二人
深い森を、二人の少女が行く。
日の光は、すでに生い茂る木々に遮られて久しい。
夜、というほどの闇ではないが、物の輪郭を曖昧にぼやけさせる程度には暗い。
その中を続く道は、細く曲がりくねっていた。
短い間隔で上り下りを繰り返し、せり出した茂みに隠されて途切れかけ、ろくに先も見通せないままの道は、二人をどこに運ぼうとしているのか判然としなかった。
だが、歩く二人の間には、会話はない。
すらりとした少女が掲げる杖からは、黄色い光が発されている。二人はそれを頼りに、黙々と歩き続ける。
先頭を歩く美しい少女は、杖の光を絶やすことなく、きびきびと歩を進めるが、厳しい表情を崩さない。
対照的に、その後ろを歩く華奢で小柄な少女は、顔を口元までローブに埋もれさせるようにして、不安そうに周囲に目を配っていた。
もうどれくらい歩いただろうか。日の光の差し込まない森の中では、物の輪郭だけでなく、時間の感覚までも曖昧になってくる。
だが、不意に杖から発されていた光が、数度瞬いた。
「リルティ」
先頭を歩く少女が、振り向きもせずに言った。
「もうすぐだわ」
自分の持つ杖の先端から目を離さず、少女は言う。
「この先から、強い魔力を感じる」
「う、うん」
リルティは頷いて顔を上げ、前を歩く少女、レイラの背中を見た。
「紫の石の魔術師だね」
リルティは、辺りを憚るような小声で言った。
「どんな相手なんだろう」
「分からないわ」
レイラの返答はそっけない。
「そんなものが使われると前もって分かっていれば、調べようもあったのかもしれないけれど。でも、九つの兄弟石の腕輪なんていう魔法具、私は聞いたこともなかった」
そう言って、悔しそうに唇を噛む。
「自分がまだまだ何も知らない未熟な子供なんだっていうことを、思い知らされるわ」
「そんな」
レイラの後ろで、リルティは首を振る。
「レイラは魔法も知識も、初等部の生徒のレベルじゃないってみんな言ってるわ。中等部の魔法だってほとんど使えるって」
「同じ初等部の子たちの評価なんて、何の意味もないのよ」
レイラは険しい表情を崩さない。
「こういういざという時に力を発揮できないのであれば、ため込んだ知識も鍛えた魔法も、何の意味もないのよ。だって」
そう言いながら、レイラは思い起こす。
ルルの泉の洞穴。
現れた、巨大な魔影との戦い。
自分を庇って命を落としかけた、アルマーク。
腕の中で今にも死のうとしているクラスメイトを、なすすべもなく見つめているしかないという無力感。
「死んでしまったら、もうそこで全て終わりなんだから」
レイラは言った。
あの日、アルマークは生還した。
どうしようもなくなったレイラは、治癒術の可能性に賭けた。
なすすべもなく見ているだけならば、せめて何かをしたい。ただそれだけだった。
アルマークの頬に赤みが差した時には、心底ほっとした。
アルマークは自分の生還を、レイラの治癒術のおかげだと言ってくれたが、レイラには分かっている。
私の治癒術なんて、本当の最後の最後、岸に着いた船から下りるときに踏み出す一歩のようなものに過ぎなかった。
アルマークの命を救ったのは、アルマーク自身の魂の強さだ。
私はそれに助けられて、今でも学院にいる。
あんな惨めな過ちは、もう二度と繰り返しはしない。
レイラは、あの日以来そう心に決めていた。
「本当はあれもこれもできたのに、なんてそんな言葉、死んでしまってからじゃ言うことすらできないのよ」
レイラは明滅する光を見つめ、自分に言い聞かせるように言った。
「全力を尽くせるのは、生きているうちだけだわ」
「生きているうちだけ」
レイラの言葉を繰り返したリルティの声は上擦り、震えた。
背後でリルティが黙り込んだのを感じ、レイラは小さく首を振る。
いけない。
レイラは自分を戒めた。
臆病なリルティをさらに怖がらせたところで、何にもならないではないか。
自分が言ったことが厳然たる事実であるということは疑わないけれど、それをいちいち口に出す必要はない。
ウェンディの命が懸かっている。純粋に結果だけを求めるというのならば、なおのことだ。
そんなことを、あの日の彼の姿から学んだはずだったのに。
誰よりも死と近いところからやって来たのに、死の臭いをちっとも感じさせない、不思議な生命力にあふれたあの少年から。
「ごめんなさい、リルティ」
レイラはそう言いながら振り返った。
「あなたを怖がらせようと思ったわけじゃないの。大丈夫、あなたは緊張せずに、自分の力を」
だがリルティを気遣ったレイラの言葉は、途中で途切れた。
思いがけない、強い瞳と目が合ったからだ。
「レイラの言うこと、正しいと思う」
リルティの顔は青ざめていた。けれど、きっ、とレイラの顔を見据えるようにしてリルティはそう言って頷いた。
「間に合わなくなってから、いくら騒いだってだめなんだよね」
リルティは、かみしめるように言う。
「魔法は、届けなきゃいけない時に届けなきゃ、後から届いたってもう意味はないんだよね」
レイラは思わず足を止め、瞬きとともにリルティの顔を見つめた。
「私、頑張るね」
リルティは、なおも強い口調で言った。
それは、レイラが初めて目にするリルティの姿だった。
「レイラみたいにすごい魔法は使えないけど」
リルティはレイラから目を逸らさなかった。いつもノリシュの陰に隠れて、何一つ自分の言葉で主張できなかったリルティが、今はまっすぐにレイラの目を見つめていた。
「きっとレイラも、トルクとか、ノリシュとか、もっと他の子と一緒の方が良かったと思ってると思うけど」
ところどころで言葉に詰まりながら、それでもリルティは必死に言葉を紡いだ。
「私の出来る限りのことを何でもする。だからお願い。レイラ」
リルティの大きな瞳が揺れる。
「どうか、足手まといだと思わないで。私を、あなたの力にならせて」
ああ、そうか。
レイラは魅入られたようにリルティの瞳を見つめながら、理解した。
この子たちは、クラン島で闇と戦ったんだったわ。
そこで、失いかける経験をしたのね。
自分の命。仲間の命。その両方を。
私と同じように、味わったんだわ。自分の手からどうしようもなく零れ落ちていく命を、救えないかもしれないという絶望を。
「そうね」
レイラは頷いた。表情を緩め、柔らかく微笑む。
「心強いわ、リルティ」
その言葉に、リルティが目を見開いて小さく息を吸った。リルティの頬がたちまち紅潮してくるのが、レイラにも見てとれた。
「私に遠慮は要らないわ」
レイラは言った。
「あなたの全力を尽くして」
「うん」
リルティは真っ赤な顔で頷いた。
「ありがとう。レイラ」
「お礼は要らない」
そう言うと、レイラは前に向き直る。
「全部が終わった後で、お礼を言うべきだと思ったら」
再び歩き始めながら、レイラは言った。
「その時は、私から言うわ」
鬱蒼とした森の、さらに深いところ。
ツタのびっしりと絡まった一本の木に寄りかかるようにして、一人の女が立っていた。
紫のローブ、紫色の髪と瞳。妙齢の美女だった。
「やっと来たのね」
ゆっくりと自分の方に歩み寄ってくる二人の少女を見て、女は妖艶な笑みを浮かべた。
「可愛い女の子が二人。二人とも、綺麗な魂を持っていそう」
女はまるで舌なめずりするかのように言った。
「とっても、おいしそうだわ」




