発見
暗がりから姿を現したウェンディは、小さく首を傾げてレイラを見た。
「変ね」
ウェンディは言った。
「どうして分かったのかしら」
レイラの杖の明かりに照らされた、その口元が嫌らしく歪んだ。
本当の彼女であれば、決して見せるはずのない表情。
唇の間から、鋭い犬歯が覗いた。
「あなた、私のことは全然疑っていなかったのに」
「そうね」
レイラは認めた。
「でもそれはあなたの功績じゃなくて、本当のウェンディの功績ね。彼女は本当にいい子だから」
「教えて」
ウェンディの姿をしたものが、妖艶に微笑んだ。
「私だと見抜いた理由を」
「最初に違和感を持ったのは」
レイラはウェンディの手を指差した。
「その、手よ」
「手?」
「ええ。教室であなたのその、大貴族のご令嬢らしいきれいな手を見た時だわ」
レイラは言った。
「どこか引っかかっていたの。でも、今なら分かる」
レイラは本当の過去の、その時の光景を思い出す。頭の中の靄はすでに晴れ、はっきりと思い浮かんだ。
一年生のウェンディの、小さな傷だらけの指が。
「一年生のときのウェンディはね。真夜中にこっそりこのソファで裁縫の練習をしていたのよ」
同じ部屋の子に、迷惑がかかるから。
そう言って恥ずかしそうに微笑んだウェンディの顔を、レイラは思い出す。
寮の中で一人静かに魔法の訓練をできる場所を探して、深夜こっそりと廊下を歩いていた時だった。
そのソファに座っていたのは、同じクラスの大貴族の令嬢で、生活全般にわたって何もできない少女だった。
レイラはその少女のことを内心で見下していた。
ウェンディは勉強や魔法には高い才能を示していたが、生活に関する常識に欠けていた。寮では何でも自分でやらなければならないのだが、彼女は失敗ばかりしていた。
調子が狂う。ああいう子がいると、迷惑だわ。
そう思っていた。
だからその時も、まず、邪魔だな、という気持ちが先に立った。
何してるの、というレイラの冷たい声に、ウェンディは顔を上げた。
「ああ、レイラ」
ウェンディは、はにかんだように微笑んだ。
「縫い物の練習を」
その言葉に、レイラは彼女の手元を見た。
布切れが不格好に縫い付けられている。暗がりでそんなことをやっているせいか、ウェンディの指には小さな傷がたくさんできていた。
「縫い物なんて、わざわざこんな時間に練習するものじゃないわ」
レイラはそう言った。魔法の練習ならともかく、睡眠時間を削って裁縫の練習なんて。
大貴族のご令嬢の考えることは、理解できない。
けれどウェンディは、首を振った。そして、はっきりと答えたのだ。
「私、この学院で学べることは全部、学ぶの」
全部?と尋ねたレイラに、ウェンディは頷いた。ええ、全部。
「裁縫も洗濯も、全部この学院で学ぶことでしょ? それなら魔術師になるのに必要だってことだもの」
そう言って布に針を通すウェンディの傷だらけの手。
全部、と言ったときのウェンディの強い目に、レイラは自分と通じるものを感じた。
彼女にも、秘めた強さがある。
そう思った。
それが、レイラがウェンディを認めたきっかけだった。
「あなたの、そのすべすべの手」
レイラは目の前のウェンディの、大貴族の令嬢らしい、傷一つないきれいな手を見た。
「本当の一年生のウェンディは、そんなにきれいな手をしていない。もっと、努力の結晶のような手をしているのよ」
ウェンディの手の記憶は、このソファとひと繋がりだった。
だからこそ、ウーベはそれを悟られぬようここに罠を張り、レイラに忌避させようとしたのだろう。
「あーあ。やっぱりそこだったのね」
ウェンディがぺろりと舌を出した。
「この子、とてもきれいだけど、そこだけが嫌だったのよ。なんでこんなに手が傷だらけなのって。私が姿を変えるからには、こんな見栄えの悪い手のままじゃだめだわって」
そう言った後で、ウェンディは探るようにレイラを見た。
「でも、そんな些細なことだけで気付けるとは思えない。私、あなたの記憶の一部に鍵をかけていたんだから。この世界の登場人物が余計なことを言っても、あなたには決して思い出せないように」
そうだ。確かに、それだけではレイラは気付けなかった。
「空気が震えたのよ」
レイラは言った。
「そうしたら、頭の中がすっきりとしたわ。あなたは気付いていなかったけれど」
「空気が震えた……?」
ウェンディは眉をひそめて少し考え、それから思い当たったように舌打ちした。
「あの子。リルティ。魂は奪ったはずなのに」
「声は聞こえなかった」
レイラは言った。
「でもあれは、紛れもなくリルティの歌だった。私に寄り添い、導いてくれた」
一人ではなかった。
レイラは思った。
あの支えてくれるような空気の震えがなければ、父の幻影にやられていた。誰がウーベなのかも気付けなかった。
リルティの魂が、きっとそこにいてくれたのだ。
目には見えないけれど。いや、目には見えないからこそ。
魔術師は、それを信じる。
「さあ、見付けたわよ」
レイラは目の前のウェンディを指差した。
「あなたが」
「早まらない方がいいわよ、レイラ」
ウェンディはレイラの言葉を遮り、醜く笑った。
「間違えたら、もう後がないわよ」
レイラが何か答えるよりも早く、暗がりから同じ姿をした少女たちが現れた。
全て、ウェンディだった。
その数、十人。
「本物の私は、この中の一人」
目の前のウェンディがそう言って、楽しそうにレイラの顔を見た。
「間違えずに、当てられるかしら」
その言葉に、ウェンディたちが一斉にくすくすと笑う。
「あーあ。残念だわ」
最初のウェンディも、彼女たちと一緒にくすくすと笑いながら、そう言った。
「間違え続けて、最後に一番信頼しているはずのウェンディが私だって気付いた時のあなたの魂、きっとすごくおいしくなったでしょうに。あなたはあの子に嫉妬心を抱いている。心の奥底に、彼女への嫉妬心を隠している。それが何かまでは分からなかったけれど」
そこまで言ったところで、最初のウェンディはレイラが冷たい表情のままで自分を見ているのに気付き、不愉快そうに睨んだ。
「どうしたの」
ウェンディは低い声で言った。
「どうしてそんなに平然としているの」
「大事な友人の姿で、そんな醜い顔をすることに、私もだんだんと耐えられなくなってきているわ」
レイラは言った。
「だから、けりを付けましょう。……アルマーク」
「アルマーク」
ウェンディは眉をひそめる。
「ああ、あのおかしな子ね」
吐き捨てるように、そう言った。
「あなたの脳裏にこびりついて、どうしても離れなかったのよ。一年生の世界にいてはいけないはずの子なのに。仕方ないから、あなたのイメージを使って狼にしてあげたわ。可愛かったでしょ?」
そう言って、妖艶に微笑む。
「それがどうかしたの?」
「アルマークは賢い高貴な獣だって、アインが言っていたわ」
レイラは言った。
「彼は、私に吠えていたわけじゃなかった」
レイラは、アルマークに自分が吠えかけられたのだと思い込んでいた。けれど、本当は。
「後から来たあなたに吠えていたのね。アルマークは」
そう。すぐ後から現れたウェンディの姿にアルマークは怒りを示していたのだ。
ウェンディはレイラのすぐ後ろにいたから、まるでレイラに襲い掛かってきているように見えた。
「あの子、私の作った世界なのに私に全然懐かなかったのよ」
ウェンディが肩をすくめる。
「でも、それがどうかして?」
「だから、頼むのよ」
レイラは息を吸い、それからこの世界で自分が最も信頼できる名を呼んだ。
「アルマーク、お願い」
「え?」
ウェンディが目を見張る。
それと同時に、一陣の風のように白い獣が躍り込んできた。
牙を剥き出しにして怒りを露わにした、白狼アルマーク。
「どうして」
ウーベが初めて狼狽した。
「どうしてここにいるのよ」
「アインに、鎖を外すよう頼んでおいたのよ。どうせあなたのことだから、何か汚い手を使うだろうと思って」
レイラは言った。
「アルマークなら、きっとあなたを見抜ける」
レイラは右手を大きく振った。
「アルマーク、私の敵を教えて」
その言葉と同時に、廊下に冷たい風が吹き抜けた。
まるで、氷そのもののような風。
遥か遠く、北の大地から吹き付けるかのような。
狼が跳躍した。
迷うことなく、右から四番目のウェンディの喉笛に食いつく。
「こ、この」
食いつかれたウェンディが苦しそうに身をよじる。
「見付けたわ」
レイラは叫んだ。
「あなたが紫の魔女ウーベよ」
レイラがそう言うと同時に、他のウェンディが全て崩れ落ち、紫の花に変わる。後にはアルマークに噛み付かれたウェンディだけが残った。
「ぐうっ」
まるで肉ごと引き剥がすようにしてずるりとアルマークの牙から逃れたそれには、もはやウェンディの面影は欠片もなかった。
紫のローブをまとい、紫の髪をした魔女、ウーベ。
アルマークがさらに飛びかかろうとするのを、レイラが手で制した。
アルマークは彼女の指示に大人しく従い、それでもウーベに向かって牙を剥き出す。
「よくもやってくれたわね」
怒りの表情でレイラを睨むウーベ。
その視線を、レイラは悠然と受け止める。
「ウーベ、私ね。かくれんぼってやったことがないから」
そう言いながら、レイラはウーベに近付いた。
「本当にルールが分からないのよ」
その言葉に、ウーベが戸惑った表情を見せる。
「な、何を言っているの」
「見付けたら、名前を呼ぶだけでよかったのかしら。それとも、鬼ごっこみたいに相手の身体に触れる必要があるのかしら」
そう言いながら、レイラは杖を振り上げた。
その目に、冷たい怒りが宿っていた。
「まあいいわ。これは私のルールね。違っていたら、ごめんなさい」
「ちょ、ちょっと待って」
ウーベが叫んだが、レイラは聞かなかった。
レイラの腕が一閃し、杖が思い切りウーベの顔面にめりこむと、周囲の世界がガラス細工のように砕け散った。




