アインとの相談
「リルティが、いない……?」
レイラは呆然と呟いた。
アインの困惑した表情。
これは、嘘ではない。
その顔を見て、そう確信する。
リルティのいない学院。
ジャクレンノヒトヒラが普通に咲いている時点で、ここは本当の過去ではないと確信していたレイラだったが、リルティがいないことの意味は分からなかった。
ウーベは、リルティをどこへ連れ去ってしまったのか。
その狙いは何なのか。
「大丈夫か」
気が付くと、アインがゆっくりと歩み寄ってくるところだった。
「妙なことを言っているが、ふざけているわけではなさそうだ」
そう言って、アインはレイラの顔を覗き込んだ。
今よりもずいぶんと幼い顔立ちで、背もレイラよりずっと低い。
そういえば、3組のクラス委員はずいぶんと小さい、と一年生当時、噂になっていた。
本当は一歳年下なんだけど、あまりに出来がいいから、学院側が繰り上げて入学させたんじゃないか。
そんな噂がまことしやかに流れるほど、アインは小柄だった。
三年生の今では、それでもレイラより低いものの他の生徒と遜色のない体格になっている。三年近くの間に、彼の背はぐっと伸びたのだ。
だから成長前の一年生のアインは、レイラを下から覗き込むような形になった。
「レイラ・クーガン。何か問題が起きているんだな」
そしてその聡明さは、三年近く前の彼においても変わらなかった。
「僕らの力になれそうなことか」
彼に頼ってみようか。
レイラはちらりとそう考えて、それから興味津々でレイラを見ている3組の生徒たちを見た。
まだはっきりと状況が掴めない。
ここで、大勢の前で話すことは得策ではないかもしれない。
「話したいことがあるの」
レイラはアインに囁いた。
「できれば、あまりほかの人には聞かれたくない」
アインは驚いたように目を見開いたが、それを声には出さなかった。
「ふむ」
代わりに彼は、小さく頷いた。
「それでは放課後に」
アインは校舎の2階の空き教室の名を挙げた。
「そこで話を聞こう」
「分かったわ」
レイラは頷く。
本当は今すぐにでも話をしたかったが、授業の再開時間が迫っていた。優等生のアインには、授業をさぼるという選択肢はないだろう。
「ありがとう、アイン」
そう言うと、レイラは身を翻した。
ちょうどそのとき、授業開始を告げる鐘が鳴った。
次の授業、一応レイラはウェンディの隣の席で授業を静かに聞いたが、やはりウーベの仕掛けのようなものは感じられなかった。
これは、おとなしく授業なんか受けていても仕方ないわ。
そう思ったレイラは、授業が終わるとすぐにウェンディにそっと囁いた。
「ウェンディ。私、ちょっと医務室に行ってくるわ」
「え?」
ウェンディの大きな目が心配そうに瞬く。
「どこか具合悪いの?」
「ええ、ちょっとね。だから次の授業は休むわ」
次はまたヴィルマリー女史の授業だ。無断で欠席したら、大騒ぎになるだろう。
それによって余計な束縛を受けることは避けたかった。
「先生にはそう言っておいてもらえるかしら」
「うん、分かった」
ウェンディが神妙な顔で頷く。
「レイラ。何かあったら言ってね。私じゃ何の役にも立たないかもしれないけど」
「ありがとう」
微笑んでそう言うと、ウェンディが嬉しそうに頬を染めた。
レイラはヴィルマリーと鉢合わせしないように教室を出た。
念のため、廊下の隅に隠れ、姿消しの術を使って自分の身体を見えなくする。それから始業の鐘が鳴るのを待った。
授業が再開して廊下から人の姿が消えると、レイラは校舎をくまなく歩きまわった。
いくら姿を隠していても、教師たちにはたちどころに見破られてしまうだろう。だから、行動は慎重に、教師たちのいないことを確認して歩く。
何か、現実と違うこと。
校庭のジャクレンノヒトヒラがそうであったように、現実や実際の過去と違うことがあれば、きっとそれは大きな手掛かりになるはずだ。
今のところ、校庭の花以外で違うことといえば、リルティがいないことだけだ。
だが、時間を費やして校舎を探索したものの、レイラには実際の過去と違うことは発見できなかった。
そもそもが自分の魔術以外に興味の薄いレイラだ。校舎内の些細な違いなど、仮にあったところで見つけることはできなかった。
リルティがいれば、違ったかもしれない。
そう考えて、レイラは自分が見ていたはずの、だが見えていなかったものを悔やんだ。そして、頭を切り替えた。
「リルティといったな。さっき、君は」
「ええ」
レイラは頷く。
放課後の空き教室。
アインは約束通り一人でやって来た。
彼に、どこまでどうやって説明すればいいのか。
レイラは素早く頭を回転させる。
「やはり、知らないな」
アインは腕を組んだ。
「念のため、上の学年も確かめてみたが、そんな名前の生徒はいないそうだ」
「そう」
早くもそこまで動いてくれたことに驚きつつ、レイラは頷く。
「ありがとう」
「どうして君は、そのリルティという女子を探しているんだ」
「人を探しているのよ」
レイラは言った。
「リルティを探すことは、その前段階なの。本当に探しているのは、紫の魔女ウーベ」
「紫の魔女?」
アインはやはり難しい顔をした。
「それも聞いたことのない名前だな」
「九つの兄弟石の腕輪の、紫の宝玉を司る魔女よ」
「君の言っていることは、残念ながら僕には分からない」
アインは首を振る。
「大層な魔法具のような名前だな。九つの兄弟石の腕輪に紫の魔女だって?」
そう言って、顎に手を当てる。
「おそらく、色を冠された魔女など歴史上には枚挙に暇がないだろうが」
その幼い容姿と大人びた仕草が妙にアンバランスだった。
レイラは、一年生の時のアインと会話をした記憶はない。彼女は、限られた生徒とごく事務的な会話をする以外には、ほとんど雑談というものをしない生徒だったから。
ウェンディとは比較的仲が良かった。
それも、レイラにしてみれば、比較的、というだけだ。
ウェンディには他にたくさんの友人がいたし、レイラもウェンディとのそれ以上の交流を求めてはいなかった。
ただ、彼女の努力と才能を認めていた、というだけのことだ。
レイラの学院生活は基本的にずっと孤独、孤高だったのだ。
そう。彼が来るまでは。
その少年の姿を思い出した時、レイラは胸に小さな疼きを感じた。
冷たい北の風をまとった異邦人。
穏やかな笑顔の裏に、何もかもを切り裂く鋭さを隠し持った少年。
「アルマーク」
思わず口からぽろりとその名前がこぼれた。
「アルマーク?」
考え込んでいたアインが、片眉を上げてレイラを見た。
「ああ、ごめんなさい」
レイラは小さく手を振る。
「違うの。それは関係のない名前」
アルマークが来たのは、三年生になってからだ。一年生の過去を擬したこの世界には、存在しているわけがない。
「アルマークが何か関係しているのか?」
それなのに、アインはそう尋ねてきた。
「え?」
戸惑って、レイラは彼の顔を見返した。
その訊き方は、明らかにその名前を知っている人のそれだった。
「……いるの?」
彼女にしてはひどくおそるおそる、そう尋ねる。
「いるの? アルマークが、この学院に」
「ああ、いるさ」
アインの答えは明快だった。
「彼は賢いからな、みんなの人気者だ」
そう答えた後で、アインはやはり不思議そうにレイラを見た。
「それも分からないのか。記憶が混乱しているのか」
「あなたたちにとってはそれが常識なのでしょうけど」
レイラは答える。
「今の私にとっては、未知の事柄なの。教えて、アイン」
そう言って、強い目でアインを見た。
「何も知らない人に一から教えるように、私に教えて」
アインは戸惑ったようにレイラの顔をじっと見つめた後で、小さく首を振った。
「君は、僕の知っているレイラ・クーガンではない」
アインはそう呟いた。
「直接話したことがなくたって、そいつがどういう人間か、大体のことは分かるつもりでいた。だが、今の君は僕の想像していた君とは全く違う。そのことをまず謝罪しておこう」
「きっとあなたの想像は正しいわ。昨日までの私だったらね」
レイラは言った。
「でも、そんなことはどうでもいいのよ。私には、時間が設定されている」
その言葉に、アインの表情が険しくなる。
「時間? 何の」
「私は紫の魔女ウーベを見付けなければいけない。校庭のジャクレンノヒトヒラが全て枯れてしまう前に」
レイラは言った。
「私の仲間のリルティがどこかにいると思うの。あの子を見つけ出さないと。それから、アルマークがいるというのなら、きっとそこにも何か意味がある」
レイラの言葉を、アインは黙って聞いている。
「アルマークはいるのね?」
レイラは言った。
「何組にいるの?」
今日まわった三つのクラスの教室で、彼の姿は見なかった。もしかして。
「1年生じゃないの? 2年生とか、3年生にいるの?」
だが、アインは静かに首を振った。何とも言えない表情をしていた。
「寮だ」
アインは言った。
「君の知るアルマークが誰なのかは知らないが、僕らの知っているアルマークは寮にいる」
「寮?」
レイラは聞き返す。
「学院の生徒じゃないの?」
「ああ」
アインは頷く。
「人でもない」
「え?」
レイラは目を見開いた。
アインは彼女のそんな様子を窺いながら、ゆっくりと答える。
「アルマークというのは、管理人のマイアさんが飼っている、白い毛並みの狼の名前だ」




