気付き
レイラは、その日の放課後、手掛かりを探しながら寮や庭園を行ったり来たりした。
自分の中で一瞬だけ、きらりと光った答えの欠片。
それをはっきりとさせるために、目に入るあらゆるものを自分の記憶と照らし合わせた。
何かおかしなものはないか。実際の景色と違うところは。
だが、自分が魔法の訓練に使っていた庭園の奥の茂みくらいならともかく、他の場所が実際にはどうであったかなど、レイラの中では曖昧だった。
それは、レイラがそれだけまっすぐに、脇目も振らずに自分の目標に向かって打ち込んできたということの証でもあった。
夕闇が迫りかけた頃、レイラは寮の三階のソファの前にいた。
夜とは違い、夕日に照らされた古びたソファには、特に何かの秘密が隠されているようにはとても見えなかった。
だが、ウーベはわざわざここに誘い込んだ。
そして、父の幻影まで使って私をここから引き離そうとしたのだ。
ここには、何かがある。
結局、レイラの思考はそこに戻ってきた。
「どうしたんだい」
不意に背後から声を掛けられて、レイラは慌てて振り返った。
いつもよりも長いローブが足元でもつれる。
一年生の自分よりもさらに低いところに顔があった。
腰の曲がった老婆。
管理人のマイアだった。
「珍しいね、昼間からあんたがこんなところにいるなんて」
マイアはそう言ってじろりとレイラの顔を見た。
「どういう風の吹きまわしだい。普段は日が暮れるまで帰ってこないっていうのにさ」
「ちょっと、用事が」
レイラは答えた。
「それで、今日は早めに帰ってきました」
「まあ、いいけどね。寮はあんたの帰ってくる場所だ。いちゃいけない、なんてことはない」
マイアは小刻みに頷く。
「だけど、夜中にごそごそと動き回るのは、感心しないよ。え?」
そう言って、またぎょろりと目を剥く。
「消灯時間を知らないわけじゃないだろ?」
「すみません」
レイラは小さく頭を下げる。
「魔法の訓練をしているもので」
「魔法の訓練なんて、長くやりゃいいってもんじゃないんだ」
マイアは鼻を鳴らした。
「この間、そんな話をしなかったっけかね」
その言葉に、レイラは自分の記憶をたどる。
一年生の時、夜に抜け出して訓練していたことがはっきりとマイアにバレて、帰ってきたところを待ち構えられていたのは、この時期よりももっと後のことだった。
その前に、確かに何度か警告めいた注意を受けたことがあった。
マイアはそのどれかのことを言っているのだろう。
「はい。ですから、気を付けています」
レイラがそう言うと、マイアはまだ納得していない様子で、返事もせずにソファに近付くと、皺だらけの手で背もたれを叩いた。
廊下に差し込む光の中に、埃が舞い上がる。
「ほら、ごらん」
マイアは言った。
「本当は座れたもんじゃないんだ、こんなソファは。あんたたちは平気で座るけどね」
あんたたち。
その言葉が、少し引っかかった。
「無理に取り繕った力なんて、このソファみたいなもんさ」
マイアは続けた。
「表向きはきれいに見えても、中は埃だらけのぼろぼろだ」
そう言って、またじろりとレイラを見る。
「そんなこと言ったって、やめやしないんだろうけどね」
レイラは答えなかった。
はい、やめません、などとこの場では言えないだろう。
だが嘘をつくことは嫌いだった。
答えは、沈黙しかなかった。
ふん、とマイアはまた鼻を鳴らす。
「このソファは真夜中の訓練用に置いてあるわけじゃないんだからね。今年はやけに必死な一年生が二人もこんなところで」
二人。
レイラはその言葉に目を見開いた。
「マイアさん、二人って」
「ああ?」
面倒そうにマイアが振り向く。マイアはもうその場を離れようとしていた。
「私のほかにも、いるんですか。そういう子が」
だが、マイアは小さく首を振って歩き出してしまった。
「知らないよ、あたしは」
マイアはひょこひょこと歩き去っていく。
「誰かそんな子がいるんじゃないかって話さ」
そう言い残し、マイアの姿は角を曲がって見えなくなった。
残されたレイラは、マイアの言葉を反芻する。
誰か、そんな子が。
誰か。
私だけじゃなくて。
もう少しで思い出せそうなのに、肝心なところで頭に靄がかかったようになって、先へ進めない。
そのときだった。
また空気が震えた。
レイラを励ますような振動。
その瞬間、頭の中に、明確なイメージが浮かんだ。
真夜中の廊下。
ソファに座る人影。
私は、そのときそこで。
ああ。
レイラの頭に、その生徒の顔がはっきりと浮かんだ。
そうか。そうだったのか。
ここで今まで気になっていたことが、全部繋がった気がした。
ああ、あれも。あれもそういうことだったのか。
レイラは走り出した。
その生徒を探して、寮の部屋を訪ねた。不在と分かると寮の大扉の前で待ち構えた。
だが、その生徒は帰ってこなかった。
夕食で生徒たちが集まる食堂にレイラは最後まで残ったが、その生徒の姿はなかった。
他の生徒に尋ねてみても、さあ、と首を捻るばかりだった。
汚い。
内心、レイラは歯噛みした。
かくれんぼなのだから、その生徒を見付けなければならない。だから、姿を消しているのだ。
卑怯よ、ウーベ。
だが、レイラには策があった。
この奇妙な世界で、おそらく最も信頼できるのであろう名前を思い出したのだ。
彼に、頼る。
レイラの訪問を受けたアインは、彼女の頼みに目を丸くした。
「その程度のことは、お安い御用だが」
アインは声を潜めた。
「それだけでいいのか。もっと他に、僕にもできることは」
「いいのよ、大丈夫。ありがとう」
レイラは微笑んだ。
「残念だけど、魔法も使えない一年生のあなたじゃきっと足手まといになるから」
その言葉に、アインは一瞬目を見張り、それから苦笑した。
「ものすごく厳しいことを言われているのに、君の笑顔を見るとなぜか嬉しくなる。本当にその笑顔は魔法だな」
「そうなのかしら。自分ではよく分からないけど」
レイラは首を傾げた。
「じゃあアイン。お願いね」
「ああ。任せておけ」
アインは力強く頷いた。
深夜。
再び部屋をそっと抜け出したレイラは、あのソファの前に来ていた。
静まり返った廊下に、レイラの静かな呼吸の音だけがする。
「いるんでしょう、そこに」
ソファの前に立ったまま、レイラは言った。
「分かっているわ。出てきなさい」
だが、何の反応もなかった。
レイラの声だけが、虚しく闇に消えていった。
それでもレイラは怯まなかった。
「そう。名前を呼ばれなければ、出てくるつもりはないのね。本当に舐められたものだわ」
レイラの目が冷たい光を帯びた。
手に持つ杖の先が、ぼうっと淡い光を放つ。
「ウェンディ」
レイラは言った。
「そこにいるんでしょ」
微かな笑い声がした。
レイラの呼びかけに応えるかのように、暗がりからウェンディが姿を現した。
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