捜索
「どうしたの、レイラ」
不思議そうな顔をしたウェンディの声に、レイラは我に返った。
「あの花」
そう言って、レイラは眼下の紫の花を指差す。
「いつからあそこに生えているのかしら」
「いつからって」
ウェンディは困ったように首を傾げる。
「この季節には、どこにでもジャクレンノヒトヒラは咲くものなんじゃないかしら」
「え?」
「私もノルク島に来るのは初めてだから、ここで毎年咲くのかどうかは分からないけど」
「ちょっと待って。ウェンディ」
レイラの厳しい表情に、ウェンディは目を瞬かせる。
「う、うん。なあに」
「ジャクレンノヒトヒラの花、あなたも見たことがあるの」
「あるよ」
ウェンディは頷く。
「ガルエントルにも咲くし、もっと北の私のおうちの方でも。ああ、そうか」
ウェンディはようやく合点のいった顔をした。
「あなたの国は中原にあるから、ジャクレンノヒトヒラは珍しいのね。ちょっと色が濃くて、ああやってひとかたまりになって咲くから、びっくりするかもしれないけど、南だとどこにでも咲いている花なんだよ」
南だとどこにでも咲いている、ですって?
レイラは瞬時に頭を巡らせた。
そんなはずはない。
レイラはそのことをよく知っている。
現に、紫のウーベも自分で言っていたではないか。
あなたたちのご先祖様たちが子孫のことを考えずに採り尽くしてしまった、と。
だが、紫の花を見つめるウェンディの澄んだ目に、嘘をついたりからかったりしている様子はなかった。
そうね。ウェンディはそんな子じゃない。
レイラはもう一度、ジャクレンノヒトヒラの紫色に目を戻した。
やはり、過去に戻されたわけではないのだ。
そう確信する。
どういう理屈かは分からないけれど、ここはウーベの作り出した世界なんだわ。
これは私の過去とよく似た、けれど偽物の過去。
この偽りの世界のどこかに、ウーベが潜んでいる。
「分かったわ。ありがとう、ウェンディ」
レイラはそう言うと、窓から離れた。
「探してくるの? その……ええと、リル…」
「ええ、リルティを」
ウェンディの声に答え、レイラは教室を飛び出す。
2組か、3組か。
まずはそのどちらかにいるであろう、リルティを探す必要がある。おそらくは彼女の方でも私を探しているだろう。
レイラはまず、すぐ隣の2組の教室を覗く。
ドアを開けて顔を出すと、教室にいた生徒たちが、一斉にレイラの方を見た。皆、今よりも顔立ちが幼い。
「誰?」
「可愛いな」
「レイラだ」
隣のクラスの美少女が突然顔を出したことで、男子生徒たちがざわめいた。
だが、レイラは男には用はない。
男子生徒たちの好奇の視線に構わず、レイラは教室にいる女子の顔を見まわした。
エメリア。セラハやキュリメ。
数人の女生徒の中に、リルティはいなかった。
2組じゃないのね。
そう考えて身を翻そうとしたときだった。
「何か用か、レイラ・クーガン」
やけに大人びた声に呼び止められる。レイラは声の主を見た。
ああ、そういえば2組のクラス委員は彼だったわね。
艶やかな金髪の少年が、椅子に座ったままで彼女を見ていた。
「何でもないわ、ウォリス」
レイラは答えた。
「用があるのは、このクラスじゃなかったみたい」
「そうか」
ウォリスはそっけなく頷くと、机の上の本に目を落とした。
「君のような美人が来ると、クラスがざわつく。何かに期待する男子生徒も多いのでね」
臆面もなく気障なことを言うウォリスのことを、入学したての頃のレイラは軽く見ていた。
確かに子供離れした美貌の持ち主ではあったが、そういう人間に限って、中身が薄いことが多いということを、子供ながらにレイラは知っていた。
だからこのウォリスという少年も、周囲からちやほやされることに慣れて、何かに必死になるということができない類いの人間だろう、と思っていた。
だが実際にはウォリスはこの後の試験から今までずっと、学年一位の座を保持し続けている。彼は容姿だけの少年ではなかった。
「用があったら、あなたに相談に来るわ」
レイラがそう言うと、ウォリスはまた本から顔を上げて、意外そうな表情をした。
「僕に?」
ウォリスは眉を上げる。
「レイラ・クーガン。君がそんなことを言うタイプだとは思わなかったな」
「レイラでいいわ」
そう言うと、レイラは今度こそ身を翻した。
学年きっての美貌を持つ二人の妙に意味深な会話に、背後の教室ではざわめきが広がっていた。だが、ウォリスであればきっとさらりと受け流すことだろう。レイラはさっさとドアを閉めた。
確かに一年生の時のレイラなら、こんなことは決して言わなかった。もしもさっきのウォリスのようなことを言われたら、冷たく睨みつけてそれでおしまいだった。
だが、この一年生の身体の私を動かしているのは、あの頃の私ではない。
自分一人では手に負えないこともあると知っているし、そういう時に誰が頼りになるのかは、はっきりと分かっている。
2組の教室を出たレイラは、続いて隣の3組の教室のドアを開けた。
こちらでも、男子生徒の反応は同じようなものだった。
「うわ、レイラだ」
「可愛い」
「俺に用かな」
「いや、俺だろ」
本当に男子はばかね。
そんなざわめきが聞こえてくるのを無視して、レイラは女子生徒の顔を見た。
ロズフィリア。ノリシュやカラー。
3組の女子の中にも、リルティの姿はなかった。
「誰を探しているんだ、レイラ・クーガン」
やはりこちらのクラスでも、声を掛けられた。
細面の聡明そうな少年。
抜け目ないクラス委員、アイン・ティムガバン。
「見たところ、女子に用があるようだが」
だから、そんなことまでもう見抜いている。
「ええ、リルティに用があったのだけど」
「リルティ?」
アインは眉をひそめた。
「誰だ、それは」
「え?」
レイラも思わず彼を見返す。
「リルティはリルティよ。華奢な、声の小さな女の子」
そう言って、レイラは今よりも髪の毛の長いノリシュの方を見た。
「ノリシュのルームメイトの」
「えっ、私?」
話したこともない貴族の少女に突然名指しされて、ノリシュは驚いたように立ち上がった。
その拍子に、椅子が倒れてがたん、と大きな音を立てる。
「ノリシュ」
アインは不思議そうな顔のまま、ノリシュを見た。
「君のルームメイトは、確か」
「アリアよ」
ノリシュは困ったような顔で答える。
「リルティなんていう子は、私は知らないわ。ごめんなさい」
……ノリシュが、リルティを知らない?
レイラはノリシュの顔を呆然と見つめながら、考えた。
どういうこと?
「レイラ・クーガン。僕はこの学院の同級生の名前は全員覚えているが」
アインがこの少年にしては珍しく、少し困惑したように言った。
「リルティという女子生徒はこの学年には存在しないな」




