道
「……嘘だろ」
バイヤーが絶句した。
さすがのセラハも唖然とした顔でそれを見上げていた。
道は、途切れていた。
ここまで歩いてきた三人の目の前で突然、ぶつり、と途切れて、その先は何もない断崖絶壁だ。
途中まで黄色い靄に包まれていたので、その切れ目は本当に唐突に現れたように見えた。
だが、三人が上を見上げているのには理由がある。
どうやら正確には、道は続いているようだ。
おそらく黄のリラはそう言うだろう。
その証拠に、道の続きは宙に浮いていた。
三人の頭上。
道は、まるで巨人に引き千切られでもしたかのように、途中途中で途切れながら、それぞれがばらばらの高度で宙に浮いていた。
「ここをぴょんぴょんと跳んで向こうまで行けってことなのか」
バイヤーが呻く。
「巨人ならできるだろうさ。でも、人間のできることじゃないぞ」
彼の言う通りだった。
三人の見上げる、最初の道の切れ端が浮いているのは、遥か頭上、高さは学院の校舎の三階くらいはあるだろう。
何も無しでそんなところまで跳び上がれる人間はいない。
「でも、これならセラハの引いたカードが力を発揮するわ」
キュリメが言った。
「セラハは、いいカードを引いてくれたわ」
その言葉にセラハが頷く。
「そうね。私の引いた浮遊の術なら、二人をあの上に運んであげられる」
「そうか、確かに君の魔法さえあればなんてことないじゃないか」
バイヤーが顔を輝かせた。
「次の道、次の道と運んでもらえばいいだけだ。なんだ、楽勝だ」
「バイヤー」
キュリメがバイヤーの肩を叩く。
「セラハのことも考えてあげて」
「セラハのこと?」
バイヤーはきょとんとする。
「そりゃ、セラハだって自分の魔力でそんなことをすればすごく疲れるだろうけど、今はカードの力で浮遊の術を使い放題なんだ。そんなに心配する必要なんてないだろ」
「違うわよ、そこじゃない」
キュリメが辛そうに首を振る。
「セラハは、浮遊の術じゃ自分を持ち上げられないのよ」
「あっ」
バイヤーは目を見張り、それから自分の迂闊さを呪った。
「そうか」
浮遊の術は、言うならば見えない魔力の腕で、物を持ち上げ動かす魔法だ。魔力の精度を上げれば上げるほど、重いものも持ち上げられるし、素早くも遅くも自在に動かせる。
けれど、自分を持ち上げることはできない。それは、どんなに力の強い人間であろうとも、自分の腕で自分の身体を持ち上げることができないのと同じだ。
「それじゃあ、僕が」
と言いかけて、バイヤーは悔しそうに杖を下ろす。
「ああ、そうか。僕は鬼火の術しか使えないんだった。なんでよりによって、こんな明るいところでそんなカードを引いたんだ。せめて光の網とかもう少しましな」
そこまで言ったところで、バイヤーは不意に口をつぐんだ。
一瞬の沈黙の後、何かにとり憑かれたような顔で、猛然と自分のローブを脱ぎ始めた。
「バイヤー、どうしたの」
セラハが目を丸くする。
「ちょっと、どうしてローブなんか脱ぐのよ」
「だめよ、バイヤー。やけになっちゃ」
キュリメもそう言って、バイヤーの肩を押さえる。
「落ち着いて。考えれば、何か方法はあるわ」
「キュリメ、君は僕のことを、やけになると服を脱ぎだすような人間だと思っているのかい」
そう言いながらバイヤーはキュリメの腕を払いのけて地面に這いつくばると、そこに自分のローブを広げた。
「心外だな」
バイヤーはローブの袖や両端を結んでいく。
「ここはこうした方がいいか……よし」
バイヤーは頷いた。彼によって結ばれたローブは、まるで袋のような形になっていた。
「自分を浮かせられないなら、乗り物を作ればいいんだ」
そう言って、キュリメを見上げる。
「キュリメ。君のカード、石化の術を僕のローブにかけてくれ」
「……ああ!」
キュリメもバイヤーの意図を察して、顔を輝かせた。
「分かったわ」
石化の術は、その名前とは違い、伝説の魔物の眼光のように人を一瞬で石にしてしまうような凶悪な魔法ではない。
柔らかいものを一時的に石のように硬くする魔法だ。
地面の土などにはほとんど効果がないが、草や布には覿面の効果を発揮する。
キュリメがバイヤーのローブに杖をかざす。
ローブはたちまち硬化した。バイヤーが事前に結んでおいてくれたので、持ち手まである硬い橇のようになった。
「セラハはこれに乗って、これごと自分を浮かせればいいんだよ」
「……すごい。でも、できるかしら」
自分の乗ったものを自分で浮かせる。それは、かなりの高度な技術を要求されることだった。
だが、挑戦するしかなかった。
「ありがとう、バイヤー」
セラハはそう言うと、彼のローブに両足を乗せた。
「ああ、しっかりしてる。これなら途中で落ちそうにないわ。ありがとう、キュリメ」
セラハは二人に微笑むと、それから真剣な表情をした。
「じゃあ、これで先に行ってみるね。上に上がったら、二人を私の魔法で引き上げるから」
「うん」
「気を付けてね」
「いつも君ばっかりそんな役で、すまない」
バイヤーの言葉に、セラハは首を振る。
「さっきも言ったでしょ。これはお互いの役割分担。引いたカードもちょうどよかったわ」
まだ何か言いたそうなバイヤーに微笑んで、セラハは目を閉じた。
集中。
一瞬の後、セラハを乗せたローブがふわりと浮いた。
「ああ。自分の魔法よりも使いやすい」
目を開けたセラハは呟く。
「すごい精度だわ。これならいけそう」
ローブに乗ったセラハはそのままゆっくりと浮上していく。
地上に残った二人は祈るようにそれを見守った。
万が一落ちてきたときのために、バイヤーがセラハの下で両腕を広げる。
とはいえ、それで助かるかどうかは微妙な高度だった。
だが、二人の心配をよそにセラハは時折ふらつきながらも、ついに次の道の上にたどり着いた。
「上がれたよ!」
道の端から顔を出して嬉しそうに手を振るセラハに、バイヤーとキュリメは顔を見合わせてほっと息を吐いた。
セラハの浮遊の術で、キュリメに続いて道に上がったバイヤーは、恐々と下を覗き込んだ。
「この道、ちゃんと浮いてるのは分かってるんだけど、あんまり気持ちのいいものじゃないね」
「そうね」
セラハは頷く。
「さあ、こんなところさっさと抜けてしまいましょう」
次の道は、はるか下のほうで浮いていた。
さらにその次の道は、今いる道よりもやや低い位置に浮いている。
「次の道には下りないで、その次の、高さの近い道まで一気に行った方がいいんじゃないかしら」
キュリメが言った。
「あんな下までいちいち下りてからまた上がるのは、かえって危険な気がするわ」
「でも、ひとつ道を飛ばすと、次の道までは距離が結構あるよ」
バイヤーが意見する。
「あそこまで僕らを運べるかい、セラハ」
「確かに、遠いわね」
セラハは足元の小石を拾い上げる。
「ちょっとこれで試してみるわ。いつもの私ならきっと無理だけど、今は行けそうな気がする」
ふわりと浮いた小石が、まっすぐに一本先の道に届いたのを見て、セラハは頷いた。
「やってみるわ」
そんな風にして、三人は進んでいった。
魔力は消費しないとはいえ、自分を含めた三人の命を一手に握っているのはセラハだ。
自分のコントロールを一つ誤れば、自分か仲間が命を落とす。その緊張感の中で、道を進むにつれ、セラハの疲労の色は濃くなっていった。
「僕は自分が情けないよ、これを言うのはもう今日何回目か分からないけれどね」
次の道を眺めながら、バイヤーは言った。
「次はずいぶん離れたところにある。あそこまでまた君に運んでもらうのかと思うと」
「いいのよ、バイヤー。ローブを提供してくれただけでも、すごく助かってるわ」
セラハが気丈に微笑む。
道にしゃがみこんでセラハが休憩している間に、キュリメが彼女の乗るローブに石化の術をかけ直していた。
バイヤーは一人、手持ち無沙汰に立ち尽くしている。
二人に背を向け、鬼火の術を一つ、出してみる。
なるほど、自分の作ったものよりも遥かに精緻な火の玉がふわりと飛び出した。
それを制御するのには気を遣うが、魔力を消耗している感じは全くない。誰か、自分よりも遥かに優秀な他人の魔法を、操作だけさせてもらっている感じ。
「……変な感じだな。やっぱり僕は好かない」
そう呟いた時、セラハとキュリメの悲鳴が上がった。




