「えっ、何がだい」
「さすがね、あなたはいつも本当に冴えてるわ」
「ぼ、僕が冴えてる?」
バイヤーが目を白黒させるが、セラハはもう彼を見ていなかった。
上空に目を向け、セラハは大きな声で呼びかけた。
「リラ。いるんでしょ、リラ。出てきて」
「なあに」
黄色いワンピースを翻して現れたリラは、どことなく不機嫌そうだった。
「どうしたの。もう間に合いそうにないからって、命乞いでもするの」
「何を言ってるの」
セラハは笑顔でリラを見た。
「リラ。あなたの力を貸してほしいの」
「は?」




